第三話 松の木と石灯篭
清浦家を辞した私が田んぼのあぜ道を歩いていると、ある家の塀を優に超えた立派な松の木が目に留まった。我が家にあった松の木に酷似している。どうやらこの場所に根を下したらしい。
「あら、どなた?」
頭上から疑問を浴びせられたから、私はてっきり二階の窓かベランダから発見されたのだろうと思って声の主を探しながら、自分は臼山の縁者で、偶然昔馴染みの松を見かけて立ち止まったのだと述べると、
「へえそうなの。よろしければもっと近くでご覧になって」
と、姿無き声が申し出た。
塀をぐるりと半周して門をくぐり抜け、さらに庭園と思しき空間を突っ切るとようやく松の根本が見えてきた。途中石灯籠にも出くわした。
私はこの場所を自宅だと心のどこかで錯覚していた。存外私の視野は狭いようで、わずか二つの物体によって幻惑されてしまい、内弁慶がのそのそ這い出ようとする気配がしないでもなかった。事実、法的に所有者が変更されたのにも関わらず私の視線の内実は昔と変わらず、松の木と石灯籠を自分の物だと捉えていたのである。
よって、例の声の主が堂々と松の幹の中腹あたりでふんぞり返る様に、賊に庭を荒らされたような心地がした。どちらかというと状況から見て賊は私のほうなのだが、それぐらい感覚が麻痺していたのであろう。
気がつくと私も松の中腹にいた。これには私自身も驚いた。木登りなんぞこれまでの人生でろくにしたことがなかったのである。さも当然とばかりにするすると女の足元に到達したあたりで私は無遠慮にも顔を上げた。声の主は女であるが、どうせ年配者が野良着を着ているのだから、なんの差し支えもあるまいと判断したわけだが、
(げっ)
思いの外若い。それでも中年の域は出まい、ましてや野良着であると思えば思うほど、変幻自在にどんどん若やいで見える。ついには私よりも一回り年上かどうかといったラインにまできた。服装も同様に、モンペがスカンツに化けている。
顔を背けるか否か私は逡巡した。ガン見すれば十中八九怪しまれ、視線を逸らせば心の動揺を見透かされるに違いない。
「僕も子供の頃からずいぶんこの幹にしがみつきはしましたが、梯子も無しにこんなところにまで登るなんて、思ってもみませんでした」
変に声が上ずって、なおも風流人を気取ろうとするから、相手を小馬鹿したような物言いになってしまった。
「今あなた、馬鹿は高いところが好きって思ったでしょう」
「そんな滅相もない、ス……」
「す?」
素敵なレディなんて言えるわけがない。安っぽい気障な台詞だ。もっと言うと、世間馴れしていない人間がドラマに影響されて取り繕ったように思えて、言葉が続かなかったのである。
「すごく大変そうだなと思って。剪定作業が」
剪定バサミなんてどこにもないのに、私は馬鹿のふりをして言った。
「業者さんに頼まないんですか?」
「ククッ。ただ木登りしているだけ」
「はあ……」
「子供の頃からの夢だったの、ずーっと憧れていたわ」
どうにも話が見えてこないが、色っぽい感じだから良しとしよう。
登るのは簡単だったが、降りる時にはずいぶん難儀した。ただ一点を目指して登ることは出来ても、いざ上から俯瞰すると、点がばらけて目標が定まらない。
ようやく地面に足がつくと、そのまま建物のなかに誘われてみれば、ボヤと見まがうほどの香が焚かれており、匂いが鼻にねっとりまとわりついて不快だった。濃煙に溶け込む女のシルエットが、どこか快楽的でもあった。
あとのことは正直よく覚えていない。唯一の印象に残ったのは、帰り際に、
「あなたって度胸ないのね」
の一言を発した女の眼差しだけである。まるで霧が晴れたみたいにくっきりと、目だけが赫赫と光っていた。
*
ふらふらと破れ長屋に帰ったあとも、無性にイライラしたが、怒りをぶつける対象が存在しないのだから仕方がない。時間が経つにつれてああ言い返してやれば良かっただの、微笑の一つでも浮かべてやれば良かっただのと、色々と妄想を膨らませては、やはり君子危うきに近寄らずの精神で、実はあれが最適解だったのだと自分に言い聞かせることに終始した。
気を紛らわせる娯楽がないのが悪いのだと私は思った。とくに日が暮れてからは家族も帰宅するので監視の目も厳しくなる。そうなるといよいよ暇を持て余してしまう。ケータイ電話は通信制限がかかっていたし、アルバイト先との往復と、寄り道がてらの散歩だけが娯楽らしい娯楽であった。
私はもう何遍読んだかもわからない文庫本を取り出した。だがすぐ投げ出した。
人生の山場がもう終わってしまったという感すらあった。
人生の体感時間は、二十歳ですでに半分を経過しているという。私はこの言説が大嫌いであった。ただ記憶が欠落した結果の現れとしか思えない。日記の分量に年の長短は関係あるまい。
事実この謹慎期間は恐ろしく長く感じられた。これが夏休みならあっという間終わるはずである。試しに日記でもつけようかと思っても、書く内容がない。一日のタイムスケジュールを詳細に書いても、ほんの数行で終わってしまうか、前日の繰り返しになるばかりである。だから、後日振り返ってみると異様なまでに、人生がそれこそあっという間に過ぎ去ってしまったかのように感じてしまうに違いない。
ガラス障子が風で震えた。もはや耳に入る生活音にすら何らかの楽しみを見出そうとしている自分と、その行為によってまるで悲劇の主人公に自らを仕立てんと欲する自分に同時に気がついて、私はまた悲しくなった。その悲しみすらも、一等人間が出来ている証だと思うためのお飾りであった。
またひと際大きくガラス障子が震え、こんどは単純にびっくりした。
思わず振り向くと古びたタンスが目についた。まさかこんな鍵もついていない破れ長屋に骨董品の残党がいるとも思えないが、ともかく暇つぶしにはなろうかと思いタンスを漁ると、それらしき木箱が出てきた。
仄かな期待で胸が高鳴る。
「こいコイ来い!」
持ち上げた瞬間の手応えでわかる。中身が存在することに。
蓋を開けてみればなんのことはない。既製品の安物である。食卓に以前並んでいたが、最近見かけないなと思っていた茶碗である。私はまたしても勝手な期待を裏切られ、情熱のやり場を失ってしまった。
「こんなのに振り回されてどうする、俺ほどの人間が」
私に如何ほどの値打ちがあらんや。茶碗のほうがよほど実用性に富んでいるではないか。
わかっているはずなのだ。それでも妙な台詞を口走るのは、自負も知恵もない、度量もない人間であることの裏返しに他ならない。
私は茶碗を石畳に叩きつけようとした。無論虚勢である。もしかしたら、実用性の喪失こそ既製品を骨董品に転換する唯一の道に通ずるのかもしれない。しかし、私には破壊と創造を為し得るほどの覚悟もなく、割れた茶碗の片付けと、家族への言い訳ばかりが頭をよぎる。これほど惨めな人間もいまいと私は思った。