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『*神様の片想い』

 昔むかしのお話です。


 ある国のある森の奥深くに、神力で黒い館を造り、ひとりの女神が棲んでいました。女神は森に漂う神気がこごって生まれた存在でしたが、どうしてか魔物のような不気味な見た目をしていました。


 ……そうです。女神はその体に、色とりどりの百の瞳を持っていたのです。赤に緑、黄色にむらさき、オパールのように揺らぐ虹色の瞳まで……。まばたいては閉じ、また開く百の瞳は美しけれど、何とも異様な見た目です。


 女神はみずからの手で九十八の目をえぐり、「ふつうの女神」になろうとしたこともありました。けれども、瞳は十日もすれば、また生えてきて元どおり。自分でもどうにもなりません。女神はおのれの姿を恥じ、獣だらけで人間はめったに来ない森の奥に、たったひとりで棲んでいました。


 ……にもかかわらず、中には百年にいっぺんほど、森の奥に迷い込む人間がいるのです。彼らは女神に「森に自生する薬草のお茶」をふるまわれ、女神の館の中にある大きく不思議な鏡を通り、無事に森の入り口まで帰してもらい、あわてて逃げ去っていくのでした。


 その時に女神が迷い子に話すのは、自分の百の瞳のことです。「いつも薬草の茶ばかり飲むせいか、我の目には薬効がある。この目を一つ口にしたらば、たちまち重い病も癒え、死ぬばかり病弱な者もあきれるくらい丈夫になる」……。


 女神は何の気もなしに、ただ事実として話の種にそう言うのですが、やっぱり百年に一度たまたま迷い込む他に、人間たちはやって来ません。不老長寿を望むような貴族様や王たちも、さすがに女神のその瞳を呑むのはごめんだったのです。


「そもそも化け物まがいの自称女神の言うことだ、本当はその話がまったく嘘で、呑んだとたんに全身で転げ回って苦しんで、血を噴いて死んでしまうとも限らん。そんな最期はまっぴらだ!」


 王や貴族たちは女神のうわさを耳にしても、皆がみんなそう考えて「森に家来をさし向けよう」とは、誰も思ってもみませんでした。


 ……だから女神は数千年、もうずっとひとりぼっちで棲んでいました。百の瞳をたがい違いにまばたきし、心の底では迷い子の訪問を待ち望みつつ、たったひとりで黒い館に暮らしていました。


 そんなある日、春の日ざしのあたたかなうららかな森の金曜日、ある青年が女神のもとへ訪ねてきました。迷い子ではありません、わざわざ百の目を持つ女神を、館まで訪ねてきたのです。


 青年はこう願いました、「俺にあなたの瞳をください」……いきなりの申し出に驚く女神に、青年は重ねて訴えました。


「俺はこう見えて妻子持ちです、美しく優しい妻に、まだ幼い可愛い息子……。そのひとり息子が病弱で、医者に言われているのです、『この子はとおまで生きられない』と。俺は息子に育ってほしい、いずれ大きくなった息子と、酒をみ交わしたいのです……」


 自分が老いるまでこの世にあれと、言葉の外に含ませて、青年はなお語ります。


「ですから俺は、失礼を承知でこの森の奥の館へ、あなたを訪ねてきたのです。どうかこの俺に、あなた様の瞳をひとつ、たったひとつ下さいませんか。さすれば俺はその瞳を持ち帰り、幼い息子にそれを呑ませて、病も何も受けつけない、丈夫な体にしてやりたい……!」


 思ってもみない事の連続に、女神は百の瞳をたがい違いにぱちくりさせます。そのまばたきを拒否の前ぶれと受け取ったのか、青年は栗色の髪をちらりと揺らし、必死さを帯びた青い瞳を大きく見開いて言いました。


「どうかどうか、お願いします! 色とりどりの宝石のような瞳をお持ちの、世にも美しい女神様……!!」


 女神の百の瞳が、まるでいっせいに見開きました。美しいなんて、化け物みたいなこの姿を美しいなんて、女神はこの世に生まれて一度も、言われたことがなかったのです。


 女神は百の目を見開いたまま、穴の開くほど青年の瞳を見つめました。青いあおい、それこそ宝石のような瞳には、百の目を持つ女神の姿が映っています。青年のまなざしにひとかけの嘘もないことを、女神はその時知りました。


 ――そうです。青年は本当に女神を「美しい」と、芯から想っていたのです。


 その瞬間、女神は恋してしまいました。「美しく優しい妻」と「幼く可愛く、病弱な息子」を持つその男に、愛を覚えてしまったのです。女神は、いつもの自制をきれいさっぱり忘れました。神ならではのごうまんと、芯からのわがままで胸がいっぱいになりました。


 そうして女神は、己の持つ瞳の中で一番美しいオパール色の瞳から、ぽたぽた涙をこぼしました。流した涙を宙から取り出した小さなちいさなグラスに受けて、それを青年へさし出しました。


『――これを飲め、青年。これをひとくち口に含まば、お前は神になれるのだ。老いもせず、死にもしない、我と同じ神の体になれるのだ。我はお前が気に入った。妻も子も忘れ、我と同じ神となり、永遠に共に生きてくれ……』


 女神の言葉に、青年の顔つきがみるみる険しく変わりました。たった今まで美しいものを見る目をしていた青い瞳も、燃え立つ青い炎のように、はげしい怒りを帯びました。


「これは何と……! お断りします、俺は妻子を忘れることなど出来ません! そうして女神様、あなたがくれぬと言うならば、俺は死ぬ気であなたに斬りかかり、その瞳をひとついただき、息子のために持ち帰ります!!」


