『*いにしえのキャンディー・ガール』
昔むかしのお話です。
とある国のとある村に、ひとりぼっちの青年がいました。青年は幼い頃に両親を馬車の事故で亡くして、他に誰一人身よりもなく、村のすみっこで暮らしていました。
ちっぽけな農地を地主様から借り受けて、汗を流して耕して、朝夕二回、自分の口に入るのは小さな黒パン、水みたいな具なしのスープ……。
青年はただただ、一生けんめい生きていました。友人もいない、恋人もいない、そんな自分で当たり前だと思っていました。自分には幸福を求める権利などない、ただただ毎日畑を耕し、小さな黒パンと水みたいなスープを口にし、やがて年老いてたった独りで死んでゆく……そういう運命と思っていました。
そんなある日の真夏の日、青年はあんまり暑くてあんまり汗をかいたので、畑で一瞬手を休めて、ひたいの汗をぬぐいました。見上げればかんかんでりの夏の空、雲一つない晴天です。
「……おや? あんまり暑くて目までおかしくなったのかな? 何だか人の形したものが、空から落っこちてくるように見える……うわ! わわ!??」
つぶやく目の前に「人の形したもの」が墜落し、青年は思わず飛びのきました。何ということでしょう、今目の前に落っこちてきたのは、本当に人です、生き物です!
「――いや、人間なわけはない……何かの理由で羽根をもがれた天使かな? ……いやいや、そんなこと言ってる場合じゃないや、大丈夫ですか!? どこかお怪我はありませんか!?」
青年の声に、畑の土にめりこむように落ち込んだ「人の形した生き物」は、土にまみれた顔をゆっくり上げました。
――まあ、その姿の美しいこと! さらさらと長い黒髪に、飴を思わせる、透けるような赤い瞳……。空から落ちてきた生き物は、いっそ悪魔じみて綺麗な少女だったのです。
「あなたはどこのお生まれですか?」
「あなたはどうして、よりにもよって空から落ちていらしたんです?」
青年が何度訊ねても、少女は答えませんでした。いえ、答えられませんでした。少女は青年の言葉が理解出来ないようなのです。少女は青年が問いかけるたび、ぽそぽそと何かつぶやきますが、その音は青年が知らない言葉ばかりでした。
青年はそれでも、少女を放っておくことはとても出来ませんでした。自分の住むあばら屋に少女を連れて帰って、自分の分の黒パンを食べさせ、薄いスープを飲ませました。
少女はどちらにもほんのひとくち口をつけて、「もう大丈夫、おなかいっぱい」というふうに、ほんのわずかに微笑みました。その笑顔があんまりにも可愛らしくて、青年の胸の奥がきゅうっと音を立てたのです。
――生活は、何一つ変わりませんでした。今だって青年は地主から借り受けた畑を汗を流して耕して、口に入るのは小さな黒パンに、水みたいに薄い具なしのスープ……。
それでも、今は少女がとなりにいます。ほんのひとくち、青年と同じものを口にして、あばら屋の中で掃除をして、この頃覚えた縫い物をして、黄ばんで破れたレースのカーテンをつくろったりして、青年を待ってくれています。
青年の話す言葉も少しずつ覚えて、青年の名を呼んでくれます。「あなた、いいひと」「あなたを好きよ」と、つたない言葉で心からそう言ってくれるのです。
青年は、芯から幸せでした。彼女はきっと、一生けんめいな僕を哀れにおぼしめして、神様の遣わしてくださった天使なんだと……。そう思って今まで以上に一生けんめい畑を耕し、たがやしました。
……そんなある日、青年のあばら屋に一人の老人が訪ねてきました。老人は薄汚れた白衣を着て、重そうな灰色のリュックをしょって、「わしは異世界の研究者じゃよ」と言いました。
「なに、こんな村の外れに異世界とのつながりなどは、十中八九あるはずもないが……研究者とはほんのわずかな可能性でも、探らずにいられぬ人種なのでな!」
偉そうに胸を張るそのしぐさが、何だかひどくいやみに見えます。青年は「お察しのとおり、ここいらには異世界とのつながりなどは真実かけらもありませんよ」と返事をし、野草のお茶でも一杯飲ませて、帰っていただこうとしました。
……しかし、あばら屋の狭いキッチンで野草茶を淹れ、少女が老人に運んできた時、老人の目は恐いくらいに輝きました。
「――おう! おう! その飴のように美しい赤い瞳……! お嬢さん、あなたは『キャンディー・ガール』じゃないか!? 素晴らしい、こんな村外れでキャンディー・ガールに逢えるとは!!」
「……何ですか、そのキャンディー・ガールとは? 彼女は昔、何でか空から落ちてきた、僕のパートナーですよ……?」
「空から!? それはすごい、それじゃあその時、空に『異世界との境界』にほころびが生まれたんじゃな! そのほころびから落ちてきた、この子は異世界で育った子じゃよ!」
何がなんだか分かりません。混乱する青年の後ろに隠れるように、少女は老人を恐がるように見つめています。老人は一人で興奮し、両手をぶんぶん振り回して勝手に言葉を続けます。
「いいかい、この子はな、異世界では『不老不死の妙薬』なんじゃよ! この子は体を砕くと甘いキャンディーみたいに割れて、そのかけらを口にすると、不老不死になれるそうじゃ! その昔、異世界からこちらの世界へ迷い込んだ旅人が、文献に残した情報じゃ!!」
青年は、体じゅうの血が一気に冷えた気がしました。そんなこと、そんな事実をもしどこぞの貴族や王が耳にしたなら……、
青年は老人に向かい、頭が床にくっつくくらいにおじぎして、何度もなんども頼みました。
