アクスタ飯と謎の美女と
例えば、ギター。
例えば、ピアノ。
人類はこの惑星に出現してから現在へ至るまで、実に様々な楽器を発明してきた。
だが……。
――ジュワアアアアアッ!
油をひいた中華鍋の中で、肉と野菜が踊る音に勝る音色を奏でる楽器は、存在しないと断言できる。
それほどまでに、魅惑的で蠱惑的で……何より、落ち着く音。
「不思議なもんだな。
もう二度と鍋を振りたくないと思って退職してから、一ヶ月も経ってねえってのに……」
飽きるほど繰り返してきた手つきで中華鍋を煽りながら、自嘲の笑みを浮かべた。
それほどまでに、飢えの力というものは強烈。
あるいは、この休職生活を少しでも長く続けるための節約意識が、か。
今日び、外食なんざしようとしたら、千円札一枚じゃなかなか収まらないからな。
ついこの前まで、隣県の飲食チェーンで提供する側だった俺が言うのだ。間違いない。
それに、何より……。
「さすがに、君と一緒に外食するわけにはいかないからね! カノンた〜ん♡」
27歳男性に可能な限りの高い声を出しながら、振り向く。
開けっ放しの襖一枚隔てた先は、六畳の畳部屋となっており……。
そこに置かれたちゃぶ台の上では、国民的アイドルグループ『ハニー・パレット』の絶対的センター――カノンたんたちが、俺の作る料理を今か今かと待ち受けているのだった。
うん、表現を間違えているわけじゃないぞ。
間違いなくちゃぶ台の上であるし、カノンたんたちだ。
何故ならば……。
ちゃぶ台の上にいるのは――当たり前だが――実在のカノンたんではなく、彼女のアクリルスタンドたちであるからだった。
どのアクスタも共通しているのは、ピンクストレートのエクステと、人間離れして整ったルックス。
とりわけ印象的なのが、よほど良いカラコンを使っているのだろう……宝石のように澄んだ、深い碧眼だ。
ただし、装いはそれぞれ大きく異なる。
センター・オブ・ザ・センターズ・オブ・ザ・センターズの中でセンターを務めているのは、デビュー初期に秋葉原の劇場で使用していたコスチューム。
実際の写真を取り込んでいるのだから当然と言えば当然だが、活動初期ゆえに衣装すらも手作りした結果、それすらも愛らしいほつれや、最後の手段として使用されているホッチキスまで映り込んでしまっているのはご愛嬌だろう。
その左隣にいるのは、青春時代が蘇る……スクール水着姿。
俺が中高生の頃には、もうすでに廃れていたとか言ってはいけない。
アイドル戦国時代を勝ち抜くため、脱ぐこともいとわぬカノンたんの覚悟とうおっ……脱ぐとすごっ……というのが凝縮された逸品である。
初期衣装の右隣にいるのは、某大人向けファッションブランドとコラボした時のブラックコーデ姿。
正統派アイドルグループでセンターを張っていることもあり、カノンたんのパーソナルカラーはウィッグと同じピンクであり、ライブ衣装や私服もそれに倣っている。
で、あるからこそ、格好良さに全振りしたこのブラックコーデが際立つというものであった。
他にもあるぞ。
やはりこれは外せない……記念すべきドーム公演時の限定アクスタ。
水族館とコラボした時の水兵服衣装もまた、上着がセーラーでありながらボーイッシュさが好。
さすがにちゃぶ台へ乗り切らないので、本日厳選に厳選を重ねたのがこれら五種だ。
さらに、壁を見れば……砂壁を覆い隠すほどの勢いで貼り付けているのは、各種のポスターにタペストリー、雑誌の切り抜き!
カレンダーに関しては、カノンたんが映っているページのみを貼り付けているため、もはや本来の用途を果たしていなかった。
要するに、どの角度へ顔を向けてもカノンたんが目に入る空間として完成しているわけであり……。
カノンたん推しの俺に相応しき居城――|パーフェクトキングダム《完全王国》が、ここに降誕していると言えるだろう。
「ふぅ~。
推し活捗るぅ! アクスタ飯サイコ〜!」
甲高い声で、出来上がった料理を大皿によそう。
本日のメニューは、みんな大好き――豚生姜焼き。
大ぶりに刻んだロース肉と玉ねぎ、もやしはタレのかぐわしい香りをまとっており、何ならば、匂いだけでも白飯をかっこめそうな勢いである。
彩りは基本のキャベツ千切り。
さらに、白飯と味噌汁も用意してあった。
ちなみに、味噌汁の具はもやしとキャベツな。出来る限り材料を使い回すのは、飲食の基本である……俺が勤めてたのはチェーン店だけど!
