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第十七話 バトル坊主

 彼女たちは二次会だか三次会に出向いていった。

 私は勤務を終え、帰宅するために少しだけ近道をすることにした。団地のあいだを突っ切るのである。山の上に造成されたこともあって、複数の棟の周囲には緑が生い茂っており、小さな公園だってある。そのくせ信号もないのだから、近道にはもってこいなのだ。

早歩きしながら、蒲生漂子のことを想った。あれは芽久佐などと名乗るべき存在ではない。前世とやらに振り回わされて、人生を棒に振っては不幸だ。他人の不幸を背負ってやるほど、私は臆病者でない。勇気ある逃亡者であり、偉大な落武者である。

――月明かりを雲が遮る。

――影に飲まれるのはバラバラの手足と指。

――草木には真っ赤な雨露が滴り落ちる。

 (ひどい幻覚だな。いよいよ病院かな)

 いわゆる前世の記憶が見せる光景だった。これらの由来も覚えているので、あまり恐怖は感じない。

 辻斬りをやったのだ。私に負けた者に恐怖を感じるのはおかしい。幽霊の類いならいざ知らず、動きもしないなら、襲われる心配もない。

 流石に気分が悪くなった。怖いなら急いで駆け抜けるべきところを、あろうことか小さな公園のベンチに座ってしまっていた。

いつもなら外国人労働者や不良がたむろして、いかがわしいことも珍しくないが、今日に限っては森閑と呼ぶに相応しい。


(いつ帰ろうか? でもな……)


 と、脳内で愚痴っていると、虚無僧が傍らに立っていた。

 私は別に時代錯誤とまでは思わなかった。駅近くの寺の坊さんが修行の一環で読経を改札口や繫華街でやっているのを何度か見かけたことがある。細かな服装や宗派の違いは存じ上げないが、この虚無僧も似たようなものだろう。徳の高い坊さんなら、私の懊悩を解決して欲しいくらいだ。

 何故か私は跳び退いた。

 恐怖なのか。

 ひょっとすると私は亡霊で、眼前の坊さんはお祓いの専門家なのかもしれない。

 ともかく錫杖の一閃を私は躱した。ついでに抜刀して斬ってやった。これで動けまい。

 そんなことを考えて、鞘に手を当てたが、腰には何もない。当然刀もない。

 どうやら私は遥か昔の愛刀が手元にあると咄嗟に思い違いをしていたようだ。坊さんもぴんぴんしている。


「玄人であったか。これは失礼した。本来ならば真っ向勝負といきたいところだが、我々も偽本尊をいつまでも拝むわけにもいかず……ご容赦を」


 木々の隙間からにょきにょき黒い影が生えていると思った時には、もう私はタコ殴りの憂き目に遭っていた。


「……」


 簀巻きにされて息苦しい。

 車のドアが開く音が聞こえる。

 エンジンがかかる。

 カーナビの音声が車内に響く。私の愛車と同じタイプだ。ああ、貸倉庫のために泣く泣く手放した愛車と同じタイプだ。今にして思えば、なんと愚かな行為だったか。

巡り巡ってならず者に攫われてしまうとは……。いくらなんでも誰が想像できよう。

 私が担ぎ込まれたのは、どこぞの寺院の本堂らしかった。単なる憶測の理由は、目隠しをされていたからだ。ただし布地が薄いおかげで、薄っすらと景観を見ることができる。

「ずいぶんお若いのですね」

 床に正座させられている私に話しかけてきたのは尼と思しき人物だ。尋問役に優しそうな者を充てて情報を引き出すのは常套手段であると私も知っていたので、それかとも思ったが、周囲の雰囲気は厳粛であり、私の想像より高位なのかもしれない。


「昏蒙尼と申します。どうぞよろしく」


「……」


「さぞお怒りでしょう? 彼らも荒修行ばかりで気が立っているのです。未熟者なのです。どうかお許しください」


「よろしくって言われても、わざわざ暴力に訴えるような人たちを信用できないですよ! どんな事情があるかは知らないけれど、とにかく無事に帰れる保証がないと協力もできないと思って欲しい」


 カルト教団の役職持ちと思しき尼相手に、どこまで常識が通じるものかわかったものではない。下手をすれば殺される危険もあると思う一方で、死体処理のリスクを思えば、この国における殺人など分の悪い博打としか私には考えられず、どこか高を括っていたことは否めない。


「その場合は信者になっていただきます。あまりに醜い方は加えない方針ですが、特別待遇なのです」


 そう――相手が弩級の愚者であるとは思わなかったのである。

 信者と、昏蒙尼はのたまった。

「会員登録すれば自動的、自発的にお喋りしてくれるようになるので、心配要らないのです」

 間違いなくカルト教団だ。舌をちろりと出して笑窪に指を当てているが、可愛くない。

 恐怖を感じる。かつてないほどに……。

 私は恐怖に押し負け、会話に応じることにした。


「話せば長くなるのですが、色々と端折ります。コホン、早い話が臼山コレクションに我らが崇め奉る御本尊が隠されているのであります」


 名探偵芽久佐の憶測は的中したようだ。


「買い戻せば良かったのでは?」


「いやいや、事はそんな容易には運ばないものなのです。何せ出品されていなかったのですから。我々も焦りに焦り、調査したところ、あなたが重要参考人として浮上したというわけなのです」


 そこまで血眼になって探すくらいなら、初めから手放さなければいいじゃないかと、私は素直に思った。


「はいっ! 今あなたが思った疑問についてお答えしましょう。あのクソ生意気なガキ……失礼。あなたのご先祖にとある事情から御本尊を貸し出したのですが、返却されたのは真っ赤な偽物。そしてこの事実が発覚するまで長い年月を要してしまったというわけなのです。ご理解いただけますと幸いなのです」


 心が読めるというか、皆が疑問に思う内容だったというか、何とも言えない心の読み方である。


「とりあえず身体を自由にしてくれないと何も思いつかないや」


「よく見るとどこか面影がありますね。そうそう、こうやって寝っ転がった時の横顔なんて、見れば見るほどおぞましいのです」


 ぶつくさ言いながらも昏蒙尼は縄に手をかけようとしたが、そこに件のバトル坊主が割って入って言った。


「少々危険かもしれません。下手に動かれては厄介なことになりかねません」


「勝てないのですか? まさか」


 昏蒙尼はカラカラと笑いながら、冗談も大概にしてください、と付け加えた。

 ぬっとりした手で私の身体は自由となった。

 尋問に素直に応じる素振りだけでも見せないとエスカレートしていく危険がある。それはそれとして、情報を吐かせたらもう用済みだと口封じされるかもしれない。

「約束は守りますよ。ええ、思いつくまで時間をいただければ、手がかりくらいはどうにか捻りだすから」


「軽い運動で脳みそをリサイクルするのです」


 少しはまともかと思ったがそんなこともなかったようだ。その証拠に私の手元には得物がある。どうもバトルは軽い運動に含まれる宗教団体らしい。せめて美女とダンスが踊れる宗教だったら良かったのに。


「ダンスバトルにしないか? どうせならそこの尼さんとさ、おててつないで踊りたいのだが」


 ため息交じりに吐いた言葉に噓偽りはない。

 どうして私がこんなに余裕ある態度なのかは自分でもよくわからない。


「……貴殿もようやく調子が出てきたようだ」


 向こうは錫杖で、こちら木刀未満の棒切れだ。


「では、始め」


 自信だけが無根拠でありながらも、いや、所在不明なだけの絶対的な確信が担保代わりに四肢に命令を下した。


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