『*かたちづくれ、世界』
昔むかしのお話です。
今からずっとずっと昔、世界はまだ「世界」ではありませんでした。ただただ暗い闇だけの、得体のしれないエネルギーがそこらでもろもろうごめくだけの、ただそれだけの空間でした。
しかし、そんな「無」ばかりの空間にやがて変化が訪れました。もろもろとうごめいていたエネルギーが集まり、凝り固まって形になり、巨きな体の「神様」がお生まれになったのです。
神様は、美しい赤毛をしていました。そうして宝石の柘榴石のような、赤いあかい綺麗な瞳をしていました。
神様は独りぼっちでした。彼は最初、そこらにうごめくエネルギーが今ひとたび凝り固まって、自分と同じような「神様」が生まれ出でるのを、永い間待っていました。しかし、いつまで待っても空間に変化は起こりません。新たなる神はいつまで経っても生まれません。
神様はそのチャンスをあきらめて、今度は自分で「神様」を創ろうとし始めました。かなうなら、自分と同じ赤い髪、赤い瞳の女神を創り、その女神を自分の妻にしようとして……。
けれども、いくら頑張っても、神様は創れませんでした。そこらに漂うエネルギーを粘土のようにこねくって、丸めて伸ばして、何千回、何万回と形づくっても、「女神様」はまったく創れませんでした。
神様はついに自分の妻をお創りになるのをあきらめて、世界を創造なさろうと、再びエネルギーを粘土みたいにこねくって、丸めて伸ばして、一生けんめい働きました。
……けれども、やっぱり無駄でした。
神様が犬のような、猫のような、馬のようなものの形を創っても、全てがもろもろと血色に崩れて、無へと還ってしまうのです。
神様はしまいに独りぼっちの自分自身に絶望し、「無に還りたい」と望まれました。
「ああ、我は無に還りたい。ここまで孤独を味わうものなら、生まれる前のもろもろとしたエネルギーに戻りたい、何も感じぬ無に戻りたい……!!」
そう心から念じた瞬間、神様の体はばらばらに爆発したのです。それは巨きな爆発でした。あまりにも美しい、信じられぬほど巨大な花火のような爆発……神様は消え去るその刹那、目のはしでちらとその光を眺めて、ふっとかすかに微笑ったそうです。
……そうして、その爆発から宇宙が誕生したのです。
ばらばらになった神様の両の瞳は太陽と月に、両腕と両足は宇宙を支える柱となり、その髪は色を変じてさまざまな植物のつるや葉に、その歯や爪は金属や石になりました。流れ出て飛び散った赤い血は、みな色を変えて現在の海や川となりました。
そうして、消え去るその時に、神様の流した涙はみんな、人間のような神様のような、我ら「半神」となったのです……。
* * *
語り終えた「半神」たちは、人間の三倍も大きな体を少し揺らして、私たちにゆったりと微笑いかけました。
「やあ、こんな語りで満足したか? 旅人たちよ……お前たち人間の『語り部』のするように、少しばかり口調を変えてやったのだが……こんな感じで良かったろうか?」
「満足したか? 満足したな? ――では旅人よ。交換条件と言ってはなんだが、ひとつかなえてほしい頼みがあるのだ」
「今聞いてのとおり、我らの神は赤毛の赤目……その神を讃え、我らは百年にいっぺん『祭り』をひらく……」
そう言って博士を見やる半神の目が、どうしてか人殺しのそれに見えます。自分の機眼が壊れたのかと思ったとたん、黄水晶色の半神の目が、もっとずっと残酷な色を帯びてきます。
「……その祭りの儀式にな、ひとり生け贄が必要なのだ。赤毛に赤目の、『神様と同じ見た目』の生け贄が……」
半神たちはそう言って、私の大事な博士の肩へ手をかけました。その手にじんわり力を込めて、博士の瞳をのぞきこんで言うのです。
