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第十二話 少女と見紛う美少年? 男装の麗人?

 思わぬ増援に襲撃者たちも驚きを隠せなかった。再度攻勢を強めたのちは、あっさりと退いた。分縛られていた賊もどさくさ紛れに姿を消しており、縄だけが落ちていた。事情を把握していそうな配達者に私は尋ねた。


「あんた名前は?」


「は? なんの冗談だ? ふざけているのかキミは?」


「昼間に自己紹介はしていなかったと思うんだが。状況もさっぱり理解できない」


「もういい! そういうことにしておいてやる。ボクは芽久佐だ。よく覚えておけ」


(メグサ? 姓か名のどっちだ?)


 芽久佐なる人物は苛立ちを隠し切れない様子でいる。これ以上、名前のことを持ち出すのはよくない。


「ところで、どうしてあんたはここにいるんだ? 連中の目的を知っているのか?」


「さあ? ボクが知るわけだいだろ。そっちこそ身に覚えがあるんじゃないか」


 身に覚えがなくもないが、ここまでされるほどじゃない。念のために臼山コレクションと、それにまつわる私の武勇伝をなるべく誇張のないように、緻密に芽久佐に教えた。


「ふーむ、話を聞く限りだが、買い手が欲しかった品々をキミが勝手に売り払った、ということだな。なら話は簡単じゃないか。まだどこかに隠していると踏んだ買い手のうちの誰かが、刺客を差し向けお宝の在り処をキミの口から吐かせるつもりだったんだろう」


 なるほど名推理だ。先ほどから芽久佐自身の素性が一向に説明されていない点を除けば、だいたいその線が妥当と思われる。あとのことは警察に任せればよい。襲撃者が退いたら即通報するつもりだったが、ひょっとすると夢現で見た幻覚の類いに過ぎず、いざ警察が到着しても、私が恥をかくのではないかとも思った。


「さては警察に頼む気でいるな。それはやめておいたほうがいい」


「なぜ?」


「魑魅魍魎の匂いがする」


 またオカルトである。島本一美の同種がそう何人もいてたまるか。よしんば相手が妖怪であったとしても、私を捕らえることすら叶わない雑魚なのだから、官憲の手にかかれば一網打尽も夢ではない。流石に二人で証言すれば警察も襲撃の事実は認めよう。私はその旨を芽久佐に力説したが、反応はいまひとつだった。


「ま、好きにするといい。ボクも証言すれば、警察を動かすことはできるだろうが、奴らの足取りまでは追えないだろう」


 芽久佐は物的証拠である手錠とロープをつまむと、口もとを歪め、ひょいと私に投げてよこした。よく見ると蛇の玩具にも似た形状している。嗜好品だろうか。しかし一体何の目的で?

 そんなことを思いながら拾おうとすると、腕を嚙まれかけた。蛇の玩具はさながら本物らしく頭をもたげ、まるで生命を吹き込まれたごとく、逃げ去ってしまった。

 私はあまりのことに言葉を失い、声が出なかった。


「どうだ、驚いたか。これからキミは、ああいう術の使い手を相手に大立ち回りを演じるんだぜ」


 芽久佐の言葉を脳みそが反芻する。

 正直、それほどの脅威を感じない。

 最も有利なはずの初手の奇襲をしくじったのだ。私は当然警戒するし、対策を練ってしまえば、もはや誘拐など不可能ではないか。

 地元警察でも十分に相手が務まるというのが私の見解だが、どうしてもと言うなら、オカルト方面の警察に通報してしまおう。

 通報と密告は私の大好物である。公権力を引っ張り出して気に食わない奴を成敗する瞬間はたまらなく心地よい。

 少女と見紛う美少年か、はたまた男装の麗人か。

 前門の虎後門の狼とは、まさにこのことだ。芽久佐はあれから帰ろうとしない。夜が明けたあたりまでは、私もとくに違和感を抱くことはなかったが、昼過ぎには流石におかしいと思って、理由を尋ねるついでに、素性まで聞いた。


「黒戸屋で用心棒やってるんだ。驚いたろ?」


 そもそも黒戸屋が何の店なのか、私は知らない。


「あのマペット人形もそこの商品なのか? というか、なんで昨日の現場にあんたがいたんだ……?」


 すると芽久佐は、やや照れくさそうに呟いた。


「覗き見するつもりはなかったんだ。ちゃんと商品が機能するのか確かめるのも、仕事のうちだからな」

 マペット人形になんの機能があるのやら。そんなことより目下の最重要課題は、この人物がいつお帰りになるかの一点に尽きる。


「あの連中、また来ると思うか?」


「しばらくは様子見だろうな。偵察くらいはあるかもしれないが、昨日ほどキミが慌てることはあるまいよ」


「……根拠を聞いても?」


「ボクがいるから」


 さも当然のことのように言い放った。芽久佐はよほど腕に覚えがあるらしい。だが、いつまでも居るわけにもいくまい。芽久佐が不在となれば、また襲われるかもしれない。私の脳裏に原口家が浮かんだ。適当な口実をつけて匿ってもらうのがよかろう。そうと決まれば善は急げだ。おそらく部屋は時江ちゃんの隣だろう。


