契約
数日が過ぎた。
ユウは点滴と魔素中和剤の投与を受けながら、白い天井の下でぼんやりと日々をやり過ごしていた。
魔力適性があるのに、こんなものが必要なのかと思ったが――いままで魔力と無縁だった身体が、急にそれに触れるのはやはり負担が大きいらしい。医師は“徐々に慣らすしかない”と言った。
傷は浅い。だが、それでも身体のどこかに、まだあの夜の“異界の冷気”が残っている気がした。
窓の外では、灰色の空を警戒ドローンがゆっくり旋回している。
監視塔の探照灯が夜通し街をなぞり、かつての「病院」という言葉からは程遠い光景を照らしていた。
静寂の中に、確かに戦時の匂いがある。世界がもう“平和”ではないことを、嫌でも思い知らされる。
退院を翌日に控えた午後、ドアが控えめにノックされた。
スーツ姿の男と、青灰色の制服を着た女性職員。
肩章には「国土保安局・対異能戦力整備準備室」の文字。
「神名ユウさん、神名美月さんですね。突然の訪問をお許しください」
抑揚のない声。官僚特有の丁寧さの下に、微かな圧が潜んでいた。
説明は要約すれば――“スカウト”だった。
政府は、魔力適性を持つ者を国家管理下に置き、対魔王軍の戦力として養成する方針を打ち出している。
とりわけ、“実戦接触を経て適性が覚醒した例”は貴重だという。
「もちろん、参加は任意です」
男は穏やかに言った。
「ただし、適性保持者が民間に残ることへの……社会的懸念もございます」
――断れる空気ではなかった。
ユウが言葉を探していると、先に口を開いたのは、美月だった。
「やります!」
即答だった。
「み、美月!」
「だって、異能部隊って響き、ちょっとカッコよくない? お兄ちゃんも行くでしょ?」
「いや、俺は……」
「いやいや、ここで飛び込まないのは堅実すぎるって! 堅実マンだよ!」
「堅実マンってなんだよ!? それを言ったらお前は軽率ウーマンだ!」
美月は昔から、ノリがいいというか――波が来たら乗ってしまえタイプだった。
だが今回は、そんな軽さで決めていい話じゃない。
「じゃあ私が先に出世して、お兄ちゃんの上官になるだけだね!」
悪戯っぽい笑顔。ユウは言葉を失う。
もう、彼女の中では答えは出ていた。
(一人でいかせるわけ、ないだろ)
スーツの男が、まるでそのタイミングを待っていたかのように書類を差し出す。
「こちらが仮同意書になります。ご退院時、正式な契約手続きに入りますので」
すべてが滑らかに進む。まるで、最初から筋書きが決まっていたかのように。
魔王軍。魔力。適性。
――あの夜の光景が、もう自分たちを“普通の兄妹”には戻してくれない。
ユウはペンを握った。
サイン欄に滲む手の震えを、美月だけが黙って見つめていた。