とにかく、本日の夕食をちゃぶ台に並べた!
「おお……!」
口から漏れるのは、感嘆の溜め息。
自家製生姜焼き定食の周囲を推しのアクスタが囲んでいると、まるで小人となったカノンたんたちにそうされているかのようだ。
滾る……!
高揚! 爆熱! 歓喜! 祝祭!
心の火が燃え盛るかのようだ!
こうなった以上、やるべきことはただ一つ!
そう……。
――パシャ!
――パシャシャシャシャシャ!
スマホのカメラアプリを起動し、様々な角度から写真を撮りまくるのである。
くう……! 推しが俺の手料理と一緒に写ってる!
たまらねえぜ!
「ふぅー……!
中には外でも気にせずやってる奴もいるけど、俺はTPOを弁えてるファンだからな。
さすがに、自宅じゃないとこれはできねえぜ。
カノンたんも、ファンがよそで迷惑かけたら悲しむだろうしな。
まあ……」
スマホをジーンズのポケットにしまいながら、ふと言い淀む。
これは、単なる客観的事実。
しかし、俺たちカノンたん推しにとっては、受け入れがたい現実であった。
「……カノンたんが失踪してから、もう半年も経つけど」
――超人気アイドル“カノン”失踪!
この話題が世間の注目をかっさらってから、もうそれだけの時間が過ぎている。
原因は、まったくの不明。
所属事務所は、無言を貫いていた。
つっても、これだけの有名人が姿を消しているわけだから、とっくに警察が発見していて、事務所も所在を把握してるんだろうけど。
それで失踪以上の情報がないってことは、最悪の事態には至っていないんじゃないかと思う。
要するにこれは、形を変えた引退なのだ。
思えば、俺の心が完全に折れたのも、推しの供給が途絶えたからだったな。
飲食チェーンの過酷さというものは……いや、いちいち言葉にすると陰鬱としてしまう。
高卒とはいえ、わずか23歳の若造が店長となっていたのだから、お察しといったところである。
過酷な日々で、支えとなっていたのが推し活。
それがなくなりゃ、そりゃ、心も折れた。
で、完全にやる気を失った俺は勤めていたチェーンの看板を見るのも嫌になり、まだあの会社が進出していない隣県へと引っ越し。
今は先も定めず、大して多くもない貯金を切り崩しながら休職生活中なのである。
「……食べよう」
辛いこと考えても仕方がない。今は、楽しいことをしてる時間だ。
それに、せっかくの食事が冷めてはカノンたんたちも悲しむので、いざ実食せんと箸を手に――。
――トントントン!
安アパートのドアが叩かれたのは、その時である。
「はい、どなたですか?」
(やべ……カノンたんたちに話しかける独り言の声が、大きすぎたか?)
声は平然と。
しかし、心中ではやや焦りながらもドアを開けた。
そう、開けてしまったのだ。
チェーンも何もせず。
何事も、焦るのはよくないという証左である。
「――うお」
ゆえに、倒れ込むように踏み入ってきた彼女を、両手で受け止めてしまう。
その体重は、まるで羽のように軽い。
しかし、俺の両手がジャージの布越しに掴んでしまった箇所は、「ふよん」という音がしそうなほどに豊かで、やわらかい。
長い……長い黒髪はろくに手入れもしていないのかボサボサだけど、すごくいい匂いが鼻先をかすめた。
顔は……顔立ちは、ハッキリと言葉にできない。
分厚いレンズの眼鏡をかけているからだ。
ただ、それでも鼻や口の形は「現代のクレオパトラ」って具合に整っているのが分かる。
正体不明の女性。
おそらく、眼鏡を外せば絶世の美女なのだろう女性。
何ならば、キャストオフ前でも絶世の眼鏡美女である女性が、俺に力なくもたれかかってきた。
「わわ……」
そうすると、二人にとって唯一の物理的接点であるお山の感触が、より確かに感じられてしまうわけであばばばばば!
かくなる理由により大混乱状態の俺を見上げ、彼女はこう言ったのだ。
「お腹……空いたあ……」
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