第十話 無断撮影を許すな
どうにも現実的ではない。何らかの謀略があるのではあるまいか。それともこれが俗に言う「脳を破壊される」という感覚なのだろうか?
いや、しばし待たれよ読者諸君、私は何も時江ちゃんが何者かに籠絡されたとか、そんな話をしようというのではない。そういう話は他を当たってもらいたい。くそつまらない映画の話だ。寝取られものが苦手な方々と同じく、私もそのジャンルの作品は好みではない。問題があるとすれば、そんな映画を学生の分際で撮る不気味な集団である。それもサークルとかではなくて、映像学科の課題として提出された代物だという。
映像学科主催の上映会に誘われて、ホイホイ出向いたのがいけなかった。
最初は私の近所でありがちな田んぼや小川が映り、たも網で魚を掬う少年少女らの姿が遠目にわかる。水の表現にこだわりがあるのか、若干の手ぶれがありながらも雨やらプールの描写が多い。どうやらドキュメンタリー風に少年少女の成長を描くという主旨らしい。子役も大変であったろう。とくにこの世の不幸を一身に背負ったかのような風格の少年など大した役者である。
ところがだんだんと話が進むにつれて、私の記憶と近似してゆき、知っている建物が散見された。そのうちの一つにカメラが入り、玄関のドアが開く。
グレーのセーターが画面の中央に現れたとき、私は思わず息を呑んだ。
細くしなやかな背中。背骨のラインがそのまま視線を導く。
カメラが、まるで無意識にでも操られているかのように、ゆっくりと彼女の体をなぞっていく。
そのセーターは、もはや布ではなかった。彼女の肌と一体化しているかのようにぴたりと張りつき、隆起や窪みの一つ一つを浮かび上がらせていた。
背中の大胆な開きから、腰のくびれへと繋がる線。細く整った肩甲骨が、まるで彫刻のように光を反射している。
彼女がゆっくりと振り向く。
胸元が横から映らぬよう、わざと切り取られた構図が、逆に想像を煽る。
唇の動き、まつげの影、首筋にかかる髪の流れ……そのすべてが、まるで匂い立つようだった。
定点でもなければ、手ブレでもない。だが、妙に生々しい。まるで、画面の向こうに誰かがいて、彼女に息を呑んでいる気配だけが伝わってくる。
次のカットで、カメラは彼女の顔を真上から捉えていた。床に膝をついて見上げてくる構図。その唇が、ぬるりと開いて、ほんのわずかに舌を突き出す。汗のひとしずくが、こめかみから滑り落ちる。
額にかかる黒髪が、わずかに揺れるたび、画面の中の空気が熱を帯びるのが分かる。そして胸元に彼女が手をかけたところで映像は途切れた……
なんだこれは!
私のプライベートフィルムが混ざっているではないか!
釈明しておくが、これは断じて恋ではない!
そもそも映像など残した覚えもないし、最後のセーターに至っては妄想の類いである。
私は慌てて後方のスタッフ席に詰め寄った。どういう仕掛けでこの映像が生成されたのか、詰問せねばならない。
「これ……これって、どうやって撮ったんですか?」
スタッフの一人が、いかにも斜に構えた口ぶりで答えた。
「え?とあるご家庭のホームビデオと、我々で撮ったものとを編集で繋ぎ合わせて、人生の流れってだいたいこんな感じだよねって表現したものですが」
断固として監督を詰問せねばならぬ。クレジットにデカデカと表示された島本一美に。
*
映像学科の棟の地下、機材置き場に島本は鎮座していた。古ぼけた写真機をこれでもかと撫でまわし、「いい子いい子」と口ずさんでいる。私は間違って魔界にやって来てしまったのではないかと目を疑った。
「ずいぶんと遅かったわね。この子もあたしも寝てしまうところだったのよ。どう?面白かった?」
「寝取られは趣味じゃないんです」
「あたしは好きよ。寝取られるのも、寝取るのも、寝取らせも。それにしても意外ね、あの映画からそんな解釈を導きだすなんて。あなたからしたら、むしろ純愛でしょう?」
「……」
図星だから黙ったのではない。あまりの色狂いな島本の発言に呆気にとられただけである。写真機も異彩を放っていた。私がかつて金策のために売り飛ばした、かの臼山コレクションの写真機だったからだ。骨董屋が言うには、あの写真機には妙な曰くがあったらしい。
「魂を抜いた……?」
彼女は例の写真機のレンズを覗き込みながら、かすかに笑っていた。どこか、神妙ですらあった。
「正確には、複製とでも表現するのかしら。レンズがすべての情報を吸収できるはずもないから、劣化コピーなぶん加工も楽なの」
レンズがこちらに向けられた瞬間、私は即座に後ろに駆け出した。
背に腹は代えられぬ。どうせ明治期の写真機に動体を捉える能力はあるまい。




