『*うろこがあるから』
昔むかしのお話です。
ある村に、可愛らしい少女がいました。少女の名はカメリア。宝石みたいな翠の瞳、燃え立つような赤い髪……カメリアは両親にそれは可愛がられ、「愛らしい天使」とまで呼ばれ、村の誰からも愛されて、幸せにしあわせに暮らしていました。
カメリアは五歳の誕生日に、村のいたずらな少年たちに招かれました。少年たちはカメリアを「近づいてはいけない」とされる村はずれの湖へ誘い、誕生日のパーティーを開いたのです。
その日のおやつのクッキーや、アイスティーをこっそり持ちよった、おままごとみたいなパーティーでしたが、子どもたちは芯からそれを楽しみました。口うるさい大人たちの目を盗み、禁忌の湖のほとりで、自分たちだけで開くパーティー! 楽しくない訳がありません!
すっかり気分を良くした子どもたちは、やがてクッキーとアイスティーにも飽きて、カメリアの持ってきた金色のボールでボール遊びを始めました。けれど遊んでいるうちに、ボールはカメリアの手をそれて湖へ落ちてしまいました。少女はさあっと顔色を変え、必死の声音で叫びました。
「あれはわたしの亡くなった兄さんのものなの、とても大事なものなのよ! だけどわたしは泳げないのよ、誰かあれを取ってきて!」
カメリアは一生けんめい叫びますが、いたずらな少年たちは誰も湖に入ろうとしません。みんなやたらともじもじして、小声でひそひそ言い交わすのです。
「この湖には主がいるっていうじゃないか、大きな白蛇の化け物が……」
「この湖で泳ぐ者は、罰が当たってみんな死ぬっていうじゃないか……!」
「もう! あなたたち本当におくびょうね! ぶつぶつそんなこと言ってると、わたしあんたたちを芯から嫌いになっちゃうわよ!」
可愛がられ放題のカメリアがわがままにそう叫んでも、少年たちはもじもじしり込みするばかり。と、突然水面から何かが顔を出しました。ざぶうという水音に、少年たちはびくうと肩をはね上げました。
『わああ!! 白蛇の化け物だぁ!!』
少年たちは叫びながらてんでんばらばらに逃げ去って、カメリアは湖のほとり、本当にひとりぼっちです。まあ情けない、あの男どもったら! そうして何なの、湖から上がってきたのは……?
少年たちへの呆れと、水面から顔を出したものへの恐れと混じって、立ちすくむだけの少女のもとへ、湖から現れた色の白い青年が、ぴちゃぴちゃと水をしたたらせ歩いてきました。
……そうして濡れみずくの大きな手で、金色のボールをさし出しました。間違いない、ちゃんと兄さんの形見のボールです。青年の白い肌には、びっしりと透けるうろこが浮いています。
――すごいわ、綺麗な蛇みたい……。
素直にそう思うカメリアを見つめ、青年はさらさらの金髪から透き通るしずくをしたたらせ、何だか申し訳なさそうにまゆをひそめて微笑みます。
「ごめんね、びっくりさせたよね……きみたち人間は知らないだろうけど、ぼくは水棲の種族なんだ。この湖の底にはひとつ巨きな街があってね、ぼくみたいな水棲の種族がおおぜい棲んでいるんだ。きみらの話が聞こえたから、ぼくがボールを取りに水面へ上がってきたんだよ」
カメリアのほおにじわじわ血が昇り、少女は興奮した様子で、ぎゅっと青年の手を握ります。びっくりしたように金色の目を見開く青年に、カメリアは満面の笑みを向けました。
「すごい、すごいわ! まるきりおとぎ話みたい! そうしてお兄さん、わざわざわたしのために姿を見せて、ボールを取ってきてくれたのね? ありがとう、素敵に優しいお兄さん!!」
青年は金色の目をなお見開いて、それから何だか泣き出しそうに微笑みました。
「……うん、こっちこそありがとう……」
「何で? どうしてあなたがお礼を言うの? 百パーセント、わたしがあなたにお礼を言うべきよ、本当にほんとにありがとう!!」
「いや、うろこだらけのこの姿、きみが驚かないでくれたのが、本当に嬉しかったんだ……でも、このことは他の人間にはないしょだよ……?」
そう言って首をかしげる青年の肌には、相変わらず美しい透けるうろこが浮いています。カメリアは素直にうなずいて、それからふっと真顔になって、青年の顔を見上げました。
