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ブラック企業を辞めて隣の県に逃げた俺、なぜか隣室の眼鏡美人(※正体は推しの引退アイドル)に「ご飯を食べさせて」と捕まる。  作者: 英 慈尊


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花岡さんと食べる焼き鯖定食

 和食が持つ利点の一つとして、こういうものがあった。

 作るのは簡単なのに、なんかすごいちゃんとした食事になる。

 ……と、いうものだ。


「お待たせ。

 それじゃあ、食べようか」


「おお……!

 こんなにしっかりとした和食を食べるの、久しぶりな気が……します!」


 ちゃぶ台の前で瞳を輝かせた花岡さんの反応が、その証左。

 本日の夕食は、炊きたてのご飯に、長ネギの白い部分をふんだんに使った味噌汁。

 副菜として、長ネギの葉をたっぷり使った卵焼き。

 さらに、主菜の焼き鯖が、いまだ熱の籠もった皮からチリチリと音を立てていた。


 どれもこれも、準備は簡単。

 まず、ご飯は普通に炊いただけ。

 味噌汁は、ネギ入れて火が入ったところで出汁入り味噌を溶いただけ。

 卵焼きは、刻んだネギの葉と味付けした卵液を混ぜて焼いただけ。

 鯖も、今朝場外市場で買った切り身を焼いて、傍らにチューブの大根おろしを絞っただけであった。


 ご飯を炊く時間さえ除けば、作業時間は20分を切ると思う。

 にも関わらず! このちゃんとしてる感!

