『*骨くいと骨くわれ』
昔むかしのお話です。
とある国のはしっこに、地獄のようにひどい孤児院がありました。
あまりに貧しく、「とても自分では子どもを育てられない」ような両親からひっぺがすように子どもを「保護」し、食べさせるものと言ったら一日ひと椀のおかゆだけ。虐待、身売りは当たり前、その孤児院で「十歳まで生きられたら運が良い」――。
そんな孤児院から、ある時ひとりの少年が命からがら逃げ出しました。職員たちは全員がキノコのスープで食あたり、おなかが痛くてまともに動けぬそのチャンスに、子どもの中で一番元気の残っていた、孤児院に入りたての少年がやっと逃げ出したのです。
逃げ出したのはいいけれど、少年は他に行くところもありません。彼は「両親からひっぺがされて保護された」訳ではなかったのです。彼の両親は貧しさに負け、ひと椀のおかゆさえ食べられずに、二人とも飢えて死んでしまっていたのです。
……少年は? 少年はまだ両親よりは元気でした。彼は痩せきって硬い肉だけれども、お肉を食べていられたのですから。……そうです。少年の両親は、彼が飢えてしまわぬように、自分たちの肉を削って与えていたのです。
少年は両親が死んだ時、亡骸に泣いてすがって、そのごっそりと削げた肉の感触で、ようやくそのことを知ったのです。
そうしてついに、少年も両親と同じ運命をたどるところを、幸か不幸か……最悪の孤児院に引き取られていったのですから。
「……ぼくはこれから、どうしていけば良いだろう……」
呆然とつぶやいた少年の言葉に、ふいにぬっと誰かが訊ね返します。
「――あらあら、どうしたの、可愛いボウヤ? 何かお困りのことがあって? お姉さんが聞いたげるわよ?」
いつの間に背後に回っていたのか、金髪美人がすぐ横に顔を寄せています。少年は心臓が口から飛び出そうなほど驚きました。……けれど正直、心細くてしょうがなかったところですから、今までのことをそのまま全部打ち明けました。
すると美人はふわふわの金髪をほわんと揺らし、赤いくちびるへ笑みを含んで「ふぅん」と甘い声を出しました。そうしてますます甘い声で、少年の肩へ柔らかく手をかけるのです。
「――それじゃあアナタ、わたしと一緒に旅に出ない? そうして成長して、歳をとって……いずれアナタが死んだなら、アナタの骨をわたしにちょうだい!」
少年は自分の耳が壊れたのかと思いました。ぽかんと口を開いて自分を見る少年に、美人はますます妖しい笑顔で、あっさりとこう打ち明けたのです。
「実はわたしね、人外なのよ。今は金髪に翠の目で人間のふりをしてるけど、本当は銀髪に水晶色の目をしていてね……見た目に歳も取らないの! だからわたし、一つ所に長くいると『人外だ!』ってバレちゃうからね、あちこち旅して歩いているの……!」
どこに驚いて良いのか分からないくらい、びっくりとびっくりの連続です。もう口もきけずに口を開いている少年に、美人はたんたん言葉を重ねます。
「わたしはね、『骨くい』っていう種族の魔物なの! 別に食べなくたって死にゃあしないけど、人間の骨が大好物なのよ!」
骨くい、聞いたことがある……ぼんやり思う少年に、美人は肩に置いた手にじんわり力を込めながら、歌うように語るのです。
「それでアナタ……そうアナタ! 骨くいにとってはね、なかなか『美味しい骨のにおい』がするのよね! 今はしょんわり痩せてるけれど、一緒に旅してたくさん歩いて、ミルクもたっぷり飲ませてあげる、おなかいっぱい食べさせてあげる! そしたら歳とって死ぬ頃には、そこそこの健康体に……けっこう美味しい骨になるわよ!」
「でも、若くて一番美味しい時に食べれば、もっともっと美味しいんじゃ……」
少年は思わずそう訊きました。思わずそう訊いてしまうくらい、人生に疲れていたのです。すると美人は芯から意外そうな顔をして「とんでもない」と答えたのです。
「――とんでもない、アナタいったい何を言うの? 生きているのを殺して食べるなんて、そんなかわいそうなこと! 良いのよ、わたしはそこまでグルメじゃないわ、お年寄りのくたびれた骨でも満足よ……! それに一緒に旅していれば、ケガや病気でとちゅうで死んでくれるかもしれないし……!」
そう言って舌なめずりをする人外美人に、少年は黙ってうなずきました。うなずくことしか出来ませんでした。彼にはもう、他に行く道はないのですから。
「あら、アナタ今うなずいたわね? いい? 本当にいいの? じゃあ決まりね、よろしくボウヤ! わたしはルディア、『骨くいのルディア』よ! ボウヤ、アナタのお名前は?」
「……お、オステオ……」
「オステオね、分かったわ、よろしく!」
きゃらきゃら笑って白い手を伸ばす人外に、オステオは口ごもりながら手をさし出し……「いずれ食われる」約束のように、しっかりと握手をしたのです。
ルディアは人間のふりをして、美しい声で歌いました。道ばたで、酒場で、泊まった宿の食堂で……。そうしてみんなが歓声を上げると、「歌の聴き賃」をさし出した帽子に入れてもらって、旅の路銀を稼いでいました。
――そうしてやはり、人外でした。
彼女は夜中になると墓場をあさり、人骨を掘り出して「薄汚れたキャンディー」を舐めるみたいに舐めしゃぶり、それからばりばりと音を立てて食っていました。
……それでも、少年は彼女から逃げ出そうとはしませんでした。
