ビビりで、弱虫で、お腹弱い上司
部下の私と、上司の課長の何気ない一日。
「もう! 時間ないですよ、課長!」
私は歩道の真ん中でうずくまっている課長に叫んだ。数分前、プレゼン会場に行きたくないと、課長は急に小さくなった。
またなの……。私はイライラして課長に近づいた。課長がこうなるのはこれで3回目だ。
「イヤだ……行きたくない……胃が痛い……帰りたい……」
課長は、地面に向かってボソボソとつぶやいている。
無理やりにでも立たせなければ……。私は課長の腕を掴もうとした。すると、パッ!と課長は立ち上がり、
「トイレ!」
と叫んで、真横のコンビニに消えた。
「それではっ…お手元の資料をご覧くださいっ!」
課長の声が裏返った。何とか間に合い、プレゼンはスタートした。
思ったより大きな会議室だ。20人ほどの社員さんが、課長の声に耳を傾けている。
課長は頬を赤く染めている。声が裏返ったのが恥ずかしいのだろう。
私は補佐役として、会議室の端に座っていた。
「ちょっと、キミ」
オーダーメイドと思われる、青いスーツをピタッと着こなす男性社員に、私は手招きされた。
「ちょっとわからなくてね」
日焼けサロンに行ったばかりのような、頭からオイルをかぶったような、ギラギラしたその男性社員が、もっと近くへ来るようにと、高級時計をチラつかせ、私を呼ぶ。
「いかがいたしましたか?」
「ここの資料だけど……」
パソコンに表示された資料を、私はのぞき込んだ。
「ねぇ、キミ、名前なんて言うの?」
耳元で声がして、ふわっと香水が香った。南国を想起させる香りだ。私はいまにも吐きそうになった。
「え、あ、あの、菊池です」
「下の名前は?」
小指と小指が重なる。何でこのタイミングで私の名前を? 課長が必死にプレゼンしてるのに? やたらと距離が近いのは何?
色んな言葉が頭に浮かび、グルグルしていると、課長がこちらへやって来た。
「私の部下が何かしましたか?」
「え?」
「資料に不明な点でもございましたか?」
周りの社員さんは、いっせいにこちらを見た。数人の社員さんが顔をしかめた。ギラついていた男性社員は、急にテカリを失ったようになった。
「いや、この子が作った資料なのかな? これ。素晴らしいね、って言おうと思ったんだよ」
「ありがとうございます! 彼女の自信作です!」
課長は屈託のない笑顔で頭を下げ、熱いプレゼンを再開した。
私は椅子に戻った。弱音ばかり吐くくせに、こういう時は頼りになるんだよなぁ、課長って。
好感触でプレゼンを終え、私は課長と会社へ向かった。
「うまくいきましたね」
「うん……、ああ~、疲れた」
「何事もなく終わって良かったですね」
「いや、何事もなくないでしょ? あの次長さん、女好きで有名らしいけど、大丈夫だった?」
忘れていた、ゾワッとした感覚を思い出した。
「ああ、はい。あの後は何も」
私はそう言って、足を止めた。そして路地の隙間に入り、課長を引っ張った。
「課長、ハグしていいですか?」
「えー、まだ仕事中だよ?」
「お昼休憩の時間だし。いいじゃないですか。イヤな気持ち、思い出しちゃったんで」
私が身を寄せると、課長は自分の頬を指で掻いた。
「しょーがないなぁ……」
私よりぐっと背の高い課長が、引き寄せるようにハグをした。私は課長の胸に顔を埋めた。
「はあ、元気が出る。午後もこれで頑張れそう」
私がそう言うと、課長は私の髪にチュッとした。
「オレも」
私の頼りない上司は、私のとてもカッコいい彼氏です。
以前書いた短編を、修正してのせました。




