第十六話 来客
わずか二日間でこのような激動の時間を詰め込まれてはたまったものではない。翌日には学業と労働が控えていた。とにかく一度仕切り直そうと私は考えた。この勢いに乗っかると、オカルトにせよエロにせよ、あらゆる意味で準備不足のまま破滅しかねない怖さがあった。
私は別に非日常を嫌がって日常を崇拝するほど不自然な人間ではない。私にもこういう業界に関わる機会が来たのかと、感慨深いものすらある。
ただし、ホラーやスリラー、スプラッターは御免こうむりたい。そこだけは、なんとかして見極めるつもりだ。
夜が明けて、すべてが夢だったかもしれないと隣を見れば、芽久佐が寝息を立てている。
どういうわけか朝食の支度が出来ていて、昨夜の夕餉と同じ状況だ。芽久佐をゆすって起こすと、
「もう……なんだよこんな朝早くからー……? ボクはキミと違って学生じゃないんだ。朝飯ならもう置いてあるだろぉ」
「あんたが料理したのか?」
「いや、ボクじゃないけど」
なんて、寝ぼけた返事をした。
着替えはあるのかと聞けば、いつの間にか積まれた段ボール箱を不機嫌そうに指差した。
「これから大学とバイトだけど、それで問題ないな?」
まさか白昼堂々妙な術で襲われたりしないかと念を押したつもりだった。
「いってらっしゃーい」
(クソが)
他人の家でする態度ではない。いったい両親はどんな躾をしてきたのだろう?
こちらを一瞥することもなく、また寝息を立てている彼女の図太さにはもはや感心する他ない。昨夜のしおらしさはどこへやら、だ。
*
大学で普段どおりに講義を終えた私は、いつものようにアルバイトに勤しんでいた。
「なんか、やつれてない?」
「ははは……睡眠不足なのは間違いない」
時江ちゃんの指摘はある意味正しい。だが、根本は別にある。あんなグロ映像を何度もフラッシュバックさせられては体調不良も当たり前だ。
扉の開閉が来店を知らせたので、座席に案内すべく私は厨房を飛び出した。
「ヤッホー!」
その客は風変わりな挨拶をした。常連ではない。
何人か女子を引き連れている。
いや、よく見れば――常連どころか、つい昨夜まで同じ布団で寝息を立てていた人物だった。
芽久佐である。しかも女子数名を従えての登場だ。どうやら高校時代の友人らしい。
昨日の軍服めいた作業着とは打って変わって、ふわりとしたスカートにブラウス、耳元で揺れる小ぶりなピアスまで付けている。足元はヒール。髪まで軽く巻かれているではないか。
私は思わず注文を聞く前に口を半開きにした。
横から時江ちゃんがすっと顔を寄せ、小声で囁く。
「……あんた、男だって言ってたじゃん」
「いや、うん……それは……見たろ、ついてたの」
「……」
沈黙の間に、芽久佐はキャッキャと友人らと笑いながらメニューをめくっている。
「……余興の女装の続きでもやってんじゃないかな」
変身術とやらが真実だとすれば、時江ちゃんの前に晒した男性の肉体こそ余興と言うべきなのだろうが、この際仕方あるまい。少なくとも時江ちゃんの前では芽久佐は男ということにしておこう。そして、この場では客と店員という立場を堅持しよう。
何せ、互いのプライベートなんてほとんど話したことがないのだ。
「ねえ、注文いい?」
芽久佐がこちらに声をかける。纏っている空気には悲壮感を感じない。まるで別人だ。
「……どうぞ」
私は注文を聞き終え、決められた台詞を言うと、そそくさと戻ろうとした。
「他人行儀なのはやだな。せめて周りにわかるような反応してくれ給えよ。これじゃ、可愛くない」
可愛くない、とはどういう意味だろう。
私の大人の対応が気に食わなかったのか、芽久佐は椅子から腰を浮かせて。まるで見せびらかすように、
「この人と同棲してまーす!」
と、宣言した。
案の定、同席の女子たちが、
「えっ、マジで⁈ 」
「ガモちゃん、やるぅ~」
と、ざわつき始めた。
(ガモちゃん?)
伝票の予約名に目がいく。
――蒲生漂子
これが、現世における芽久佐の本名なのか。よくよく考えてみれば、前世と現世で同じ名前を名付けられることなんてまずあり得ない。まして、特別な理由もなく改名することだって難しい。
わずかに名称が変わるだけなのに、彼女がまったく私とは無関係な存在のように思える。
「写真ないの?」
「年上? 年上?」
「あーあ、私もダンスやってめっちゃ瘦せたら彼氏できないかな……」
「結婚式で披露する的な?」
「やめてよ。独身女の魂の叫びなんて」
会話が漏れ聞こえるごとに、その感覚は強くなっていった。
「違う違う。他人のじゃなくって、自分の結婚式だって」
……バカ騒ぎはしばらく続きそうだ。
それにしても、同棲は言い過ぎだ。実家暮らしか一人暮らしなのかは知らないが、どこかに蒲生漂子としての住居があるはずで、実態は民泊のそれではないか。それも無料の。
料金の請求を固く決意する私であった。




