『*消えたい図書館』
昔むかしのお話です。
ある世界と異世界のあわいに、巨大な図書館がありました。
図書館を作ったのは、とても頭の良い種族……あまりにも「ちゃんと頭が良い」ものですから、戦争や疫病などというものは、その地にはすでに存在しません。
その種族たちは、あまりにも愚かな人間や、他の人外に嫌気がさし、「桃源郷」と名づけたその地に隠れ棲んだのです。そうしてあまりにも平和な地で、何よりの娯楽の場として、図書館を建設したのです。
図書館にはひとりの「主」がおりました。主はたとえば精霊のような……図書館の数えきれぬほどの本、一冊一冊から生じた「気」の集合体なのです。
主はそれは美しい青年の姿をしていました。透き通る長髪を背に流し、異国の和装に似た格好をし、小鳥が愛をさえずるような、綺麗な声でしゃべりました。
主は自分の図書館を愛していました。自分を生み出すきっかけとなった、頭の良い種族のことも、もちろん心から愛していました。しかし、優しく甘い生活は、長くは続かなかったのです。
頭の良い種族たちは、やがて重い流行り病にかかりました。病原菌のまき散らす疫病などではありません。他の種族がたびたびかかる「戦争病」でもありません。
それは、たいくつ病でした。あまりに平和で、何も起こらず、寿命はあきれるほど永く……そうです。桃源郷に暮らす種族は、「生きることに飽いた」のです。
たいくつ病は生活を蝕んでいきました。何もしたくない、何一つ口に入れたくない……。頭の良すぎた人外の一族は、無気力になり、何も食べず、何も飲まずに、緩やかに滅びていきました。
――遺された図書館の主は、芯から淋しくなりました。
ああ、私も消えていきたい。もうこの地にはあの一族はいない、図書館にも訪れてくれない。
……そうだ。ここにはまだ「図書館の案内人」が残っている。試作品として作られた、機械人形の少女が一体きり、口もきけるし動ける状態で残っている……。
あることを堅く決意した主は、「マシーネ」という名のからくり少女に告げました。
「……頼む、マシーネ。お前、これからは外の世界へ、『本の行商』に出てくれないか」
「……行商? なあに、それ?」
「なあに、何も『本当に商売してくれ』とは言わん。代金などは取らんで良い……ただ、この図書館の本棚に詰まっている本たちを、本好きな者たちに譲っていってほしいのだ」
マシーネはぱちりとまばたきし、小首をかくんとかしげます。
「……そうして、それからどうなるの?」
「ああ、分かるだろう、マシーネ? この図書館から本が消えれば、その時『本の気の集合体』の私も消えられる……。マシーネ、私は消えたいのだよ。そうして遥か黄泉の国で、亡びた一族に再会したい……!」
マシーネは急に口を閉じ、ぷすんと黙り込みました。黙って、だまって、もしや壊れてしまったのかと主が心配になった頃、いきなり笑ってうなずきました。
「――ええ、分かったわ、ヌシさま! あたし明日から、頑張って『本の行商』に出かけるわ!」
あっさりうなずいた少女のことが、主は少し意外でした。
(てっきり止めると思っていたのに、こいつは私のいなくなった後、独りが淋しくないのだろうか?)
(……ああ、そうか。何も私が消えた後、ここに留まる理由もない。私がいなくなった後、こいつは改めて外の世界へ旅立つ気なのだ……)
そう考えると、何だか無性に淋しいような気もしましたが、主はしみじみ納得しました。胸のどこかに穴の開いたような気持ちに、気づかぬふりで無理やりに笑みを浮かべました。
そうして少女は、本を詰め込んだリュックを背に、翌日から「本の行商」に出かけました。朝早く出かけ、日暮れ頃帰ってきたマシーネの背に、変わらずぱんぱんの緑のリュック……。
「……本を欲しい者が、ただのひとりもいなかったのか?」
「ううん! 一冊残らず本好きなひとたちに渡してきたわ! みんな大喜びだったわよ!」
「……では、そのリュックの中身は……?」
「ああ、これ! みんな『こんな素晴らしい本、ただでもらっちゃもったいない』って! それでお礼をくれたのよ!」
そう言って少女はリュックのチャックを開けました。……中にぱんぱんに詰まっていたのは、何だったと思います?
そう、本です。美術書に工学書、郷土料理のレシピ本、童話集に絵本まで……。からくり少女が朝早くに持っていったのと同じ数だけ、いろいろな本が詰まっていたのです!
「……お前……」
「え、だってしょうがないじゃない! みんなただじゃあ、受け取ってくれないんだもの!」
眉をひそめた図書館の主は、やがてくつくつ笑い出します。涙の出るほど笑ってから、ぐりぐりとマシーネの頭を撫で回して言いました。
「……かなわないな、お前には!」
そうです。やっぱりマシーネは図書館の主に、消えてほしくはなかったのです。だから「本をさしあげる代わりに、一冊あなたの本をください」と、あげるたびお願いしたのです。
そうして、それはいつだって一緒でした。それから何度「本の行商」に出ようとも、少女は必ず同じ数だけ、代わりの本をリュックにぱんぱんに詰め込んで、笑って帰ってくるのです。
ですから主は、「いつになったら図書館から本がなくなるのかのう……」とつぶやいて、苦笑うことしか出来ません。もしかしたら、先に少女が壊れてしまって、その時には自分に真の孤独が訪れると……分かっていながら、苦笑うことしか出来ません。
それからどれほど経ったのでしょう。
誰が見たのか、聞いたのか……世界と異世界のあわいに建つ図書館には、今でも主とからくりの少女がいるそうです。そうして、巨大な図書館の棚という棚は、いまだに素晴らしく多くの書物で、埋まっているそうですよ。