ドルヲタ、推しに……
人はなぜ、食事の後にお茶やコーヒーなどのカフェインドリンクが欲しくなるのか?
その理由など、学者の先生でもないこの俺に分かるはずもない。
ただ一つ確かなのは、食後にカフェインドリンクを飲むと、胃の中がいい感じに落ち着くということ。
「どうぞ。
ティーバッグのお茶ですけど」
そんなわけで、勢いよく食事を終えたカノンたんに胃を落ち着けてもらうべく、俺は湯呑みに淹れた緑茶を差し出したのである。
「あ、ありがとうございます」
眼鏡を装着し直したカノンたんが、しかし、出された湯呑みに手は伸ばさないまま、軽く頭を下げた。
眼鏡越しの視線が向けられているのは、俺ではなく下の畳。
蠱惑的な形の唇はきゅっと引き締められ、顔全体にびっしょりと冷や汗を浮かべている。
別段、畳の目を数えているとか、このアパートに住まう悪霊が見えているというわけでもあるまい。
絶対にバレてはいけない秘密が、かなりしょうもない流れでバレてしまったことに焦っているのだろう。
一方、焦っているという点ではこの俺も負けてはいない。
全身から冷や汗がダラダラ。自分用にインスタントコーヒーを淹れたコーヒーカップは、意図せず小刻みに揺れて中身がこぼれそうになっていた。
落ち着け、冷静になれ。
まずは、状況を整理するんだ。
今起こっている客観的事実を並べると……。
1.半年前行方不明になったカノンたんが、いきなり目の前に現れた。
2.そのカノンたんはよほどに腹が減っていたのか、俺の手作り生姜焼き定食をガツガツと食べていた。
うん……ワケガワカラナイヨー!
頭を抱えそうになる俺。
気まずい沈黙の中、先に口を開いたのはカノンたんであった。
きょろきょろと室内を見回し、一言。
「えっと……。
確認なんですけど、単なるわたしのファンの方なんですよね?
こう、ストーカーではなく」
ストーカー? どうして俺が?
言われ、ようやく気付く。
室内を見回せば、砂壁が見えなくなるくらいに貼られたカノンたんのポスターやカレンダー、タペストリー!
しかも、ちゃぶ台の上には五種類ものアクスタ!
そして、今は閉じている隅っこの仏壇だが、実はこれを開くと、荘厳なるカノンたん祭壇が姿を現したりする。
これらを見て、目の前にいるカノンたんご本人が何を思うかなど、国語の成績が悪かった俺でも想像はつく。
すなわち――コワイ! だ!
「ちちち、違います違います!
俺はその……ただの熱心なカノンたんファンであって、ストーカーとかそういうのではありません!」
おそらく、今この瞬間……俺は、生まれてから最も舌が回っている。
「えっと、そうですよね!
すいません。ご飯を食べて部屋の様子に気が付いたら、少しびっくりしてしまって」
両手を振りながら、愛想笑いとなるカノンたんもまた……好!
ちょっぴり見惚れている俺の顔を覗き込むようにしながら、再びカノンたんが質問してくる。
「じゃあ……事務所の方で雇われた探偵さんとかってわけでもないんですよね?」
「俺は、たまたまここで暮らしているただのカノンたんファンです。
天地神明に誓って、ストーカーや探偵の類ではありません。
……というか、エボル・プロダクションはカノンたんの行方を本当に把握してないんですか?
俺はてっきり、燃え尽きて特殊な形で引退したものと……。
いや、そもそもの話として、なんでカノンたんがいきなりうちに?」
「えっと……それはですね」
カチャリという音を立てながら、カノンたんが両手で眼鏡の縁をいじった。
……アイドル時代のカノンたんも、時として眼鏡姿を披露することはあった。
が、あれはあくまでもファッション眼鏡。
見た目なんぞ一切考慮しない実用性一点張りの眼鏡を着用し、どこで売ってんのか微妙に謎なピンクジャージで身を包んでいる姿も、最高に可愛らしいぜ!
