魔術概論
翌朝。
訓練三日目――教官から告げられた次の科目は「魔術理論基礎」
講義棟の一室に、三十名の訓練生が集まっていた。
窓の外では霧がまだ消えず、光はやわらかい。
美月がどこで買ったのか分からからない杖を振り回しながら、呪文らしきものを唱える。
もちろん、何も起こらない。
「なにやってるんだよ……」
ユウは、自分の妹が本物のバカである可能性に、軽い絶望を覚える。
「良き魔術師は、杖が選ぶんだぜ……あっ」
「あっ……」
乾いた音がした。
美月は机が杖を強くぶつけ、綺麗に折ってしまった。
「危ないよ、美月ちゃん……」
美咲が呆れるようにたしなめる。
「ははは、朝から元気ですね」
鷹真は、テキストから目を上げて笑った。
丁度チャイムが鳴る。
「はい、それじゃあみなさん席についてください」
黒板の前に立つのは、エリュナ・フェル=リオネス。
昨日までの冷たい軍人の顔ではなく、今日は“教師”の表情だった。
「――では、質問です。魔術とは何か」
開口一番、それだけ言うと、チョークで黒板に大きく円を描いた。
「よく、“魔術とは想像の力”とか、“信念の形”などと言われますが、実際にはもう少し、俗っぽいものです」
エリュナは軽く笑みを浮かべ、黒板に書き足す。
『妄想の具現化』
「この言葉のほうが、あなたたちには通じやすいでしょうね。ただし、単に“妄想”すればいいわけではありません。思考と現実のあいだにある“変換”を成立させる技術――それが魔術です」
教室にざわめきが走る。
莉音が手を挙げた。
「じゃあ、想像力が豊かなら誰でも魔法が使えるってことです?」
「残念ながら違います」
エリュナは首を振る。
「魔力適性とは、“想像力の強さ”ではなく、“変換力”の差です。つまり、頭の中のイメージを、現実の構造へ翻訳できるかどうか。妄想を、世界の言語に直す力。それが高い者ほど、魔術を扱いやすい」
「じゃあ魔術って、“想像の翻訳能力”みたいなもんなんですね」
直人のつぶやきに、エリュナが頷く。
「いい表現です。人間の思考は“曖昧”ですが、魔術は曖昧さを嫌う。だからこそ、詠唱や道具が必要になるのです」
黒板に、式が描かれる。
想像 → 変換(詠唱) → 発現(現象)
「詠唱は、脳内の曖昧な想像を“言葉”に変換する工程。儀式や道具は、それを安定させる支点です。つまり――魔術とは、脳の中で発生した“非現実”を、現実の座標に落とし込むためのプロセスなんです」
「じゃあ、“詠唱なし”で魔術使える人って……」
美咲が小声で尋ねる。
「変換工程を省略できるほど、現実への干渉構文が強い人間。つまり、“自分の妄想を現実だと確信できる者”。ある種の狂気でもあります」
教室が静まり返る。
ユウはその言葉を聞きながら、昨日の“因果の前借り”を思い出していた。
撃つ前に結果が起きる――あれもまた、“想像が現実を先に確定させた”現象だったのかもしれない。
エリュナは一息つき、最後に黒板へ一文を書き足した。
『魔術とは、世界を信じる力ではなく、自分の“錯覚”を世界に信じ込ませる力である。』
「これが、第一講のまとめです。――質問は?」
誰も、手を挙げなかった。
ただ、霧の向こうで風鈴のような音が鳴り、
世界そのものが何かを思い出しているように揺れていた。