「……ねえ、お兄さん、お名前は? そうして素敵なお兄さん、わたしたち、また出逢えるかしら?」
「……オピス。ぼくの名は、オピスだよ」
短い名だけ口にして、再び逢えるとも何とも言わず、青年はうろこの浮いた手をふりました。カメリアはちょっと残念でしたが、もう一度心からお礼を言って、ボールを手にして自分の村へと戻りました。
――けれど、カメリアの人生はそれから変わってしまったのです。村へと戻った彼女を待ち受けていたのは、あらぬ偏見の渦でした。
「湖に落ちたボールを手にして戻ってきた、カメリアは湖に入ったに違いない」
「きっと主に呪われたに違いない、カメリアは呪われた子になった」……。
そんな偏見の渦の中、少女は冷たい視線に刺されて死にそうな想いをしながら、村の中で生きていました。やがて育ちゆくカメリアの肌に、あの青年のそれと同じ無数のうろこが浮いてきました。
「そら見ろ、やっぱり呪いなんだ」
「彼女は呪われているんだ。近づくな、近づくと呪いが伝染るぞ……」
五歳のあの日、誕生日パーティーを開いてくれたあのいたずらっ子たちも、もう口もきいてくれません。カメリアの両親も変わらず優しくしてくれるようで、もう「愛らしい天使」とは、間違っても呼んでくれなくなりました。
――カメリアは、もううんざりでした。
わたしは一生、誰とも添い遂げることも出来ず、独りでこの村に飼い殺しで、おばあさんになっていくのかしら……?
十七になったカメリアは、ある日家の手伝いで、小川に水汲みに行きました。白いベールを目深にかぶっても、のぞくほおには透けるうろこが浮いています。誰とも会わぬように願いつつ、川で水を汲む彼女の横を、立派な馬車が通りました。
村ではめったにお目にかかれない、それは立派な馬車でしたので、カメリアも思わずそちらの方へ目を向けました。馬車にかかった何十ものレースのカーテンのすきまから、金髪に青い目の青年がちらとこちらを盗み見ました。
……青年は「嫌なものを見た」と言いたげに身を震わし、さっとカーテンを引いて馬車はそのまま通り過ぎます。カメリアはいつものことながら、何だかうら寒いような気になって、ほおのうろこへ手を触れました。
そうして、それっきりでした。あとはもう何事も起こらずに、カメリアは鬱々と日々を過ごしていました。
それから半年が経ったころ、ぽつぽつ雨が降り出しました。雨はだんだん激しくなり、何日経ってもいっこうやまず、刈り入れ時だった麦や野菜は水で腐っていきました。
そうです。長いながい雨のあまり、村を飢饉が襲ったのです。村じゅうが望んでも日は照らず、麦や野菜はますます腐り、食物は減ってゆくばかり……そんな中、村の巫女が「神憑き」になり、こんなお告げをくだしたのです。
『白い肌の全身に無数のうろこが浮いた娘を、生贄として村はずれの湖に捧げよ。さすれば湖の主の白蛇が、この長雨をやますであろう』……。
村人たちは大喜びで、カメリアを縛りあげました。ことさら嘆く両親の目に、カメリアは喜びの色を見ました。
「ああ、これでやっかい払いが出来る」……間違いなく、涙を流して嘆いてみせる両親の目の奥の光は、そう言って心から喜んでいました。
――ああ、もう良い、何でもいい。どうにでもなれ、もう知らないわ……。
カメリアは何もかもに見捨てられ、何もかもを見限って、小舟で湖の中央あたりへ連れて行かれて、どぼんと放り込まれました。
沈んで、沈んで、しずんで……気がつくとカメリアはどこも縛られてもおらず、今までに身につけたこともないほど白く綺麗なドレスを着て、広いひろい部屋の中に立っていました。
そうしてカメリアの目の前に、いつかのうろこの青年が……あの五歳の誕生日に出逢った、オピスが黙って立っていました。その肌にはやっぱりびっしり、透けるうろこが浮いていました。
オピスは、本当に申し訳なさそうに細いまゆをひそめにひそめ、泣き出しそうに赤い口を開きます。
「カメリア、ごめん。ごめんよ、今までだましていて……」
「――分からない、全然分からないわ……! どういうことなの、ねえオピス?」
