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第十五話 パイタッチなら可

 目が覚めたのか、それともただ現実へ戻っただけか──どちらでもいい。

 あの血の匂いが消えた瞬間、すべてが泡のようにしぼんでいく。

 眼前には、仇討ちの場ではない。竹矢来も、討手たちもいない。ただ、青いパジャマ姿の芽久佐が、私を羽交い締めにしている。


「……狸寝入り、ってやつ?」


 いたずらっぽく、けれどもどこか含みのある声で芽久佐が囁く。

「ボクは知ってるんだよ、そういう風に目を閉じて、気配だけ探るやつ。昔、あのときだって──ねえ、キミってば。覚えてないの? あの馬小屋の裏でさ、藁の上で……ほら、キミがうっかり手を伸ばして……あー、思い出せないのかなー?」


 小首をかしげながら、芽久佐が私を脱がせにかかった。


「お願い、後生だから……ボクだって、ずっと我慢してきたんだから……」


 手つきはぎこちなく、それでいて妙に確信めいていて、まるで昔の続きをなぞるかのようだった。


「……ちょっ……!」


 ようやく声が出た。咄嗟にその手を払いのけようとしたが、もみ合いの末、逆にバランスを崩して顔を近づけすぎてしまう。

 至近距離。

 青白い顔。潤んだ瞳。わずかに開いた唇。頬の赤み。

 ──血塗れの顔が、脳裏に差し込む。

 斬られ、倒れ、それでも微笑んでいたあの表情が、現実のそれに重なる。

 心臓が掴まれたように縮み、私は思わず身を引いた。いや、引こうとした。

 だが──


「キミ……もしかして緊張してる? いやん、なんかちょっと可愛いかも」


 完全に誤解している。芽久佐は、こちらの蒼白を、ただの初心と解釈したらしい。

 ついに、ずるりと腰をすべらせて、私の太ももに跨る。ズボン越しの感触が、やばい。

 だめだ、これは本格的にヤバい。


「……わ、わかった。じゃあ、えっと……パイタッチなら、可。可、ってことで」


 自分でも何を言ってるのかよくわからないが、混乱のなかでそう口走っていた。

 ぶっちゃけ胸板だ。女とか男とかじゃなく、これはたとえば……そう、体育の着替え中にふざけて太った男子の胸を揉んでみる、あれに近い。


「ほんとに?」


 芽久佐はぴくりと肩を震わせたあと、何かを決意したようにのボタンを上まで開け放つ。すべすべとした素肌が目に入り、やけに滑らかに整えられた胸元があらわになる。

 ほんとに絶無である。これが前世でも同じで、かつ男装までされては、性別の特定はさぞ困難を極めたことだろう。

 そっと、手を添える。指先に、弾力と熱が伝わってきた。


「う……ん……っ、ちょっと、キミ、力が入ってない。もっと……指、使って……!」


 芽久佐が私の手首をぎゅっと掴んで、引き寄せてきた。逃げられない。

 掌の下で、彼(彼女?)の体がわずかに震える。これはほんとうに、体育のノリでは済まない。


「キミの手、前と同じ……でも、違う……もっと、ほら、こうして──」


 芽久佐の指が、私の指の動きを導こうと絡んでくる。その熱心さには驚くばかりだが、彼女が顔を赤らめるたび、鮮血が脳裏をよぎり、次第に私の視界に侵食した。


「何人斬った? 誰を、いったい何の目的で……? 大義が、あったのは本当に最初だけで……金か? いや、でも金はそこまで……」


 錯乱しながらも、しっかり芽久佐の乳を握っているのだからお笑いである。自分でもその滑稽さはわかっているのに、指は離れない。


「落ち着けって。ここはあの頃じゃない」


 芽久佐が、背中をゆっくり撫でる。慰めというより、私が暴発しないよう手綱を取る仕草に近い。


「強姦だってやったんだぞ、俺は!」


 気がつけば、芽久佐の首を両手で締め上げていた。

 抵抗はしている。だが、ほんの僅かに力を抜き、私が気の済むようにさせようとしている節があった。その奇妙な余裕が、かえって私の胸をざわつかせた。

 一刻も早くこの場を離れなければ、オカルト以前に犯罪者になってしまう。だが、身体は思うように動かない。これだけ派手に暴れたら当然と言えば当然だが、振動で色々と物が散乱していた。マペット人形も机から転がり落ちていた。そもそもの馴れ初めは、前世云々を抜きにするならばこのイカともタコともつかぬ人形を芽久佐が配達したことから始まったのだ。何か、事態の真相を読み解くキーアイテムなのではあるまいか。だんだん冷静さを取り戻した私は、両手を芽久佐の首から離すことに成功した。


「……っぐ、ぅぼっ…けほっ……!」


 芽久佐は咳き込み、目を細めながら顔を上げ、


「ボク、こういうのにまだ不慣れだから」


 と、乱暴に口元を袖で拭った。



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