 なんならば、映えすらも感じられる。


 これが、和食の力……。

 あるいは、よその国で暮らす人間には、分からない感覚かもしれない。

 だが、俺たち日本人は、きちんと一汁二菜の揃った定食を見ると、ものすごくきっちりした食事として認識してしまうのだ。


「冷めないうちに、早速いただこうか」


「はい……!」


「「いただきます」」


 二人揃って手を合わせ、夕食が始まる。

 お互い、一番手として選んだのは、長ネギの味噌汁……。


「二海さんのお味噌汁は、具が沢山で……おかずって感じがしま……す!」


「ふふふ、そこが我が家ならではだよ。

 味噌汁は、決して添え物やおまけじゃない。

 十分に主役を張れるポテンシャルがあるんだ」


 一口すすり、焼き鳥のねぎまへ使えそうな大きさにしたネギをかじって、答えた。

 このネギ……。

 食べ応えもあるが、何よりこの形でカットした場合、ネギ中央部のトロトロ感がたまらない。

 しかも、ネギそのものに味噌汁の味が染み込んでいて、噛めば噛むほどにそれは溢れ出すのだ。


 たまらん。

 白米を一口……いや、二口食べ進む。

 油断していると、この味噌汁だけで飯を食い切ってしまい、他のおかずがおろそかとなってしまいそうであった。


「えへへ……。

 誰かに焼いてもらった卵焼きも……久しぶり。

 しかも、ネギがぎっしりです……!」


「葉っぱの部分も使わないと勿体ないからね。

 卵焼きというより、葉を卵で固めたお焼きって感じになったけど」


 断面を魅せつけるようにして持ち上げるのは、一種の職業病だろう。

 買ったばかりの皿から、買ったばかりのお箸で卵焼きを持ち上げる花岡さんへ、ちょっと自慢げに語る。

 簡単な料理ではあるけど、これだけネギの葉を入れて崩れないように焼くのは、技術がいるからな。


 花岡さんとほぼ同時に、卵焼きを頬張った。

 一口噛んで感じられるのは、卵焼きと思えぬ重厚な食感。

 何しろ、たっぷりと刻んだネギの葉が入っているため、無数のそれが歯を受け止めるのだ。

 同時に口の中へ広がるネギの香味……。

 そして、それを卵のほのかな甘みが受け止め、互いに互いを引き立たせた。


 だが、全体的な味わいとしては、白出汁の風味こそ効いているものの、塩気が強い。

 これは、意図してそのような味わいに卵液を調整したのだ。

 甘い卵焼きも美味いが、俺はネギの葉を混ぜ込んだやつなら、塩気の効いたおかず系の卵焼きが好みなのである。


「えへへ……これも、ご飯が進みます」


「ふふふ、おかわりもあるからね」


 なんと白い飯の進むことだろうか。

 花岡さんと共に、ご飯で受け止める。

 そう、この場合は、受け止めるという表現が相応しい。

 もし、白い飯なしでこの卵焼きを食べたならば、なんとも宙ぶらりんというか、肩透かしを食らったような後味であろう。

 白い飯で受け止め、完成するのだ。


 ――バリリ!


「えへへ……いい音……!」


 焼き鯖の皮に箸を突き入れ、花岡さんがにへらと笑う。

 いや、これは笑うだろう。

 皮を上にして盛り付けた鯖から出た音の、なんと小気味よいことか。

 少しだけ旬を外しているが、真鯖はまだまだ脂がたっぷりと乗っている。

 その過剰とも言える脂が、焼き上げられたことで皮の表面をコーティングし、この音を出すことに貢献しているのだ。


「皮と身と大根おろしとお醤油で……四位一体!」


 皮ごとほぐした身の上に、醤油の染み込んだ大根おろしを乗せて、花岡さんが持ち上げた。

 なんという――美しさ。

 日本人ならば、これを見てよだれが出ないはずがないだろう。

 負けじと、俺も同様の手順を踏む。

 そして、花岡さんにやや遅れながら――食した。


「――ふふ」


 そして、自然にこぼれる笑み。

 なんという圧倒的な――脂。

 青魚特有のさらりとした脂は、焼き上げたことでかなり落とされているはずだが、それでもなお――濃厚。

 それが、鯖独特の奥深い旨味と合わさって、口の中へ支配的に充満するのだ。


 もし、単独で味わったならば、ややしつこくすら感じられるだろう濃厚な味……。

 これを爽やかに演出するのが、大根おろしの効能。

 チューブを絞っただけのものであるが、大根のピリリとした辛みはきちんと生きており、それが鯖の脂を洗い流す。

 しかも、これには醤油が混ざっている。


 ――魚!


 ――醤油!


 ベストマッチ・オブ・ザ・ベストマッチ!

 これほど相性のよい存在が、この世にあるだろうか!

 ちょっとだけランクの高いお醤油はまろやかな大豆の旨味を秘めており、それが、鯖の旨味と合わさって脳髄に電撃めいた多幸感をもたらす。


 たまらねえ……!

 ご飯をかきこまなきゃ、たまらねえ……!


 ――カッ!


 ――カカッ!


 花岡さんと共に白飯をかき込む音が、畳部屋に響き渡る。

 あまりに――美味い。

 まさに、海がもたらした恵みだ。


「美味しいね」


「はい、美味しい……です!」


 その後について、多くを語る必要はないだろう。


 ――味噌汁!


 ――ご飯!


 ――卵焼き!


 ――ご飯!


 ――焼き鯖!


 ――ご飯!


 合間に白飯を挟みつつ、理想的な三角食いを二人で行う。

 当然ながら、お茶碗一杯分のご飯で受け止めきれるはずもなく、お互いおかわりを挟んだ。


 そして――完食。


「「ご馳走様でした」」


 お互いに、手を合わせる。


「えへへ……」


「ふふ……」


 そして、笑い合った。

 なんていう他愛のない献立。

 しかし、それを二人で食べる喜びのなんと大きなことか……。


 いつまで、これが続くかは分からない。

 だが、当たり前の食事を、当たり前の女の子――花岡花音さんと食べるこの時間を、大切にしていこうと……。

 俺は、あらためてそう思ったのである。

 お読み頂きありがとうございます。

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