「研究者様、どうかどうか、このことは他に漏らさぬように……研究書で『どこの国のどこの話か分からない』ようにして書き記すのは構いませんが、どうかこの子の身には危険が及びませんように……!!」
「ああああ、分かったわかった、分かっておるよ、重々承知だ……!」
そう返事して、研究者はふわふわと雲の上を歩くような足取りで、あばら屋を去っていきました。
――そうして、後はお察しのとおりです。そんな「田舎の人を下に見る」ような研究者が、青年の願いを聞き入れるはずもありません。あくる日にはもう、とある貴族の差し向けた家来たちが、「キャンディー・ガール」をさらいにやって来たのです。
「どうか貴族様のご家来がた、少女のひとかけはこのわしに……わしには『キャンディー・ガール』の研究をおし進めるという、偉大な使命がありますからな!」
何ということでしょう、そう言って家来たちの背後でにやにや笑うのは、他でもないあの老人、昨日の研究者本人です。青年は目から火の噴く思いで老人をめいっぱい睨みますが、面の皮の厚い老人、にやにや笑いを止めません。
少女はかんと頭に響く悲鳴を上げ、嫌がって白い両手で自分の頭をかばいます。青年も己の背中に少女を隠し、細い両腕を精いっぱいに広げます。
「止めろ! もしどうしても彼女を殺すというのなら、僕から先に……、」
そうしてその次の言葉は、永遠に出てきませんでした。青年が言い終えるより先に、家来たちの手にしたぎらぎら光る長剣が、青年の薄い胸をぐっさり貫いていたのです。
青年は物も言わずにくず折れて、赤い血を噴いて亡くなりました。鉄臭いベリーのソースのような液体が、古い木の床にじわじわ鮮やかに広がります。
……その光景を目にして、少女は高く叫びました。つがいを殺された小鳥のような叫びでした。高い声で叫んでさけんで、自分の悲鳴に耐えかねたように、少女の体はみるみるうちにひび割れて、ばらばらに砕けて赤く染まった古い床に落ちました。
壊す手間がはぶけたと、家来たちは喜び勇んでそのかけらを残らず拾い、主のもとへと運びました。さっそくその日、貴族の屋敷では老人を含めた「選ばれし者」たちが集まって、何か宗教の儀式さながら、少女のかけらをいっせいにその口へ入れました。
……「神様がご覧になっている」とは、こういうことを言うのでしょうね。なるほど、異世界の生き物が口にすれば、キャンディー・ガールは不老不死の妙薬でしょう。しかし「この世界」は、キャンディー・ガールの生きていたのとまったく違う世界です。
結論から先に言えば、この世界の人間にとって、彼女は「猛毒」だったのです。彼女のかけらを口にした者は、みるみるうちに肌が灼けて、赤く爛れてずる剥けて、……
……それでも、ちゃんと「薬効」はありました。彼女のかけらを口にした者は、みな不老不死になったのです。
そのうえ、不老不死になった者たちの頭には、新たな記憶がべっとりこびりつきました。それはキャンディー・ガールの少女の持っていた記憶……青年の優しさ、彼と過ごした穏やかな日々、彼にいだいていた愛しさ、その彼を殺された時の絶望と「身が砕けるほどの」怒りと……。
そんな記憶がべったりとりつき、赤い肉塊と化した者たちを、内側からも責めるのです。
肉塊たちは、それぞれの地獄に堕ちました。
もう何もかもあきらめきって、本当に「物言わぬ肉塊」と化した者。
少女の記憶にさいなまれて気が狂い、「人を襲う化け物」となってしまった者。
そうしてせめてもの罪滅ぼしを考えて、青年と少女の記憶を行く先々で伝えようと、ぼたりぼたりと体を引きずり、永いながい旅に出た者……。
……そうです、目の前の私が、その貴族たちのなれの果てのひとりです。こんな赤剥けの肉塊みたいになりながら、「不老不死の飴」を口にしたあの日から、何百年経った今でも、こうして出逢った人々に、話して回っているのですよ……。
* * *
「ですから、むやみやたらにおかしなものは口に入れてはなりません」……。
何だかずれた教訓を洩らし、ぐずぐずの肉塊のような「そのひと」は、ぐっぐっとのど奥で湿った音を立てました。もしかしたら、笑ったのかもしれません。
私たちは何一つ気のきいたことも言えずに、ただお話をしてくださったお礼を言って、「彼」のもとから立ち去りました。
二人で再び森の中を歩き始めて、しばらく経って、黙りこくっていた博士が、ぽつりと口を開きます。
「――なあ、ザフィー。お前、『おとぎの卵』を口に入れるの、そろそろ止めにしたらどうだ?」
ああ、そんなことを考えていたのかと、私はおかしくなりました。
おとぎの卵……その土地土地に棲まう「土地神様」の持っている、いわば神のアイテムです。それを神様からいただいて、口に入れれば、数多くの「その土地のおとぎ話」が語れるようになるという……。
「大丈夫ですよ、博士。私はもともと『おとぎ話の記録装置』としてあなたに造られたものですから、『おとぎの卵』を呑み込んでも、まったく負担にはならないのです。昔話なら、いくらでも……!」
――何を間違ってしまったのでしょう、私は何を言ったのでしょう。博士は何だか凍りつくような顔をして、また黙りこくってしまいました。しばらく黙って歩いてから、私を振り向いて言いました。
「……それじゃあザフィー、この前話した、俺がどうして黒い飴菓子をこんなに好きになったのか……」
その後の記憶が、ありません。
どうしてでしょう、どうして博士が突然に、リコリムのことを口にしたのか……そもそも博士がどうして、あの漢方薬のにおいのお菓子を好きになったのか、どれだけ記憶を探っても、情報が見当たらないのですよ……。