夢の残り香
夜のティレナは、昼よりも騒がしい。
酒場の灯、怒号、そして遠くで鳴る銃声。
それでも、冒険者ギルドの前だけは一瞬だけ静けさがあった。
ミリアは帳簿を抱えたまま、深く息を吐く。
サーシャが隣であくびをした。
「今日も地獄みたいでしたね……」
「ええ、十件中六件が失敗。報酬未払い三件。……ほんと、“勇者輸出”の選考試験のほうがマシだわ」
二人の足元を、風がなでていく。
そのとき、ギルドの門の影に誰かが立っていた。
痩せた背中、擦り切れたコート。
だが、その顔を見た瞬間、ミリアは思わず息を呑んだ。
「……阿久津、さん?」
振り返った男は、少し笑った。
以前より痩せて、目の奥だけが強く光っていた。
「よお、ミリアさん。まだ帳簿と戦ってんのか」
「あなたこそ……ずいぶん久しぶりじゃないですか」
カイトは肩をすくめる。
「まあ、生きてるだけでニュースだろ。ここじゃ」
サーシャが慌てて言う。
「この前の件、まだ登録残ってますよ! 再開手続きすれば――」
「いいよ。もう“冒険者”は向いてなかった」
ミリアは少し眉を寄せる。
「……帰る気は、ないんですか?」
カイトは少し考えるように夜空を見上げた。
ティレナの星は濁っていて、それでもきれいだった。
「帰りたいかって? ……いいや、俺はここで死ぬ」
その声には、絶望よりも穏やかさがあった。
サーシャが小さく息を呑む。
「結局、ここは夢の墓場かもしれないけど、それでも……」
カイトは少し笑って、拳を握った。
「やっぱりここは、夢を見せる。負けた奴でも、誰かの始まりになれる街だ。――それがティレナだろ?」
ミリアは目を伏せ、帳簿をぎゅっと抱きしめた。
「……あなた、変わりましたね」
「そりゃ、夢を一度燃やしたら、灰の色ぐらい覚えるさ」
サーシャが微笑む。
「もう一回、登録してみません? ……“夢想者ランク”って新設されたんですよ」
「はは、それ、俺のための称号かもな」
カイトは笑いながら背を向ける。
その背中は、かつてよりもずっと静かで、強かった。
ミリアが小さく呟く。
「……夢って、本当に怖いわね」
「でも、きっと……この街に必要なんですよ」
サーシャの声は、夜風に消えた。
ティレナの街灯が、三人の影を伸ばしていく。
どこまでも、夜は明るかった。