「実は……」
などと、俺が感心している間に彼女が説明を始める。
ふおおおおおおっ! 推しによる俺のためだけの説明! 耳に焼き付けなければ!
清聴! 記憶! 傾注! 集中!
心の火を燃やして聞き入るぜ!
そして、キバッた俺に彼女が告げたのは、驚愕の事実だったのだ。
「わたし、本名は花岡花音……花の音と書いて花音なんですけど。
その……お隣の角部屋に住んでるんです」
「――隣!?」
その言葉に、驚きで目を見開く。
そういえば、そっち側のお隣は表札すら出していなかった。
たまに気配は感じるし、メーターは動いているようなので、誰か住んでいることは薄ぼんやりと察していたが……。
ここらへんは、現代社会特有だな。
今どき、いちいち引っ越しの挨拶をすることもないし。
「それで、美味しそうな匂いを嗅いだら、ついふらふらと、朦朧とした意識で……」
そんなことを考えている間に、カノンたんが先ほどの状態について説明する。
なるほど、当然ながら調理中は換気扇回してたし、この安アパートならば、窓を開けていたりなんだりで生姜焼きの香りを拾うこともあるだろう。
それで、空腹に耐え兼ねていたカノンたんが、ゾンビのごとくふらふらと俺の部屋に引き寄せられ、半ば無意識にドアを叩いた……というのが、事の顛末であるに違いない。
振り返ってみれば、先ほどのカノンたんは、明らかに様子がおかしかったもんな。
……ん?
と、いうことは、だ。
「カノンたん、ちゃんとご飯を食べていないのか?
その……飢えで正気を失うくらい」
「うう……」
両手の人差し指をツンツンとしながら、眼鏡越しの視線を横に向けるカノンたんだ。
そんな姿も可愛らしいが、しかし、事は重大だ。
カノンたんの命は、この地球そのものよりも重い。
それが、精神に異常をきたすほどお腹を空かせるなんて……。
絶対にあってはならないことだ。
空腹で苦しんだカノンたんの心境を思うと、胸が張り裂けそうになる。
一体、誰がそんなことを!
この俺が、心の火を燃やしてぶっ潰してやる!
「その……『タドルトラベラー0』を夢中でプレイしてたら、つい、食べるのも忘れて……」
なんてこった。
俺がぶっ潰すべき相手は、まさかのカノンたん本人だった。
ちなみにだが、『タドルトラベラー0』は最近発売した大ヒットRPGの最新作で、俺もプレイしている。
従来作と異なり、主人公を細かくキャラメイクできるため、当然ながら――目の前の本物と異なりアイドル時のピンク髪だが――姿を寄せてカノンと名付けていた。
とにかく、カノンたんを苦しめているのが他ならぬカノンたんであると分かった以上、やるべきことはただ一つだ。
そう……。
「俺がやります」
「え?」
「俺が! カノンたんに! ご飯を作ります!」
「ええーっ!?」
食事を忘れるほどゲーム好きな一面も好な推しに対し、そう宣言することである。
「いや、でもそんなわけには……」
「カノンたん! 君は分かっていない!
カノンたんを飢えさせるというのは、死よりも重い罪なんだ!」
「自分で勝手に飢えてるだけなんですけど……」
「だとしても!
カノンたんがあんな、ヘッドショット待ちのゾンビみたいになっているだなんて、例え自分の目に入らないところであっても、許せない!」
「わたし、そんなひどいことになってたんですか……?」
「カノンたんは、この世の楽しいこと、幸せなことにだけ触れていればいいんだ!」
「えっと、それはその……ありがとうございます?」
どういうわけか後ろへのけぞっているカノンたんの両手を、力強くこの手で包み込む。
「カノンたん……。
俺に、毎日君のご飯を作らせてください!」
「え? はい?
えと……よろしくおねがいしましゅ」
眼鏡のズレたカノンたんは、やや噛み噛みながらも受け入れてくれたのである。
かくして、だ……。
ドルヲタ、推しのご飯を作ることになったってよ。
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