使い捨て
午前四時三十二分。
夜明け前の空はまだ青くもない。
薄暗い霧の中で、トラックのエンジン音だけがかすかに響いていた。
第三駐屯歩兵小隊――名簿上36名、実動29。
欠員の理由は簡単だった。
休暇明けの負傷兵、休職中の通信士、そして「帰ってこなかった者たち」。
それでも“定数充足”の報告書は提出済みだった。
文書上では、この小隊は“完全戦力”だ。
「街の北方、約十キロ。灰の森の奥に巣がある」
小隊長・浅間一尉は淡々と説明する。
報告によれば、ゴブリン個体数は推定二百五十から三百。
明け方に活動開始、今のうちに叩く。
後方なので砲兵はない。出払っているので航空支援もない。
支給されたのは迫撃砲一門、弾五発。
それと“歩兵で殲滅せよ”という、簡潔な命令。
隣で通信兵が苦笑した。
「迫撃砲一門で“巣”って……森ごと燃やせるわけでもないのに」
「いいから準備だ。笑ってるうちはまだ大丈夫だ」
浅間は短く返し、地図を折り畳んだ。
四時五十七分、榴弾射撃。
ドン、ドン――五発が闇に落ち、地面がわずかに震える。
湿った土と腐臭が舞い上がり、霧の奥で緑色の影が動いた。
「命令通り、突入開始!」
浅間の号令とともに、三個分隊が二列縦隊で進む。
第一分隊が左翼、第二が主攻、第三が支援。
残り四名は迫撃砲班、後方待機。
銃口に装着した魔導センサーは――沈黙。
魔素障害でまともに動作しない。
“文明の装備”は、異世界の汚染下ではただの鉄くずだ。
巣穴は森の斜面の下、岩肌の裂け目。
入口には粗末な杭と、焼けた人骨。
人間の。
「ライト、最小出力」
暗闇を切り裂いた白光が、すぐに緑の目を照らした。
次の瞬間、咆哮。
突入。
狭い洞窟で小銃の反動が跳ね返る。
射線が通らない。
ゴブリンたちが、壁や天井から飛びかかってくる。
「後列、照明弾! ……いや、待て! 天井が――!」
遅かった。
吊り下げられた樹脂爆薬の罠が炸裂。
土煙と共に第一分隊が崩落に飲まれた。
「……三番から応答なし! 全滅の可能性!」
「撤退は許可されていない、前進!」
浅間は声を張り上げ、銃を構えた。
顔には血と灰。
目の奥だけがまだ冷えている。
洞窟の奥では、子どものような悲鳴が混じっていた。
群れをなして突っ込んでくる。
弾倉が空になる。
交換の暇もなく、銃床で殴り倒す。
泥、血、火薬、そして“におい”。
鼻がそれを記憶する。
「残弾、あと二マグだ!」
「構うな、撃て!」
叫びと銃声。
爆発の後で耳鳴りだけが続く。
午後一三時。
森の中は再び静かになった。
煙が上がり、腐臭と焦げの匂いが混じる。
小隊の生還者は17名。
残り12名は、洞窟の中か、地面の下か。
浅間は報告書の端に手書きで書いた。
「巣、殲滅完了。再発生の可能性高」
「……また来るんでしょうね」
通信兵が呟いた。
「そうだな」
浅間は答えた。
「だが、次は俺たちじゃないかもしれん」
空を見上げる。
曇り。
風に、焦げた血の匂いが流れていく。
一週間後、同じ座標に“新たな巣”が確認された。
現地報告の最終行には、短い一文が残る。
「再掃討任務を要請。状況変化なし」
この国の戦争は、 「変わらないこと」を確認するために人が死ぬ。