「生け贄は神様と同じように扱われる。神様と同じように、その身を捧げなければならぬ……祭壇の上で裸にされ、聖剣と聖具で両目を抉られ、両手両足ばらばらにされ……」
「そうしてついには腹を裂かれて、その血は聖杯に注がれる。その屍体は神様のお恵みだ。その身は、血は、生のまま細切れにされ、祭りの参加者たちの口の中へと入るのだ……」
やっぱり機眼にどこか異常があるようです、視界がいやにちかちかします。そのちかちかの視界でも、博士の肌からじゅわじゅわ汗が噴き出すのが、痛々しいほどやけにはっきり映ります。
半神たちはいやに親しげな薄ら笑いを浮かべつつ、じりじりと距離をつめてきます。逃がすまい、逃がさないと言いたげに、背の高すぎる体をかがめて、博士と私を見下ろしてきます。
「――なあ、分かるだろう、旅人よ。我らはこの地を離れると、どういう訳か知らないが、寿命が短くなるのだよ。千年万年永らえる寿命が、それこそ人間並みに短くなってしまうのだ」
「よっていつもは百年にいっぺん、我らの誰かを犠牲にして『生け贄』を探しに行くのだが……赤毛に赤目の、お前が生け贄になってくれれば、我らは心底助かるのだが……」
「なあに、今すぐにとは言わん。祭りは明日開かれる……明日の正午までに決めてくれれば、それで我らは文句はない……」
そう言いながら大きな体の半神は、博士の肩にじわじわ力を入れるようです。博士の赤い眉が痛そうにぎゅっと歪んでいきます、そのほおにはだくだく汗が流れます。
私たちにろくに返事もさせないで、白い衣の半神たちは、窓のない狭い地下室へ私たち二人を押しこめました。博士はしばらく黙りこくっていましたが、やがてふうっと淡い笑みを浮かべました。
「……逃げられないな。この状況を異国では『詰んだ』と言うんだろうな……。なあに、俺が死んでもお前がいる、機械人形のお前がいるさ……今まで集めた昔話の詰まった人工頭脳、どうにかして故郷まで持ち帰ってくれな……」
そう言って微笑う博士の顔は、病人のように血の気が引いて青ざめています。私はそれに応えずに、かえって博士に言いかけました。
「――博士。幸いに私たちの旅の荷物は、ちゃんとこの部屋に運ばれましたね? その荷物の中には、この状況を打開するアイテムがあるはずです」
「…………は? いやいや、そんなもの何も……!」
「ありますよ、あります! あるじゃないですか、『魔術師の鏡』が! この旅のために、大金を払って買った鏡が! その鏡は魔術師の屋敷に通じている、ちょっとしたものなら月に十回までは、送ってもらえるじゃないですか!」
そうして私は、戸惑う博士に「赤毛のかつら」と「青髪のかつら」を一つずつ、そうして同じ色のカラーコンタクトも一対ずつ、前もって用意してもらったのです。
「――いいですか、博士。明日半神たちがこの地下室へ迎えに来ても、何もしゃべってはいけませんよ。私が、私が……」
私はなぜだかばくばく跳ねる機胸に手をあて、続く言葉を吐き出します。
「……わたしが、どうにかしてさしあげますから、決してしゃべってはなりませんよ……!」
そうして翌日、半神たちが迎えに来ました。半神たちはもうきらきらと鉱物の粉をふりかけたような黄金色の衣装を身につけ、ぎらぎら光る抜き身の聖剣をその手にすらと下げていました。
博士の顔色は血の気が引いて、もう紙のように白く……その頭に、青髪のかつらをかぶっています。そしてその赤いはずの瞳には、青色のカラーコンタクト。
私は博士の髪質とそっくりの「赤毛のかつら」をしっかりかぶり、瞳には赤いコンタクト。自分でもびっくりするくらい堂々と、見えすいた芝居を始めます。
