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ブラック企業を辞めて隣の県に逃げた俺、なぜか隣室の眼鏡美人(※正体は推しの引退アイドル)に「ご飯を食べさせて」と捕まる。  作者: 英 慈尊


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ドキドキ! ファッションショー!

 女の子が着替えるのを待つ。

 落ち着いてみると、これはかなりドキドキするシチュエーションである。

 一体、どんな装いで現れるのか……。

 想像すれば、胸をときめかせずにいられないのが、男という生き物であった。


 しかも、俺がこうしている間に着替えているのは、他でもない――推し。

 カノンたんその人である。


「考えてもみれば、だ」


 そわそわしながら畳の上に正座し、もうとっくに飲み干したコーヒーカップへ再び口を付けながら、呟く。


「大して厚くもない壁一枚隔てた向こうで、カノンたんが着替えてるんだよな……」


 視線を向けたのは、あれだけ貼り付けていたカノンたんグッズを全て引っ剥がした結果、露わとなった砂壁……。

 この先で今、カノンたんはくたびれたピンクジャージを脱いでいるのだ。


 そして、そうすることで現れるのは、各種グラビアでうおっ……! 脱いだらすごっ……! というのが明らかとなっているボディ。

 しかも、どういうわけだかまったく不思議だが、俺は彼女が着用している下着まで詳細にイメージすることが――。


「――記憶よ消えろ!」


 ――バチーン!


 三度、自分にパンチを喰らわす。

 もう、口の中は血まみれだぜ……へへ……。


 ――コン、コン。


 という音が、壁の向こうから響いてきたのは、そんな時だ。

 俺のセルフ折檻がやかましくて、壁ドンされているというわけではない。

 これは、合図。

 着替えを終えたカノンたんが、壁を叩くことで俺を呼んでいるのである。


 アウン! ワンワンワン!

 今の俺は、飼い主に「おいで」されたワンコだ。

 脇目も振らず、一心不乱にお隣の玄関前へダッシュ!

 そっと呼び鈴を鳴らす。

 おそらく、ここまでのプロセスは0.05秒で果たせていると思う。


「開いてるので、入ってください」


 さして厚くもない鉄扉越しに、推しからの承認。


「じゃあ……失礼しまー――す!?」


 それに誘われるまま入室した俺が見たのは、推しの信じられない姿であった。

 たかがベスト一枚に、ここまでラメやストーンを叩き込むことができるものなのか。

 豊満な胸で押し上げられたデニムベストはキラッキラに輝いており、見ているこちらの目がチカチカしてしまいそうである。


 下に着用しているのは、超ワイドなデニム短パン。

 小物は……ブレードキャップ&足袋ブーツ!

 何しろお胸が豊かなためにやや見づらいが、Tシャツには「威風堂々」の文字が踊っていた。


 なるほど、この四文字は彼女の意思をそのまま表しているのだろう。

 かつて、アイドルとしてステージに立っていた時同様、絶対的な自信をうかがわせる笑みで、手にしたサングラス――おそらく度入り――の縁が噛まれる。

 ボサボサだった長い黒髪は、後ろで一つ結びとなっていた。


 これは……この出で立ちは……。


「ふふ……言葉もないみたいね?」


「ああ、うん……。

 推しがゲボ吐きそうなくらいクソダサなファッションしていて、確かに言葉を失ったよ」


 どういうわけか自信満々な様子の彼女に、俺は脱力しながら答えた。


「ん〜……?」


 俺の言葉を受けて、カノンたんが考え込むように天井を見上げる。

 今は遮るものがないので、神秘的な碧眼がキラキラと輝いて見えた。

 クソダサファッションでさえなければ、さぞかし魅力的に思えたことであろう。

 さておき、俺の感想を咀嚼し終えたらしいカノンたんが、あらためて口を開く。


「分かってないなあ」


「――分かってないっ!?」


 その言葉には、目を見開くしかない。

 つ……強いっ!

 デタラメな心の強さだ!

 これが、秋葉原のハコから始まり、夢の武道館ライブまで実現させたトップアイドルのメンタルだというのか……!