「……ぼくは、白蛇。この湖の主なんだ。水棲の一族なんかじゃない。ぼくはあの時、五歳のきみに恋をして、きみに呪いをかけたんだ」
オピスは金色の目を細め、カメリアのほおに触れました。うろこの感触を指に感じて、そうっと指をすべらせて、目をそらしながら打ち明けます。
「……ぼくには未来を読む能力がある。きみはいずれ、おしのびで旅行をしていた王子様に見初められ、海の向こうの遠い国で、女王様になるはずだった。それをぼくが、きみをうろこだらけにして、通りすがりの王子の興味をなくさせたんだ」
「……王子って……」
つぶやくカメリアの脳裏に、いつかの通りすがりの馬車の姿がよぎります。カーテンのすきまからこちらを見やり、穢いものを見るような目をした青年が、ぼうっと脳裏に蘇ります。
「王子様はきみを見つめて、うろこに怯えて通りすぎて……運命はそこで変わっていたんだ。そうしてきみは、今ぼくの……きみが五歳の時から、身のほど知らずにきみに恋した、白蛇の前にいるんだよ……」
オピスの金色の瞳から、涙がひとすじしたたります。そんな白蛇の青年の手をとり、少女はうろこの浮いた手の甲に熱烈に口づけました。金色の目を見開くオピスに、少女は心からのとろけそうな笑顔で告げました。
「――やったわ、わたしの望んだ通りだわ!」
思いもよらないカメリアの言に、オピスは固まってしまいます。何も言えない白蛇に、カメリアは燃え立つような赤毛を揺らして打ち明けました。
「実はわたしね、五歳のあの時、優しいあなたに恋してしまっていたの! 王子様なんて、くだらない! 肌にうろこがあるってだけで見る目を変える、そんな人間たちにわたしうんざりしていたの!」
「でも、でもきみは、本当なら今ごろ女王様だったんだ……! ぼくのせいで、うろこの呪いをかけたせいで……!!」
「冗談じゃないわ、そんなに言葉を飾らないで! 異国の王子に小さな村の田舎娘がつり合うわけがないじゃない! 正味は『何十番目の側室』か『後宮の遊び女』あたりが相場でしょう?」
ぐっと言葉につまるオピスに、少女は翠の瞳をきらきらさせてすり寄ります。
「そんな運命、くそくらえだわ! わたしはあなたのそばが良いの、うろこだらけのこの体も、あなたとおそろいで嬉しいのよ!!」
「でも……でもきみは、だんだんと蛇になるんだよ? 見た目だけじゃない、その性根まで、蛇らしく変わっていくんだよ……?」
そう言いつのる白蛇の赤いくちびるに、カメリアは熱っぽいキスを捧げます。逃げ出しそうになる二股の舌に舌を絡めて、つうとつばきの橋をかけて、生贄の少女は……白蛇の花嫁は、「望むところよ」と挑むようにも微笑みました。
* * *
……そうして語り終えた少女は……少女の姿の、もう何百年も同じ姿で生きているだろうカメリアは、博士と私に満足げに微笑みかけます。
胸もとのあいた白いドレスをまとった肌には、びっしり透けるうろこが浮いて、人間だったとは信じがたいくらいです。カメリアは蛇のそれとそっくりの瞳をした翠の両目を、幸福そうにぱちぱちさせて笑います。
「もうわたし、幸せで幸せでしょうがないわ! あのひとの能力で寿命も底なしに永くなったし、この水底の城で最愛のひとと一緒に、ずうっと生きていけるんだもの!」
そう言ってころころ笑うカメリアを、城の奥から誰か若い声が呼びます。
「――ねえ! そろそろ話を切り上げて、こっちに戻ってこないかい? たった今ね、とっても美味しそうな大きなカエルを二匹、ぼくが捕まえてきたんだよ!」
「はあい! 今行くわ、オピス!」
弾けるようにそう応え、カメリアはこちらへちらっと手をふります。次の瞬間、私たち二人は巨きなおおきな湖のほとりに立っていました。
……私たちは何だかお互いにむずむずしながら見つめ合い、何か言いかけてお互いに口をつぐみます。黙って二人歩き出して、その後もそのことに関して、何にも話せませんでした。
本当は、私は問おうとしたんです。博士は何が言いたかったか、いまだに私には分かりません。けれどあの時、私は何故だか、こう訊ねようとしたのです。
『ねえ、博士……もしあなたが、私と同じ機械人形になれるとしたら……あなたはいったい、どうしますか?』