魔法オリエンテーション
翌朝。
霧の切れ間から陽が差し、訓練所の鐘が鳴った。
空気はまだ冷たく、吐く息が白い。
その中心、広場に三十名の訓練生が整列していた。
緊張と眠気と期待が混じり合う靴音が並んだ。
「――これより、基礎オリエンテーションを開始する」
ざわつきが止む。
司令塔のようにそびえる演壇の上で、黒衣の女性が静かに立っていた。
淡い白金の髪を後ろで束ね、軍服の襟元には銀の紋章。
彼女の名は――エリュナ・フェル=リオネス。
王国から派遣された、異世界側の教官だ。
その姿を見た瞬間、空気がわずかに張り詰める。
彼女が一歩踏み出すたびに、足元の空気が微かに揺らいだ。
「初日は座学でも良かったが、言葉よりも“見た方が早い”」
その声は静かで、澄んでいて、妙に重い。
「魔法を“見たことがある”――そう思っている者もいるだろう。あるいは、“使ったことがある”という者も珍しくはない。だが、今からお前たちは知ることになる。――そんなものは、“魔法”ではなかったとな」
ざわめきが広がる。
莉音が隣で小声を漏らした。「え、こわ……」
直人が眼鏡を押し上げ、単眼鏡のような装置を構える。「観測装置のデータが取れそうですね」
エリュナは一歩前出て、片手を掲げた。
その指先から、淡い青の光が滴るように散っていく。
地面に描かれた複雑な魔導陣が、ゆっくりと目を覚ました。
ユウの目に映る幾何学模様が層を成し、日中だというのに眩しいほど輝いていた。
その中心で、空気が軋む。
「――式展開、完了」
静かな詠唱とともに、轟音が響いた。
光が地面をえぐり、演習用標的車が一瞬で形を失った。
爆発なんてものではない。もはや、存在が“消えた”。
風が逆巻き、熱波が頬を打つ。
ユウは思わず息を詰めた。
視界の端で、美月が息を呑んでいる。
「これが、魔法だ――正確には、魔術と呼ばれているものだ。奇跡ではなく、理論で動く」
エリュナの声が、冷たく澄んだ空に響く。
「力ではない。理の延長。学べば誰にでも届く現象。――だが、学ばぬ者には、一生触れられぬ奇跡だ」
誰も声を発せなかった。
ただ、光の残滓が霧の中を漂っている。
その美しさは、どこか恐ろしくもあった。
沈黙を破ったのは、壇上の横に待機していた青年だった。
銀髪に赤い瞳。整った顔立ちと、刺々しい気配。
アラン・フェル=グランディス。
「……なるほど。地球の観測装置で、これほどの“式”を解析できるとは思わなかった」
直人と似たような単眼鏡から目を離す。
皮肉めいた口調で言いながらも、その声の奥には、かすかな感嘆が混じっていた。
「だが、やはり粗雑だな。詠唱を省き、装置に依存した“模倣”。魔術をただの工具として扱う――それが貴様らのやり方か」
その言葉に、列の端で直人がわずかに眉をひそめた。
「……科学の努力を、軽く見ないでほしいですね」
アランが静かに目を細める。
挑発ではない、ただ本気の視線。
「ならば、生き残ってみせろ。その努力を結果で示せ」
二人の視線が、霧の中で交錯する。
その緊張を、エリュナが軽く咳払いして断ち切った。
「よろしい。口で言い合う暇があるなら、式の一つでも覚えなさい。午後からは基礎魔力測定を行う。――“現実”が、どちらに微笑むか見てみましょう」
彼女の背後で、消し炭のように焦げた地面が風に散る。
青白い光が霧の中に消え、再び静寂が訪れた。
ユウは拳を握る。
恐怖ではない。何かが心の奥でうずいた。
それは、畏怖と――ほんの少しの憧れ。
人の限界を越える“理”が、確かに目の前にあった。




