花岡花音の華麗なる朝
「ん……う……」
部屋――あるいは腐海と呼ぶべき何か――の中で目を覚ました花音は、まず万年床の上で背伸びをし、続いて枕元の眼鏡を探した。
ガサゴソと、見えない世界の中でついにそれを探り当て……。
「……これじゃない」
つまみ上げたのは、布でできた別の何か。
多分、ブラだと思う。
放り捨てて、再トライ。
三分ほど探して、ようやく見つけ出すことができた。
続いて、明瞭となった視界の中で探し出すのは、スマホ。
バッテリー残量は65%。花音は大事な相棒の寿命を少しでも長く引き延ばすために、満充電は避けるようにしていた。
かつては仕事の連絡を受けそびれることがないよう朝には一度フル充電していたが、今は気楽なもんである。
そして、花音のホーム画面で特徴的なのは、SNSやメールアプリのアイコンが存在しないこと。
それらのアプリは、便利だが窮屈だ。
削除した今は、時間が穏やかになったと思う。
他者と繋がるアプリの代わりに、ズラリと並んでいるのが、ソシャゲのアプリアイコン。
そのうち、一つをタップ。
起動するのを待つ間に、万年床からすぐのところに設置している座卓式パソコンデスクへとにじり寄る。
適当なキーを押し込むと、スリープモードのゲーミングPCは直ちに立ち上がった。
その間に、起動したソシャゲのタイトル画面をタップ。
データ通信とローディングを挟んでいる間に、パソコン側で別のソシャゲを起動する。
「えへへ……デイリーミッションRTA」
ふにゃりと口元を歪め、ご満悦の花音であった。
これぞ、花音が長きソシャゲ生活の果てに習得した奥義。
スマホとPC……二つの端末を同時に駆使し、最高効率でデイリーミッションの報酬を回収していくのである。
「うひひ……納税」
ソシャゲ五つ分のデイリーをわずか十分でこなし、続いては朝一番のお楽しみ――おはガチャを引いていく。
花音がプレイしているタイトルは、いずれも一日一回、お得なお値段でガチャを回せるようになっているのだ。
なお、納税というのは、運営の目論見通りこのお得なガチャを回すことに対して、ソシャゲーマーたちが自嘲の念と共に付けた呼び名である。
とはいえ、所詮は単発のガチャ。
平均して、排出率3%――ピックアップと呼ばれる当たりとなれば0.5%未満の中、当たりを引くことなどそうそう――。
「――きた! 確定演出!」
伸ばしっぱなしでボサボサの黒髪を、興奮しながらかき乱す。
画面右上には『祝え! 新たな戦士の誕生を!』のうたい文句。これは、ピックアップを引いた時特有の演出だ。
派手派手でビカビカな演出と共に、美麗なイラストが横持ちのスマホいっぱいに表示される。
「やた……! 生まれ変わった辛味噌!」
物陰から辛味噌片手にこちらを覗き込む派手な赤スーツイケメンに、快哉を叫んだ。
このキャラが所持するスキルの説明テキストは――長い。
とにかく強力な効果を、いくつも内包させている証拠であった。
「えへへ……イベントの特効ゲット」
正直な話、ソシャゲのイベントなどがんばったところで、何かいいことがあるというわけではない。
が、これは明らかに神様からのご褒美!
ならば、張り切らない理由はなかった。
それにどうせ、今の自分は時間が余っているのだ。
トレーニングをするでもなく、仕事があるわけでもない。
自由で自堕落なこの暮らしを邪魔できるものなど――。
――くう。
「あう……お腹減った」
あった。
いかなる生物にも共通する唯一絶対の衝動――食欲がそれだ。
アイドルだってお腹は空く。
まして、今の自分はアイドル“カノン”ではなくただの花岡花音なのだから、なおのことである。
「食べ物……」
これまで明かりすらつけずにいたが、ようやく電気をつけた。
散らばっているのは、脱ぎ捨てた着替えの数々や、カップ麺の空き容器に空となったスナック菓子の袋。
残念ながら、今の花音が求めている未開封の食料類は見当たらない。
「冷蔵庫は……」
さして大きくもない冷蔵庫を開けるが、中に入っているのはエナドリのみ。
多少のカロリーは得られるだろうが、それで空腹が満たせるわけもなかった。
「宅配を頼む……?」
スマホで確認すれば、現在の時刻は午前10時を回ったところ。
都内であればフードデリバリーが容易に見つかるだろうが、いかんせん、ここは地方都市の片隅だ。
すぐさまの宅配となると、厳しいものがある。
「冷凍のお弁当も切らしてるし……詰んだ」
こうならないために、通販を早めに注文しておく必要があったのだが、少しばかり『タドルトラベラー0』へ夢中になりすぎた。
お急ぎ便ならば今日中には届くだろうし、ここは、少しばかりひもじさを我慢する必要があるだろう。
「……何か、忘れてるような」
ここで、ふと引っかかるものに気付く。
が、おおよその場合において、こういった時の引っかかりというのは、自力で解決できないものだ。
ゆえに、それはさておいて、ひとまずPCから冷凍弁当を手配しようとしたその時である。
――ピンポーン!
「――ひゃい!?」
軽やかなチャイムの音が、不意打ちで鳴り響いたのであった。
今のは驚いた。確実に心臓が止まった。
「え?
何何何何何?」
心停止したはずの体に鞭打ち、キョロキョロと周囲を見回す。
が、それで目に入るのは、散らばっている洗濯物やゴミだけだ。
「宅配はまだ頼んでないし――あ」
そこで、ようやく思い出す。
あるいは、寝ぼけていた脳が覚醒したのかも知れない。
そうだ。自分は昨日、お隣さん――表札には二海遠矢とあった――に、ご飯を作ってもらうことになったではないか!
「ふ、ふたみしゃんですか?」
ゆえに、大慌てで玄関のドアを開ける。
かつてのプロデューサーだったならば、溜め息交じりで口髭に手を当てただろう迂闊な行為だ。
だが、幸いにも、ドアの向こうにいたのはいきなりナイフを突き出してくるような凶漢ではなかった。
「わひゅ!?
ば、バラ?」
代わりに突き出されたのは、バラの花束。
花音がもう少し洞察力豊かなら、自分の年齢と同じ20本のバラで作られていると分かっただろう。
「朝早く、場外市場で購入してきました。
カノンたんの目覚めには、新鮮なバラの香りこそ相応しい」
言いながら、バラの花束を突き出してきた青年――二海遠矢が、うやうやしく頭を下げてくる。
首のあたりまで伸ばされた茶髪は、束感を細かく散らす形で整えられており、やや野性的な風貌とよく似合っていた。
俳優で例えると、武田◯平に似ているだろう。
そんな彼の格好は……タキシード!
どこで、いつの間に調達したのか、パリッとした本格的なタキシード姿となって、ピンクジャージの自分を待ち構えていたのだ。
「さあ、それではうちにお越しください。
カノンたんのために、最っ高のモーニングをご用意させて頂きました」
「えええええっ!?」
渡された花束を受け取った花音は、予想の斜め上をいく二海の姿と行動に度肝を抜かれ、ただただ叫ぶしかなかったのである。
お読み頂きありがとうございます。
「面白かった」「続きが気になる」と思ったなら、是非、評価やブクマ、いいねなどをよろしくお願いします。