「――どうもすみません、昨日のうちに言えなくて……。あんまり申し訳なくて、とっさに説明できないで一夜過ぎましたが、実は私は人間ではないのですよ」
「人間ではない? すると、人外か、魔物か? いやいやそれでも構わない、重要なのは赤毛と赤目……」
「いえいえ、私は人外でも魔物でもありません、生き物ですらないのです……私は実は、機械なのです、からくりです!」
言いざま私は、するりとシャツを脱ぎ上半身裸になって、ついついと自分のおなかを押しました。するとかすかな音を立てて、おなかは真ん中から割れて、内部の機械構造が銀色の姿を見せました。
さあ、半神たちの驚いたこと! わっと思わず声を立てて、そのうちの一人二人は頭を抱えてぐるぐる腕をふるのです。
「――ああ、何てこった! せっかく理想の生け贄が、最高のタイミングで手に入ったと思ったのに!」
「ああ、やっぱり今回の祭りも、誰か一人が犠牲になって外の国に生け贄探しに行かないといけないのか!」
「外の国に魔法で飛んで、赤毛赤目の多い国から『飛び抜けて美しい一人』を選んで、さらって来ないといけないのか!」
「すると、いったい誰がその役を?」
「俺はまだ若い、この中で一番若い! 俺はもっと生きていたい!」
「いやいや、お前はこの中で一番位が下ではないか! 若いかどうかは関係ない、この際お前が行くべきだ!!」……。
見苦しい争いを繰り広げ出す半神たちの横をすり抜け、私たちは黙ってそこを脱け出しました。
……そうして、その半神たちの国を抜けたところでようやく、博士はつっとかつらを脱いで、はああと息を吐きました。
「――やあ、助かった……!! いやあ、お前の計画を聞いた時はうまくいくはずないと思っていたんだがな……ああいう『半分神』みたいな生き物にとっちゃ、俺らみたいなのの顔なんか、みんな一緒に見えるんだなあ!」
「いちかばちかの賭けでしたけど……正直私の目から見ても、半神たちの顔は素晴らしく美しいが、整いすぎてみんな同じに見えましたから。逆もしかりかと思ったもので……」
「はは、俺もお前も綺麗な顔で、だから同じに見えたってか?」
やっと軽口をたたけるようになった博士が、急に何だかしゅんとして、かつらを脱いだ私の髪に触ります。
「……でも、お前に悪いことしたな……かつらからはみ出るといけないって、この長い髪まで切らせちまって……」
「どうということはありませんよ。腕や足にはそういう機能はありませんが、この人工繊維の青い髪には『自己修復機能』があります。ものの数か月で、また元の長さに戻りますよ……」
「――しっかし、あいつらにもちっと悪いことしちまったなあ。ありゃあ要するに神事だろ? 祭りはどうなったのかねえ?」
あまりにも人の良い博士に向かい、私の向けた笑顔は少しばかり、いらだっていたかもしれません。
「――どうということはありません。あなたの命が助かったのと引き換えに、半神の寿命がいくら縮まろうとも、生け贄が見つからなくて訳の分からぬ『祟り』が起きて、あの国が一つ滅びようとも……」
私は一つ大きく息を吸い、強い口調で言いきりました。
「私たちには、関係ない」
いつになく感情がこもったような一言に、博士はちょっと息を呑み、それから何だか泣き出しそうにはにかみました。
「……なあ、ザフィー……お前さ、そんなに俺んこと……」
何か言いかけて、そのまま言葉を呑み込んで、博士はしみじみ微笑みました。
……何だか、今でもあの時のことを思い出すと、少し不思議な心地がします。
どうしてあの時、あれほど胸がざわついたのか、何にそれほど感情機能が昂ったのか……、
どうしてコンタクトを外した瞳がひどく緩んで、涙液があふれ出しそうになったのか……機械の私には、どうにも分からないのですよ……。