揺れる理性
──ティレナ東地区、日本魔法科学総合研究所。
薄明の廊下を、魔導炉の低い唸りが這う。
青白い蛍光灯がちらつき、空気はオゾンと焦げの匂い。
実験室の中央では、主任・佐原が試験管を掲げていた。
透明な液体の中に、虹のような螺旋が浮かんでいる。
それはゆっくりと脈動して――まるで、呼吸しているかのようだった。
「……生きてるな」
佐原の声は、畏怖と歓喜の中間だった。
助手の綾がタブレットを覗き込む。
「主任、反応温度が理論値を外れてます。再現性が――」
「再現性なんていらん」
佐原は笑った。
「生物が同じ瞬きを二度とできないように、奇跡も再現しない」
綾が困ったように眉を寄せる。
「……科学じゃないですよ、それ」
「違うな、綾くん。科学こそ、“神を観測する行為”だ」
背後で装置が微かに唸る。
魔力冷却管の中を、液体光が逆流した。
機器がエラーを出すたびに、佐原は嬉しそうに笑う。
「神とは不確定性の総称だ。我々が数式で捕まえようとする“例外”こそ、神の痕跡だ」
「主任……それ、本気で言ってます?」
「私はな、祈ったことがあるんだ。“もし神がいるなら、理屈によって再現できる姿で現れてくれ”ってな」
佐原は淡く光る試験管を見つめる。
「そしたら、答えがこれだ」
綾の喉が鳴った。
「……つまり、主任は――」
「そう、私はまだ“無神論者”だよ」
彼は微笑んだ。
「ただ、神を観測し始めた無神論者、というだけだ」
そのとき、炉心が震えた。
金属音が低く鳴り、実験棟全体が短く脈動する。
装置の魔導管に青い光が走り、室内の温度が急上昇。
「主任、臨界点です!」
「ふふふ、いいね。神は今日も近い」
非常灯が点滅する。
空気が揺らぎ、光が言葉の形を成す。
詩のような音――いや、詩そのものが聞こえた。
「――熱の中に、名を刻め。汝ら、理解不能を讃えよ」
綾が悲鳴を上げた。
「な、何ですかこの音!」
「詩的共鳴だよ。向こうの世界じゃ“祈り”と呼ぶらしい」
佐原の声は震えていた。
「……美しい」
次の瞬間、光が弾け、実験棟の明かりが一斉に落ちる。
静寂。
煙と焦げた匂いの中、佐原はまだ笑っていた。
「理屈は後でいい。まずは、奇跡を正確に記録してくれ」
綾が震える手でデータを保存する。
「主任……また、未知が増えましたね」
「いいことだ」
佐原は立ち上がり、黒く焦げた試験管を手に取った。
「未知が増えるほど、神は近づく。――それが、科学の進歩ってやつさ」
実験炉の残光が、夜明け前の空を赤く染める。
理論と詩が交わるその瞬間、確かに“何か”が、この世界に産まれていた。




