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ブラック企業を辞めて隣の県に逃げた俺、なぜか隣室の眼鏡美人(※正体は推しの引退アイドル)に「ご飯を食べさせて」と捕まる。  作者: 英 慈尊


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お金を出すということ

 人間は時に、己の行動へ後から恐れおののき、後悔する生き物だ。

 例えば、戦争なんかはその最たるもの。

 また他には、誰かに何かを指摘する際、ついつい余計な一言を付け加えたりなど……後になってからそのことを後悔し、もし時間が巻き戻せたならと考えた人間は数多いだろう。


「うーん、なんだかすごいことになっちゃったね」


「これだけ買っても、シャツやズボンより安いんだから、やっぱりダ◯ソーはすごい……です!」


「カノンたんが持ってるあのシャツやズボン、そんなに高いんだ……」


 愛用のコンパクトカーから俺の部屋に持ってきた荷物を前にして、色んな意味でおののく。

 百円ショップで一万円超える買い物をしたのも初であるし、あの「威風堂々」と書かれたクソみたいにだせえTシャツが一万円超える値段であるというのも、驚愕であった。

 恐るべきは、ダ◯ソー地獄沼の魔力と、アパレル界の奥深さである。


 で、だ……。


「あらためて、よかったのかい?

 これだけ買った代金、全部カノンたんに持ってもらって」


 畳の上に置かれたレジ袋の群れを見下ろし、尋ねた。

 この内、大半はカノンたんの欲望を具現化したもので、俺自身が購入した品は五分の一、あるかないかくらいだろう。

 金額的にもせいぜいその程度ということであるが、大判焼き(譲らぬ意志)に加えて連続で女の子に……それも、推しに奢られるというのは気分的な体裁が悪かった。


「大丈夫……です!

 わたし、お金持ってますから……!」


 が、ボディビルでいうところの上腕二頭筋魅せつけ(ダブルバイセップス)となったカノンたんは、力強く断言したのである。


「む……いや、しかし」


 だが、そうと言われてはいと応えられるこの俺ではない。

 男としての意地? フェミニズムの発露? 休職中とはいえ社会人なのだから、あまり他人に金銭的負担をかけたくない?

 パッと思いついた理由は、いずれもしっくりこない。

 ただ、一つだけ確かなのは……。


「俺は、なんというかこう……カノンたんに尽くしたいんだよね。

 だから、奢られるのは何か違うと思えるというか……」


「それは……いえ!」


 と、ここでカノンたんが、きりりとした表情になる。

 そして、つかつかと畳部屋の中へ入り、正座する形で俺の方に向き合ったのだ。


「二海さん……この件に関しては、ちゃんとお話ししま……しょう!」


 実のところ、素の花岡花音という女の子は、他者とのコミュニケーションがあまり得意ではないのだろう。

 俺と話す時は、よく語尾を噛む。


 が、やや溜めのような間こそあるものの、今のカノンたんはハッキリと喋っている。

 ハッキリと己の意思を告げて、対話が必要だと言っている。

 ならば、俺に応じない理由はなかった。


 だから、畳の上に正座してカノンたんと向き合う。

 これが将棋棋士同士だったならば、堂々たる対局の場面だ。

 が、将棋盤などないし、カノンたんが駒を手にすることもない。

 代わりに彼女は分厚いレンズの眼鏡を外し、あの印象的な碧眼で俺を見据えた。


「二海さん。

 あつかましいとは、思ってますけど……。

 わたしは、今後も、二海さんのお世話になる気満々……です!」


 ピンクのウィッグこそ装着していないものの、もう一つのシンボル的な特徴である碧眼を露わにしての宣言。

 それを受けて……俺は……俺は……。


「おうふっ!?

 どうっどうふっふ……」


 気持ちの悪い声を上げてしまった。

 いやいやいや、だってこれは仕方がないだろう!

 俺は、推しのお世話をしたいと、思っている!

 その推しが、今後も俺にお世話をされたいと、言っている!


 今ここに、需要と供給は一致を果たした!

 まさに――スーパーベストマッチ!