 いや、あるいは、俺の常識の方こそを疑うべきなのかもしれない。

 俺が気付かないうちに服飾の歴史は進み、非常識は常識へと変わった。

 ここはかつての世界ではない。

 生まれ変わった(ビルドされた)ニュー・ワールドなのだ。


 が、よしんばそうだったのだとしても、大きな問題がある。


「カノンたん……百歩譲って、それがハイセンスな服装なのだとしよう。

 が、あまりにハイセンスで目立ち過ぎる。

 確かに、その上でサングラスをかければ……」


 ――スチャリ。


 キメ顔でサングラスを装着してみせるカノンたんだ。

 だ、駄目だ……笑うな俺よ……!

 し……しかし……!


「……かければ、あの“カノン”たんだと見抜ける人間はいないと思うけど、理想は視線を集めず、かつ、バレないことだ。

 だから、別の格好で行こう」


「えー?」


 どうしよう?

 不満げに頬を膨らませる推しの姿が、一ミリたりとも可愛くない。

 ともかく、俺はその後時間をかけて、カノンたんを説得したのであった。




--




 で、現在、助手席にカノンたんを乗せた俺は、愛車を走らせていた。

 地方で生活していると、自動車というものは日常の足であり、自分の分身も同然。

 家族の中で、免許を持ってる人間それぞれが車を保有するというのも、割とありふれた話である。


 俺の場合は、維持費・燃費・取り回し・場合によっては高速道路での移動をすることも視野に入れた結果、コンパクトカーを乗り回していた。

 消臭剤以外、これといって飾り気もない車内で、ちらりと隣のカノンたんを見やる。


 あの後……。

 カノンたんが押し入れから取り出してきた衣類の数々は、まさに悪夢のごときセンスの結晶であり、私服センスの大惨事(カタストロフ)ぶりを大いに見せつけた。

 いちいち思い出しはしないが、あれらの格好をしたカノンたんと一緒に出歩くというのは、推しとのお出かけというドキドキシチュエーションを一瞬で苦行に塗り替え得るものだ。


 さすがにそれはたまらんということで、今の彼女は、愛用の分厚い眼鏡姿で俺の黒スウェットを着用している。

 ダボダボのスウェット姿となったカノンたんもまた……可愛い!

 なお、それならいつものピンクジャージがいいという意見は却下した。あれはあれで目立つ。

 ……考えると、あのジャージからしてセンスが滲み出していたんだな。


 余談だが、俺自身の服装は、アパレルブランドでマネキン買いしたカジュアルコーデだ。

 これから行く場所で買った品である。


「その……あらためて、ありがとうございます。

 車も、出してもらって」


 車内という密閉空間は、独特の緊張を生むということだろうか。

 もじもじしながら、カノンたんが俺を見上げた。

 クソダサファッションの時は謎の強気だが、今はいつもの花岡花音さんモードだ。

 ファッションでテンションが変わるタイプらしい。


「このくらい、なんてことないさ。

 それに、車がないと何するにも不自由だし。

 夜中、コンビニに行ったりしてるって言ってたっけ?

 歩きだと、最寄りでも片道15分くらいはかかるだろ?」


「はい……。

 でも、スーパーとかだともっと遠いし、昼間じゃないと行けないので……」


「ははは、夜間でもあの格好じゃ目立ちまくると思うけど……。

 下手すると、コンビニの店員さんがSNSに写真をアップしたりしかねないな」


「いつも、お爺さんの店員さんが半分居眠りしてます……」


「平和な光景だ……」


 車窓に流れる景色は、一戸建て住宅や、令和の世になっても生き残っている田園など。

 ありきたりな地方都市の風景である。


「それで、買い物とかはコンビニで済ませてるんだ?」


「あとは、コンビニで買ったギフトカードや、代引きを使ってのネット通販です。

 潜伏生活だと、現金が頼りなので……」


「そう考えると、結構きついなあ」


 ステアリングを回しながら、推しがここまで送ってきた潜伏生活を想像した。

 多分、ネットインフラなどは、アパートを借りてくれている友人に頼んだりしてどうにかしているのだろう。

 それにしても、このただっ広い地方都市の片隅で、クレジットカードすら満足に使えず潜伏し続けるというのは、随分と窮屈な話だ。


「まあ、それならこの買い物は、いい気晴らしになるんじゃないかな?」


「そういえば、どこに向かってるんですか?」


「ははは、地方で買い物ときたら、相場は決まってるよ。

 ――イ◯ンだ」


 俺は隣のカノンたんに、キメ顔で答えるのだった。

 お読み頂きありがとうございます。

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