甘い声、優しい笑顔、時おり見せるはにかんだ顔……。誰がなんと言ったって、ルディアは彼の「命の恩人」なのですから。
それにオステオはもう嫌というほど知っています。あの孤児院での職員たちの、意地の悪い顔、歪んだ笑顔、こちらの顔へつばを吐きかける時のあの表情……人間だって言ったって、「性質の悪い人外」みたいな生き物は、うんざりするほどいることを。
……オステオもやがて歌を覚え、二人は連れ立って旅をして、各地で共に歌を歌って、そうして旅を続けていました。
やがてオステオは、すくすくと成長していきました。美味しいミルクを毎日飲んで、おなかいっぱいごはんを食べて、ルディアと一緒に旅して歩き……たくましくなり、美しくなり、何だかまるで「ルディアの恋人」のように、夫婦みたいになっていき……、
そうして、やがて老いてきました。ほおにしわが寄り、ひざが痛くなり、腰が曲がり、ついには歩けなくなって、旅先の地で倒れました。
……ルディアは、その地の郊外に古い家があるのを見つけ、今までちょっとずつ貯めていた「歌の聴き賃」を全部はたいて、その一軒家を買いました。
そうして、ルディアは倒れたオステオのお世話を始めました。ごはんの用意、おトイレのお手伝い、「床ずれ」にならないように老人の体をベッドの上で少しずつずらして……。老人はしわくちゃの笑顔で、涙しながら言いました。
「……ありがとう、ありがたいが……もうそんなことしてくれなくて、良いんじゃよ……」
ルディアは何も聞こえぬふりで、老人の手をさすっています。白い細い手をかすかな力で、それでも懸命にきゅっと握って、老人は言葉を連ねます。
「……わしは、今まで生きてこられた。幸か不幸か、大ケガもせず、病気にも事故にも遭わず……なあ、ルディア、今こそわしを食う時だ。食ってまた何食わぬ顔で旅に出ろ……『一つ所に長くいると、人外だとバレてしまう』んじゃろう……?」
返事をしないで微笑うルディアに、オステオはなおも言い重ねます。
「もう良いよ、もう十分だ……わしはもう歳だ、お前と違う、人間なんだ……」
「くっ」と、赤い口から耐えきれずに声が漏れます、今は擬態も解け去って、透き通る水晶色の瞳から、ぽろぽろと塩辛いものがこぼれます。……そんなルディアのほおへ、ようやっとしわくちゃの手を触れて、オステオはくちゃくちゃの笑顔を見せます。
「……ほらほら……ようやくお前の望みのものが手に入るのだから、そんな情けない顔をしないで……。この日のために毎日ミルクを飲んでいた、この歳でもそこそこ骨は丈夫なはずだ……、どうか……」
「どうか、美味しく食べておくれ……」
老人はそう言ったきり、かすんだ目をつむったきりで……二度と、もう二度と、目覚めてはくれませんでした。ルディアは泣いて泣いてないて、涙も涸れると彼を火葬し、残った骨を小さな壺に入れて、抱えて、独りで旅を始めました……。
* * *
語り終えたご婦人は、抱きしめるように抱えた壺を、さする手つきで撫でています。
「あれから、もう数百年……あと何年かかるでしょうか、『神のみぞ知る』ですけれど……。旅して旅して、いつかあのひとの生まれ変わりに出逢えたら、私は言ってやりますの、『食べないでずっと大事に持ってたわ!』って……」
目の前の人外のご婦人は、お話の中の口調よりずっとしとやかな口ぶりで……彼女のたどってきた旅の、年月の深さを思わせます。
「……それで、再会したら、いったいどうなさるんですか……?」
「それから? それからは、あのひとが『うん』と言ってくれたら、また一緒に旅に出ますわ……」
「……しかし、そうしたらその骨はどうします?」
「どうしますって……? うーん、どうしたら良いでしょうねえ……今さら食べるのももったいないし、捨てる訳にもいかないし……ずっとそんなこと繰り返してたら、お骨が増えるばかりですねえ……」
つぶやくようにそう言って、ご婦人は何とも言えない微笑を浮かべて、また白い壺をさすります。そんな「骨壺のご婦人」にお礼を言って「聞き賃」を払い、私と博士は小さな宿を後にしました。
「いやいや……たまたま泊まった安宿で、こんな『お話』に出逢えるとはね……」
「あの、博士……今回のお話は、厳密に言うと『昔話』にはカテゴライズされませんが……私の記憶装置のかたすみに、保存していても良いでしょうか?」
「ああ、かまわんよ」
博士は何だかぽうっとして、別事を考えていたようです。いきなり二三回咳ばらいして、何でもないようなそぶりで私に問いかけました。
「……なあ、ザフィーア。お前はいったい『生まれ変わり』って信じるかい?」
「いいえ、博士……。私はやはり『機械』ですから、そういうものを先程のご婦人や人間のように、たやすく信じられはしません。まるきり『美しいおとぎ』のようで……」
そう答えたら、博士は何だかくしゃみを我慢するような、何とも言えない表情になって……。
でも本当は、私も考えていたのです。このあいだの百目の女神との出逢いから、ずっと考えていたのです。だから私は博士を見つめ、まっすぐな声で答えました。
「けれども、正直『信じたい』という気持ちもあります。ですから、博士……あなたがいずれ亡くなった後、生まれ変われるというのなら……」
……ああ、いや……その後は何と言ったのでしたっけ……。遠いとおい昔ですから、記憶がぼやけて……忘れてしまったようですねえ……。