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ブラック企業を辞めて隣の県に逃げた俺、なぜか隣室の眼鏡美人(※正体は推しの引退アイドル)に「ご飯を食べさせて」と捕まる。  作者: 英 慈尊


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11/12

そば

「いや、本当にごめん。

 俺としたことが、心底からどうにかしていた。

 意識下で、あれはもう衣類ではなく、一種の汚物として分類されていたんだ」


「あうう……謝罪とディスりを同時に受けてる……!」


 ブラジャーを放り出し、畳の上へ土下座した俺を見て、カノンたんが狼狽する。

 いや、問題は何もブラジャーだけではない。

 パンティ類にも当然ながら触れているし、生理用品などもトイレ掃除の過程で処分していた。

 ハッキリ言って、実の父親が相手でもお断りするだろう行為である。


 バカッ……! バカッ……!

 俺のアホッ……! 宇宙一のカノンたん推しっ……!


 カノンたんが快適に暮らせる生活空間を取り戻すという使命にかられた結果、デリカシーというものがぶっ飛びロケットしちまった。


「も、もう忘れましょう。

 わたしが、ちゃんと部屋を片付けてなかったのが悪いと思います……し!」


「いや、しかし。

 俺ともあろうものが、女性の……それも推しの下着をゴミ同然に摘み上げ、袋に放り投げるなど……」


「あうう……詳細に話さないで……」


 カノンたんと、グダグダな謝罪合戦を繰り広げる。

 まるで、光と闇が繰り広げる果てしなき戦いだ。

 しかし、この時、不思議でもないことが起こった。


 ――ぐう。


 俺の胃袋が情けない音を立てながら盛大にしぼみ、陥りつつあった無限ループから現実へ引き戻してくれたのである。


「は、腹が……減った」


 まさか、27歳にもなって、こんなコッテコテの少年漫画主人公みたいな台詞を漏らす時がくるとは……!

 とはいえ、それも致し方あるまい。


「もう14時半になるとこだったか……。

 そりゃ、腹も減るか」


 スマホを取り出してみれば、掃除を開始して優に四時間近くも経過していたのであった。

 いや、あの惨状から、その程度の時間で復旧してみせた己の実力を褒めるべきだろうか?

 ともかく、カノンたんに先んじて食した『カノンたんの健康を心から祈って焼き上げたツナとミックスベジタブルのホットケーキ』は、とっくに胃袋からさよならしてしまっている。


 また、いわゆるブランチ的な時間の食事になってしまったとはいえ、カノンたんもそろそろ小腹が減ってきているのではないかと思えた。


「カノンたん、ごめん。

 お昼のことすっかり忘れてた。

 そろそろ、お腹が減ってきただろう?」


「その……ちょっと減ったと思いましゅ」


 俺の質問に対し、さっきまでとは別種の恥ずかしさを垣間見せながらも答えるカノンたん(推し)だ。


「ようし!

 それなら、さっと作れるやつ用意するよ!」


 俺は推しの飢えを満たすべく、腕まくりしながら宣言したのであった。




--




 そして、15分で作った! 早い!

 それも、そのはず。


「――はい、出来上がり。

 乾麺のそば、茹でただけだけど」


 言いながら、舞い戻った俺の部屋でちゃぶ台に供したのは、たった今説明した通りの昼食だったのである。

 茹でて冷水で晒したそばを、一口分ずつにまとめて皿に盛り付けて終わり! 閉廷! 終了!

 カノンたん用に使っているのは小ぶりの丸皿と味噌汁用のお椀で、俺用のは焼き魚用の長方形皿とご飯用の茶碗。

 それぞれのお椀には、いい感じで希釈した麺つゆが入っている。


 薬味は、卓上に載せたチューブのわさび、生姜、大根おろし。

 海苔とか刻めればいいのだが、使い道が限られるため備えがなし。

 まったく簡単な食事だ。

 だが、それがいい。


「「いただきます(しゅ)」」


 実のところわりかし新しい風習らしいが、ともかく日本の伝統に則り、二人で手を合わせる。

 そして、カノンたんは普通のお箸を、俺は割り箸を持ち上げ、それぞれのそばに挑んだ。


 ――ズズーッ!


