第二十話 仙女の子育て~育児放棄~
我が人生の帰趨はこの居酒屋に決したのかと、思わわずにはいられない。いよいよ私は客の送迎までやるようになっていたのである。
流石に送迎バスとまではいかないが、ワゴン車でそこらじゅうを駆け巡るのだ。時々白タクと間違われて警察に尋問されることさえあった。
傍から見れば熱心な好青年、少し事情に通じていれば親戚の店で奉公する今どき珍しい真面目な好青年、いずれにしても好青年であることには変わりない。こういう時代錯誤な人間は、時代感覚の近い年配者からの評判だけは得てして高いものだ。
「こんな仕事までやらされてあんちゃんも大変だね」
後部座席からご老体がこんな言葉を掛けてきた。
「時間だけは余ってるもんですから」
「いやいや、こっから店戻っても遅い時間まで片づけやったり面倒見てるんでしょ。七十年も生きてるから、人を見る眼はそれなりにあるよ。真面目だから気になるタイプだよきっと」
「ハハハ……恐れ入ります」
いつぞやの高橋さんと原口氏のようで、苦笑いを浮かべながらハンドルを切った。
そういえば、高橋さんはあれからどうしたのだろうか?
ふと、そんなことを想った。
*
停車したご老体の邸宅は、新築一戸建ての住まいだ。出迎えに来た家族に会釈すれば、本日の接客業務は終了となる。
息子の嫁か、はたまた孫娘かは存じ上げないが、とにかく明らかに家族ですといった面構えの女性が玄関先に待機している。私もこんな晩年を過ごしたいものだ。
降車したご老体が私にチップを渡そうとするのを固辞していると、その女性が距離を縮める。
きっと「お店の人も困っているでしょう」とか言ってご老体に引き下がるよう説得しに来たに違いない。
ガツン。
ポカリではない。
殴打の次は襟を掴んで地面に叩きつける。血塗れのご老体に跨るや否やこれでもかとビンタを食らわせにかかる。
「ちょっ、え……? は? なななナんなん!?」
大慌てで車から飛び出した私は止めに入ろうとした。
「暴力は良くない! 暴力は良くない!」
「他人は口出ししないで」
「暴力は良くない! 暴力は良くない! 身内だろうが喧嘩じゃすまなくなる! お年寄りをいたぶっても何も解決しない!」
もはやこれでゴリ押す他あるまい。
「わたしはこの人より年上よ」
「じゃあ何歳なんだ?」
「三千三百十七歳」
「屁理屈をこねるな! 暴力は良くない!」
意味不明な発言で私を混乱の渦へ誘うつもりだろうが、そうはいかない。
「このっ……道楽息子が良くないのよ。修行をサボるからこんなに年寄りになってしまったっ!」
私と会話しながらもご老体への暴力は続いた。
「おっかあ、俺が悪かった、悪かったから許してくれ」
ご老体までトチ狂ったことを口にした。いや、本当に異様なまでの老け顔と、これの反対に異様なまでにアンチエイジングに成功した親子なのかもしれない。
「もう知りません。自分でなんとかなさい」
呪文を唱えるとみるみるうちに女性の身体は薄くなり、霞のように跡形もなく消えてしまった。
こういう怪しげな術の使い手を知らないではない。だが、彼らもまだギリギリ人間の範囲内で、オカルト的な人種……つまりは、ああ、科学では計り知れない存在もまだあるのだなと、納得できるラインにはいた連中だ。
それが、今回はこれである。いよいよ魔法じみている。
ご老体に事情を詳しく尋ねると、どうやら彼の母は仙女で、不老不死を自称しているらしい。
もともと弟子を取るような人でもない癖に、息子には英才教育を施そうとして大失敗して現在に至るだという。
「父親には相談できないんですか?」
「親父はわしに似た凡人でな、普通に天寿を全うしておった」
私はご老体に同情を禁じ得ない。三千三百十七歳から見れば、高齢者など赤子も同然ではないか。それを放り出すなど、育児放棄、児童虐待も甚だしい。
「世間一般から見ればご老体もさして不幸である風には見えないのだから、さして気になさることではないではありませんか。ここは親離れ子離れと思って、ご自分の人生を楽しんではいかがでしょうか?」
「もとよりそのつもりだがね、おっかあも苛立っていつもあんな感じで困ったもんだ。第一、仙人なんて大概、白ひげ生やした老人なのに、本人があのとおり天才肌だから、本当に困ったもんだ」
腰を伸ばして体操するご老体は、かなり丈夫な肉体の持ち主であることがわかる。
「これから山籠もりでしようと思ってたのに、これじゃあ、また病院だよ、ちくしょう」
そして思いの外、しぶとい性格のようだ。
これは余談だが、ちょっとした興味から山籠もりって具体的に何するんですかと尋ねたせいで、私は再び泥と草の悪臭に塗れることになってしまった。
山籠もり先のどこかに例の御本尊が安置されているという。