 青年は言いざま腰の短剣を抜き、本当に女神に斬りつけます、かざした短剣を手もなく奪い、女神は泣き笑うような表情で、男をその場に見えない糸でぐるぐる巻きに縛りつけ、百の目をまばたいて言いました。


『――それでは、我はお前が「うん」と言うまで何も与えぬ。ひとかけのパンもやらん、ひとくちの水すら与えぬぞ。お前はずいぶんが強そうだが、餓死寸前まで飢えて渇けば、その意志の風向きも変わるだろうて……』


 女神はそう言い残し、その部屋を去ってしまいました。


 男は何も食べず、何も飲まずに、日に日に弱っていきました。初めのうちはやっきになって見えない糸をふりほどこうとしましたが、日が経つにつれ手足に力が入らなくなり、目を開いているのさえ、つらくなってきたようでした。


 女神は青年が本当に餓死寸前になるまで放置し、もう一度彼の前に現れました。青年はやっとの思いで目を開き、百目の女神を死に絶えそうに、かすむ青い目で睨みました。


『……どうだ青年、我の婿になる気になったか……?』


 超然とした女神の言葉に、青年はかすかに微笑みました。それから静かに目を閉じて、わずかに首をふりました。女神は百の目をゆっくりゆっくりまばたかせ、そっと青年のほおへ手を触れ、女王のように命じました。


『――目を開けろ』


 青年は目を開きました。飢えと渇きにかすんでいても、綺麗な青い瞳でした。その目をじっくりのぞき込み、女神は笑い出しました。泣き出しそうな笑いでした。


 青年の青い瞳には、女神は映っていませんでした。ただ広いひろい部屋に置かれた、本棚や赤い毛織のじゅうたんや、そんなものばかり映っていました。


 そうして女神は、今やもう青年は、こちらに対して何の興味も持たないことを知ったのでした。神様というものは、「何の興味もない相手の瞳には、まるで映らない」存在なのです。


 ……そうです。青年はもう女神のことを、「万病に効く薬の瞳の持ち主」としてしか、見ていないのです。もう「宝石のような色とりどりの瞳をお持ちの、美しい方」とは思ってもくれていないのです。


 女神はぱちぱち百の目をせわしくまばたいて、やがてその百の瞳から、透けるしずくがあふれて流れて……とうとうあきらめきった女神は、青年を見えない糸から解放し、物を食べさせ、水を飲ませて、自分の瞳をひとつえぐり抜いて与えて、不思議な鏡から森の外へと逃がしたのです。


 ……その後、青年は自分の家へと帰りつき、幼い息子に女神の瞳を与えました。「風邪をひいても命取りになりかねない」ほど病弱だった息子の体は、それからめきめき丈夫になって、やがて大きく成長し、父とお酒を酌み交わすようになりました。


 青年は少しずつ老いていき、神になれなかった自分の体を愛しんで、浮き出してきたしわもしみも受け入れて、一緒に老いた妻のとなりで、微笑んで死んでいきました。眠るように死んでいき、花の絶えない小さなお墓で、今でも眠り続けています。……


* * *


 ……語り終えた「百の瞳の女神様」は、何だかどこか痛んだように、百の目をまばたいて微笑みました。


『と、まあ、これが我の昔話だ。もう数百年前の話だ……例の青年、魂とやらがあるとして、今はどこで何をしているか……転生に転生をくり返しても、同じ魂の相手と結婚し、同じ息子に恵まれて、幸せに暮らしているのかのう……』


 返事も出来ない私と博士に、ひとりぼっちの女神様は首をかしげてまたい、その目からぽつりと涙がこぼれました。女神は宙から取り出したグラスにそっとしずくを受けて、博士に黙ってさし出しました。


『――つまらん話を聞いてもらった礼だ、もし良ければ飲んでくれ』


 うろたえる私たち二人に向かい、女神様はなおもグラスをさし出します。


『……よく分からんが、お前たちは「人間と人外のつがい」に見える……ずいぶんと仲が良いようだし、寿命の違いはつらかろう。赤髪の人間、お前も神の体になって、末永く共に旅でも続ければどうだ……?』


 私は言葉を失って、博士の顔を見つめます。博士は女神の顔を見つめて、それから小さく笑みを浮かべて、はっきり首をふりました。何も言わずに首をふり、もう一度笑みを浮かべました。


 女神もその反応を予期していたのか、何だか淋しそうに微笑って、グラスを握るそぶりを見せると、グラスは涙ごとかき消えました。


 ……不思議な鏡を通らせてもらい、森の入り口へたどり着き、二人は歩き始めます。春のうららかな日ざしの中を、ただただ黙って歩いて、歩いて……何だか無性に機眼が潤んで、私は何度もまばたきました。


 博士は人間、私は機械人形からくり。この先博士は少しずつすこしずつ老いていき、いずれは私は独りになります。そういうものです。だって私は、死なない機械なのですから。


 ――独りに、なったら。私はどうすれば良いのでしょう。博士はどうして、神の体になるのを断ったのでしょう。「生き物は老いて死にゆくものだ」と、人でいることを選んだのでしょうか。


 私は博士の顔をうかがい、何事か口にしようとして、何と言ったら良いのか分からず、やっぱり口をつぐみました。


 目の前を黄色いちょうがひらひら飛んで過ぎました。あんまり激しい風が吹いたら、ばらばらになってしまいそうにか弱く小さく……だからよけいに、綺麗でした。

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