浮けよ小球
午後の講堂。
机の上には、金属製の小球がひとつずつ並べられている。
白くて、手のひらサイズ。見た目はただのベアリング。
黒板の前に立つエリュナが、感情を見せぬまま言った。
「――では、本日の課題。“ものを浮かせてみましょう”」
「えっ、いきなり!?」
莉音が目を丸くする。
直人も驚いて、彼の持つ「魔術」の知識から疑問をぶつける。
「もっとこう……呼吸法とか、瞑想とか、儀式的な何かがあるのでは?」
「ありません。浮かせたいと思えば、浮かせられるはずです」
淡々とした口調が逆に恐い。
「つまり……妄想の具現化、ですね」
直人がメモを取りながら呟く。
「そう。昨日教えた理論を実際にやってみるだけ。ただし――机を爆発させないでください」
その一言に、後ろにいた助手の数人が同時に目をそらした。
「では、魔術式の基本構文を唱えながら集中を」
エリュナが指を鳴らすと、部屋の照明が落ち、静寂が満ちた。
「“浮遊の式”――《イン カエロ》」
エリュナの指先がわずかに動く。
その瞬間、教卓の上の小球がふわりと宙に浮かび、ゆるやかに回転した。
ざわっ――。
教室がどよめく。
「おおおおお……!」
「……地味だけど、なんか感動する!」
エリュナは静かに言った。
「さあ、次はあなたたちの番です」
それからの十五分間は――
ある意味で、訓練所史に残るほどカオスだった。
美咲は両手を組み、まるで祈るように小球へ向かう。
「小球ちゃん……お願い、浮いて……」
誰より真面目なのに、一番ファンタジーめいていた。
莉音は謎のポーズをとりながら叫ぶ。
「動け、我がボール! 心を通わせるんだ!」
「動かぬなら、投げて浮かせる!」
「それ物理!」美月の即ツッコミが飛ぶ。
鷹真は腕を組んでうなりながら、
「筋肉の収縮を止め、エネルギーを――」
「……リラックス法では?」と誰かがぼそり。
直人は真剣に端末を叩いていた。
「波動パターン解析中……AIが成功率を――」
「真面目すぎて笑えないタイプ!」
笑いと焦りが入り混じる教室はまるで文化祭前夜のようだった。
それでも、不器用な声のひとつひとつに「届きたい」という願いが宿っている。
そして――ユウの番。
「神名、やってみろ」
エリュナの視線が、真っすぐに刺さる。
その冷たい瞳の奥に、わずかに期待が見えた気がした。
ユウは息を整え、両手をかざす。
掌が汗ばみ、心臓がひとつ余分に打った。
(浮かべ……軽く。空気みたいに。風船みたいに――)
「イン・カエロ」
空気がざわめいた。
球がふわりと上昇し、天井にぶつかって――パァン! と弾けた。
光と煙。悲鳴。焦げた匂い。
「ぎゃああ!?」「天井、焦げてる!?」
煙が薄れると、エリュナは眉間に手を当てた。
「……確かに浮きましたね。机を焦がさなかった点は、評価します」
ユウは苦笑し、視線を逸らす。
「つまり、俺、才能あるってことですか?」
「ええ、“浮かせる”と“吹き飛ばす”の違いを理解できれば、ですが」
笑いが広がる。
張り詰めていた空気がほどけ、教室が一気にあたたかくなった。
授業の終わり。
莉音が息を切らして笑う。
「ふぅ……魔法って、思ったより体力使うね」
「いや、精神力の話では?」
「どっちも減ったよ!」
鷹真は自分の筋肉を見つめ、直人はデータを保存し、美月は天井の焦げを写真に撮る。
その様子を見て――
エリュナは、光に照らされた横顔をわずかに緩めた。
誰も気づかないほどの、小さな笑みだった。