「汗を流したいな。風呂は母屋か?」


「ああ、でも出禁を食らっている。普段はこいつだ」


 私は巨大な水槽を指差して言った。


「本来の用途はわからないが、こいつに水を貯めて、風呂代わりにしている」


これは好機だ。芽久佐の性別がわからなくては、そのうなじに対する評価が定まらない。


「ハハハ……正気か? キミはあれの用途を忘れているのか? いや、まさか……しかしいくらなんでも……そうかそうか、キミはボクを試しているのだな! その挑戦、受けて立とうじゃないか」


 芽久佐の顔が引きつっていた。男女の恥じらいではなさそうだが、芽久佐の性別は一人称と同じく男なのだろう。これで安心してうなじを無視できる。

 水槽の底に敷かれたタイルの隙間から、ほのかに小さな泡が立ち上っている。もともとは金魚か、もっと大きな錦鯉を飼っていたのだろうか。原口家を利用できない日に風呂として使われるこの設備だが、第三者視点で見ると面妖である。

 芽久佐が片脚をかけ、ついに躊躇いなく身を滑らせた。


「ふう……意外とぬるいな。この暑さでは仕方ないか」


 芽久佐は呟きながら、水面に肩を沈めた。途端に、まるで水族館の展示のように、水槽の内側にその華奢な姿が浮かび上がる。

 私は慌てて目を逸らした。というより、逸らしたつもりだった。視線というものはしばしば、意志の及ばぬところで勝手に仕事をする。


「ん?」


 芽久佐は器用に頭を後ろに反らすと、結っていた茶髪をほどいた。ぱしゃり、と水音がして、濡れた髪が一気に背中に垂れ下がる。

 女だ——。

 その瞬間、そう思わずにはいられなかった。

 水に濡れた髪が頬を撫で、滑らかな首筋に沿ってしなやかに揺れる。肩幅も細く、骨張っていない。背筋に、妙な張り詰めた緊張感があった。水滴がなぞる鎖骨のラインが、まるで意図的な美術構成のように整っている。だが――

 胸元が……ない。

 絶無、と言ってよいほど、平坦だった。もはや芸術の域である。どんな貧乳でもここまでの抑揚はそうあるまいと内心で評しながら、私は一瞬息を呑み——そのあと、そっと安堵した。


 (変な気を起こさずに済みそうだ)


 万が一の事態に陥った際に、男色家への転向を余儀なくされてはたまったものではない。一種のチラリズムが惑わせるのだ。芽久佐が男と決まってしまえば、半自動的に色欲は霧散した。

 タオルの陰に隠れた下半身に、可能性が残されている。それが何の可能性かは、私自身にもよくわかっていなかった。だが、重要な領域が水面下で未判明のまま保たれているという事実は、先ほどの言動とは矛盾するが、どこかしら希望を感じさせた。


「なにをそんなにガン見している?」


「水族館みたいでなんか面白いなと」


「ふうん?」


 芽久佐は眉をひとつ上げた。顔立ちは中性的で、睨まれるとぞっとするが、笑うと妙に親しみがある。困った顔をすると、さらに困ったことになる。

 潜水すると、芽久佐はまるで人魚みたいだ。私は視線の収拾がつかなくなり、とにかくどこか別のところを見ようと身を翻した。そして、そのまま——見てはならぬものを見た。

水槽の脇、脱いだままの上着の下に。

 ……あった。

 無造作に投げ置かれたそれは、明らかに女性用の下着だった。

 しかも、なんというか、妙に色気があるやつである。布面積が少なく、ストラップが華奢すぎて、実用品というより視覚効果に振り切ったそれ。水濡れ対策か、薄いシャツとともに丸めてある。

 私は脳が処理を放棄する音を聞いた気がした。いったい何がどうなっているのか。

 「男のふりをした女」なのか?

 それとも「女のような男」なのか?

 あるいは——そのどちらでもない何かなのか?

 そんな思考が三重螺旋のようにぐるぐる回ったあと、私はその場に崩れ落ちた。


「おい……!?」


 芽久佐が飛び出したことで隆起した水しぶきが、わずかにかかった。

 視界が暗転する直前、かすかに聞こえた。


「……変なやつ。何を今さら」


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