 お互い、まず一口目に選んだのは――ストレート!

 小細工無用。

 ただ、ありのままのシンプルな麺つゆでもって、そばを味わう。


 そうすると、最初に感じられるのは他でもない……そばのつるりとした食感だ。

 単なる買い溜めだ。特にこだわりを持って選んでいるわけではない。

 なんならば、メーカー名すら覚えてはいなかった。

 しかし、名も知らぬメーカーの企業努力たるや、絶大なり。


 まるで、唇を滑ってくるかのような……。

 麺自身が意思を持って動いているかのような勢いで、口の中に滑り込んでくる。

 そうすると、口中に広がってくるのが、かつお出汁が主体となったつゆの風味と、そばの風味。


 そういえば、昔はそばのことを雑穀として扱っていたのだったか。

 なるほど、このそば独自の風味は、五穀にも通じるものがあると思う。

 つまりこの風味は、栄養価の証。

 口の中に滑り込んできた豊富な栄養を、これからそれらを取り込める喜びを、舌が俺に伝えてきているのであった。


 そしてこの喜びは、噛むことで更に増す!

 よく噛んで、そして飲み込む。

 この時、喉で食感を得られるのが、麺料理最大の醍醐味と言えるだろう。

 そば粉と小麦粉を絶妙に配合した結果生まれる喉越しを、心ゆくまで堪能する。


 だが、その幸せな時間は、刹那のごときもの。

 その上で、胃の奥に消えていったそばが、ますます食欲を刺激してくるのだ。

 ……応えてやらねばなるまい。


「んん〜っ!」


 ふと目をやれば、カノンたんも美味しそうにこれを味わっている。


「ふ……」


「ふふ……」


 と、カノンたんがかけている眼鏡のレンズ越しにお互いの目が合い……なんとなしに、笑いあった。

 笑いながらも、互いに卓上のチューブ調味料へ手を伸ばす。

 味変の時間だ。


 カノンたんが選んだのは、王道を行くわさび。

 対して、俺がセレクトするのは――生姜だ。


「生姜を使うんですか?」


 ちょっとだけ不思議そうな顔になるカノンたん。

 そんな彼女に、解説してやった。


「上州そばというらしい。

 池波正太郎の小説で出てきたことがあってさ。

 その描写があんまり美味そうで、実際に試してみたらなるほど、相性バッチリなんだ」


 言いながら、やや多めに生姜を絞り、箸でつゆに混ぜ入れる。


「なら……わたしもやってみましゅ!」


 そんな俺の様子を見て、まだわさびを入れていなかったカノンたんも乗り換えを決意した。


「ふふ……じゃあ、お先に」


 ――ズズーッ!


 味変へ取り組む彼女に先んじて、上州そば一口目を味わう。

 口の中に広がる風味の、なんと爽やかなことか。

 しかも、ただ清涼感があるわけではなく、ピリリと舌を刺激し、若干だが――辛い。

 これこそが、生姜の効能。


 麺類との相性悪いわけなどなしだが、とりわけそばとの相性は――抜群。

 いや、これは……ベストマッチ!

 先にも述べたそば独特の風味。

 その中で、癖として感じられる一種の雑味が生姜という香辛料によって中和され、ますます食べやすくなっているのである。


 ――ズーッ!


 ――ズズッ!


 ――ズーッ!


 遅れて上州そばを味わい始めたカノンたんと共に、もはや目を合わせることもなくそばをすすった。

 食に支配されるこの感覚……!

 今の俺たちは、麺をすするだけのマシーンだ!


 だが、それも長くは続かない。

 カノンたんには一束。俺の方は二束分のそばが盛られているが……ほんの10分ほどで、食べ終えてしまった。


「「ごちそうさまでした」」


 二人して、食への感謝を述べる。


「美味しかったね」


 我ながら、ありきたりなフレーズで笑いかける。


「はい……。

 一緒に食べたから、もっと……美味しかったでしゅ」


 そんな俺に対し、推しはやや恥ずかしそうにしながらそう答え……。

 今更その事実へ気付いた俺は、赤面することとなった。


 お読み頂きありがとうございます。

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