第二話 貸倉庫の惨状
地獄で仏に会ってもしょせんここが地獄であることに変わりはない。時江ちゃんのおかげで(断じて陽くんの手柄ではない)どうにか金を引っ張り出しはしたが、いずれは限界が来る。そこで私はマニアと骨董屋が目録作成を終えるタイミングをひとつの目安と考えていた。ここさえ凌いでしまえばあとはいかようにもなる。
「いやあ、さすがは臼山コレクション、どれもこれもこの世に二つとない品ばかりですな」
マニアは精力的で背筋の伸びた爺さんで、坊主頭の骨董屋を顎で使いながら我が家の蔵の中を物色している。
「ところでご主人、我々の記憶にある品が幾つか見当たらないようだが」
父はさあこういうことには息子のほうが詳しいですからと言って、襖の影に控えていた私を呼んで案内役を申付けた。
「君、写真機はどこかね」
「私も詳しくは知らないのですが、映画関係の物は一か所にまとめてありますので、探してみます」
そんなものはない。私がとっくの昔に売り飛ばした。
内心冷や汗を流しながら、意味もなく右往左往していると、こんどは骨董屋のほうが傘を探していると言ってきた。これも売り飛ばしていた。
(換金する品を間違えたな)
私は後悔した。私の興味を引かなかったガラクタから優先して金に換えていたはずだが、どうもマニアと骨董屋の眼鏡の色は私とは真逆らしい。しかも驚くほどこちらの内情に通じている。実は目録なんて必要ないのではないかと私が思うほどにはひとつひとつについて詳しい知識を持っていた。
「幕末に写真術が日本に入って来たばかりの時分には、『魂が抜かれる』なんて迷信がありましてね、まあ火のない所に煙は立たぬと言いましょうか、臼山コレクションの写真機が噂話の火元というわけでしてね」
骨董屋に解説されるまで私はあの写真機にそんな曰くがあろうとはまったく知らなかった。知っていればみすみす手放しはしなかったものを……。
*
ここが天王山である。私は清浦家から軽トラまで借りて、家族が出払っているのを幸いに、重量のある物まで移動させようとした。この日に備えてマニアと骨董屋に見つからないように隠匿していた品々ではあるが、あの二人の目を誤魔化し切れるとも思えない。
貸倉庫は巨大化の一途を辿り、いよいよ私の手に負えなくなりつつあった。わずかな隙間でも確保しようと、陽くんのバイクのパーツをガレージの隅に追いやり、時江ちゃんの部屋を動物の剝製で一杯にした。
自転車操業ならまだマシである。火の車でもまだ恵まれている。放たれた矢は二度と戻っては来ない。こんな的外れに射ったのは誰か。
息も絶え絶えにタンスを運び入れた私はひと息つこうと思って貸倉庫の中をざっと見渡した。私の指が触れた箇所以外ホコリ塗れの燭台、真新しい白鞘に納まった日本刀、名称もよく知らない銀杯、壺、茶器、黄金銃、酒瓶、マリア観音の掛け軸、まるで野戦病院の惨状を見る思いがする。
「ご子息はずいぶんな曲者のようですな、しかしよく見ると亡き臼山氏の面影がある」
扉が開く音とともにマニアと骨董屋と父の三名が唐突に姿を現した。
「お金が欲しいなら我々のほうがよっぽど価値がわかっている、にもかかわらず二束三文で叩き売りするとは、解せぬ」
マニアは渋面を作った。
私は恐怖に慄きながらも、それでも言い返した。
「小遣い欲しさにこんなことしませんよ。こっちは大赤字だ」
「確かに利殖にしては杜撰だ。お、刀は無事ですぜ」
骨董屋がひょっこり顔を出した勢いそのままに刀を抜きはらって、刀身を舐めるぐらいに顔を近づけた。
「まさか刀身をすげ替えるために新しく刀を買い揃えるなんて、よほどの度胸がないとできない所業ですぜ。これは坊ちゃんを褒めるつもりで言っているわけですがね」
私は父の顔を見た。表情の変化を期待して、なんなら売り言葉に買い言葉の勢いを借りて、思い切り罵ってやろうと思った。しかし父の態度は困り顔を浮かべるばかり、それどころか保管場所さえわかれば十分でしょうと言って、二人を帰らせてしまった。
闘争心の充実とともに爽快さを感じていた私は拍子抜けした。むろん詫びる気もなく、父の説諭にもだんまりを決め込んでいた。説諭の内容といえば、これはしょせん家庭の問題だからあの二人にどう言われようがお前が気にすることじゃないとか、そんな話であった。父からすれば興味の薄いコレクションの数々を棚ぼた的に入手しただけだから、第三者の気分が抜けなかったのだろう。
*
私の断固とした意思表示も却って逆効果に終わり、我が家の所蔵品はことごとく他人の手に渡った。他にも噂を聞きつけた人々の訪問が絶えず、広々とした和室はさながらオークション会場の様相を呈し、時には庭の松の木や石灯籠まで根こそぎ持って行かれた。
ことによると、このまま無罪放免かもしれないと密かに期するところが私にはあったが、そうは問屋が卸すわけもなく、方々での金策が露見すると、そのまま勘当扱いで古式ゆかしい長屋の石畳にマットを敷いて寝泊まりする羽目になった。借金も急を要するものは立て替てやるが、お前のことだから親に甘えてなあなあにするに違いない、せめて親戚には自分で稼いだもので返済しろとのことである。
こうして私は大学入学を理由に小遣いを打ち切られ、通学定期の購入も危ぶまれるぐらいには、アルバイトで稼いだ金も右からの左に陽くんの懐に吸い込まれては消えていく生活を送るのであった。
「もう少し手加減してくれまいか」
金を渡した時に私が言うと、
「こっちもそろそろ親からの追及が激しくてねえ、道中使い込まれやしないか心配する始末さ。まあ笑い話だけど」
「別にギャンブル中毒でもないのに、心外な」
「普段けち臭い人間がああいうことやると、インパクトもそれだけ大きいからねえ。そこに関しちゃ僕なんて易しいもんだよ。なんせこれに分散してるから」
私にはどこのパーツなのかさっぱり検討もつかないバイクの部品を持ち上げながら陽くんは返事した。彼はたびたび後部座席に乗ってみないかと私に勧めたが、陽くんの背中にすがりつく自分を想像すると鳥肌が立つのでやめておいた。どうせすがりつくなら、自転車に揺られる時江ちゃんの背中が良い。