第2章 思想と立場 ― 祈りの体制に生きる日本人
第1章では、戦争報道がいかに「物語」として構成され、私たちの感情に働きかけているかを考察しました。
情報の時代において、報道は単なる事実の伝達ではなく、私たち自身の感情や立場を形づくる装置となっています。
第2章では、そうした「立場の形成」に対して、日本人がどのような思想的基盤を持っているのかを掘り下げます。
政治的な中立だけでなく、精神的な中立――それは、争いを避け、祈りによって調和を求めるという、日本独自の姿勢です。
天皇制を中心とした「祈りの体制」が、現代日本の秩序や外交にどのような影響を与えているのか。
その静かな構造を見つめ直すことで、ノンポリという思想の深層に触れていきます。
日本という国は、政治的に「中立」を掲げるよりも前に、精神的に中立である。
これは無関心でも無思考でもない。むしろ、あらゆる対立を俯瞰し、祈りによって調和を求める姿勢に根ざしている。
世界の多くの国が「正義」を掲げ、他国を裁く姿勢をとる中で、日本人は「正義」を主張する前に、自らの行いを省みる。その精神性の根底にあるのが、天皇を中心とする「祈りの体制」である。
天皇は政治家ではない。しかし、政治家よりもはるかに国家の安定に寄与している。歴代の天皇は、戦争にも経済にも直接的な指示を出すことはないが、国民の幸福を祈ることを職務としている。祈りを通じて国民の苦しみや悲しみを受け止める――この行為は、いかなる権力にも勝る責任の表れであり、まさに「王としての義務」と言える。
天皇は形式上「象徴」とされているが、象徴とは飾りではない。
日本の統合の中心として存在する「精神の軸」なのである。
戦後日本は「国民主権」を採用した。しかし、これは天皇の否定ではない。国民が主権を持つとは、国家の意思決定において責任を共有するということであり、その上で天皇が祈りをもって国を見守るという構造が成立している。
形式上の主権者と、精神上の守護者――この二重構造こそ、日本的な中立の仕組みであり、古代から続く和の思想に通じている。征夷大将軍の任命も、総理大臣の任命も、最終的には「任命の儀」によって国家としての正統性を得る。
これは単なる儀式ではなく、権力が暴走しないための安全装置でもある。
日本が「ノンポリ(無党派)」であることを嘆く声は多い。しかし、この国におけるノンポリとは、実は成熟した政治意識の形である。
声高に主張せずとも、自らの生活の中で秩序を保ち、他者を尊重し、争いを避ける。そうした国民性が、結果として国家のバランスを取っている。
変革よりも調和を、進歩よりも継承を選ぶ姿勢は、一見保守的だが、そこに深い理性がある。前人の知恵を軽んじず、過去を否定しないこと――それが日本的な「保守」であり、同時に最も強い「改革」でもある。
現代社会では、改革を声高に叫ぶ者が「正義」とされがちだ。しかし、改革とは秩序を壊すことではなく、必要なものを残しながら、時代に合わせて形を変えることだ。日本は長い歴史の中で、幾度となくこの「漸進的変化」を繰り返してきた。政治体制が変わっても、祈りの構造は一度も断絶していない。
このことこそが、外圧に耐え、災害を乗り越え、戦後復興を果たした日本の強さである。
世界が分断に向かう中で、日本の「中立」は、ただの曖昧さではなく、思想的な立場としての強さを持っている。右でも左でもない、祈りの中心に立つ国家。その立場を自覚し、誇りを持つことが、これからの日本外交の鍵となる。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この章では、日本人の「中立的な立場」が、単なる政治的姿勢ではなく、深い精神性と歴史的構造に根ざしたものであることを見つめました。
天皇を中心とした「祈りの体制」は、争いを避け、秩序を保ち、静かに国を支えるという、日本独自の思想的装置です。
声を荒げず、正義を振りかざさず、それでも責任を引き受ける――。
その姿勢は、現代の分断された世界において、最も誠実な立場のひとつかもしれません。
次回は、第3章「代理戦争の倫理と現実」。
遠くの戦争にどう関わるか、そして“支援”という名の参加が生む構造について考えていきます。
どうぞお楽しみに。