 今日この日を記念日、時間を記念時間、分を記念分、秒を記念秒としよう。


 自分でもどんな表情してるのか分からないまま、超高速で上半身をバイブさせる。

 これは例えるならば、テンション上がり過ぎてどーにかなっている飼い犬のごとき状態だ。


「で、でも……!

 それで、金銭的な負担はかけたくない……です!

 むしろ、わたしが出したいくらい……です!」


 だが、続くカノンたんの言葉で、俺の動きはどうにか停止を見た。


「いや、でも……。

 俺の稼いだ金は、そもそも全部推しに注ぐためのもんだからさ」


 もちろん、俺とて車はもっているし、栄養欠乏に陥ったりしないよう、きちんと食事は取っている。

 その上で、カノンたんがアイドルをやっていた半年前までは、全ツッパしていた。


 ことに、旅費の確保は重要だったからな。

 運よくライブチケットが確保できた場合、移動と宿泊でかなりの金額が飛ぶことになるのだ。


「それは、ありがとうございます」


「あ、いえいえ、こちらこそ」


 軽く頭を下げたカノンたんに対し、こちらも頭を下げる。

 ……なんだこの状況。

 と、思っていたところで、カノンたんが衝撃的な事実を突きつけてきたのだ。


「……でも、わたしは二海さんの推しじゃ……ありません!」


「なんだって!? それは本当かい!?」


「わたしは……花岡花音!」


 何が言いたいのか分かって、ちょっとおどける俺に対し、カノンたんが……いや。

 花岡さんが、ハッキリとそう告げた。


 いや、分かっていたことだ。

 そもそも、カノンたんに幸せになってほしい……楽しいことだけをしてほしいから、彼女のご飯を作るんだと、そう言ったんじゃないか。

 そうと告げてから、まだ日付けも変わっていない。

 なんならば、舌の根だって乾いていないだろう。


 ただ、俺はそう……汚部屋っぷりへドン引きした時以外は、終始一貫してこの子のことを“カノンたん”として扱ってきた。


 猛省!

 自粛!

 愚挙!

 愚考!


 花岡さんは……“カノン”でいることに疲れて……アイドルをやっているのが嫌で、こんな所に隠れ潜んでいたんじゃないか!

 幸せを願うだって? 笑わせるな。

 俺は、なんのかんの言いつつ……彼女に、アイドルとして復帰してもらいたいと、そんな己の都合を抱いていたのだ。


「うん……わたしは、花岡花音。

 『ハニー・パレット(ハニパレ)』のセンター“カノン”じゃない……普通の女の子……です!」


「花岡さん……」


「ただちょっとファッションセンスがいいだけの……普通の女の子……です!」


「んー、ちょっと聞き逃せない」


 この女、ドサクサに紛れてとんでもねえことを押し通そうとしやがったぞ。

 だが、そんな図々しいカノンた――。

 ――……いや、花岡さんは、魅力的だと思えた。

 その魅力は、俺の推しとは別種のものなのだ。


「だから、お金は出させてください。

 それが、人として扱ってもらうラインだと思う……ので!」


「うん……そうか」


 金を出すのが人としてのライン。

 それは、納得のいく話だった。

 俺も高校を出て、就職して、初めて稼いだ金で買い物をした時……自分の足で立ったと思えたもんな。

 自立とは、よく言ったものだ。


 だから、彼女が“カノン”を捨てるにあたって、お金を出すのは必要不可欠な行為であり、儀式なのだろう。

 そのお金は、“カノン”が稼いだものだ。

 でも、それで生きていくこれからは、“カノン”じゃない。


「うん……分かったよ、花岡さん」


 だから、俺は真っ直ぐに花岡さんを……。

 長くボサボサの黒髪で、とびっきりの美人で……普段は、印象的な瞳を分厚い眼鏡で隠してる彼女を見つめる。


「あうう……あんまり、ジッと見ないでください」


 眼鏡なしのボヤけた視界でも、俺にそうされるのは恥ずかしいのだろう。

 頬を染めた花岡さんが、目を逸らす。


 ――くう。


 ――ぐう。


 そうしていると、大判焼き(鋼の意志)の消化を終えた胃袋が、自己主張してきて……。


「……はは」


「……ふふ」


 俺たちは、笑い合ったのである。

 お読み頂きありがとうございます。

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