『*羽根つきの黒い蛇』
昔むかしのお話です。
海の向こうの大陸に、大きな国がありました。国の中にはそれこそ「海のように大きい」湖があり、その湖の真ん中に、大きな島がありました。
島には一つの火山があり、その火山は何百年も前にひどい噴火をした後は、だんまりを続けておりました。島には人が住んでいて、とうもろこしを育てたり、湖の魚を捕ったりして、それを食べて暮らしていました。
島は女王が治めていました。数年前に夫の王様が亡くなったので、彼女はその跡を継いだのです。そんな女王のもとに、ある日大国からの使者がやって来ました。「我が国に従え」と書かれた手紙を受け取って、女王は大国へ、222人の奴隷を送り届けました。
「私は大国の王のあなた様に従います。その代わり、この島は今までどおり、私に治めさせてください」という意味でした。
しかし、大国の王は奴隷を見て驚きました。もっと言うと、「奴隷の胸もと」を見て驚きました。奴隷たちの胸もとを飾るのは、島で採れる宝石の首飾りだったのです。
それは赤く燃え立つような宝石で、奴隷のうち22人は水の中に虹の光るような宝石を身につけていました。しかもその虹色は、角度によってゆらゆらと揺れるように光るのです。
「島の岩から豊富に採れる色石です。珍しくもない物ですが、美しいことは美しいので、お子様のお遊び道具にでもお使いください」と、女王からの手紙には書いてありました。
(ほほう……あの島では、こんな上等な宝石が豊富に採れるのか。しかも島の者たちめ、この宝石の価値に気づいていないと見える……)
大国の王はこれを逃す手はないと、島の支配を考えました。そうして自分に仕える呪術者を呼びつけて、こう命じました。
「――なあお前、『大国一の呪術師』よ。お前、ここいらへんを荒らして回っている『邪神』の黒蛇を、小さくさせることは出来るか?」
「……出来ないことはありません。羽根のついた大いなる黒蛇神、やつを小さく、弱くさせることは可能です。しかし、あまり長くは術は持ちません。良くて半年がせいぜいかと……」
「何、それくらいで十分だ。今すぐ黒蛇のもとへ出向いていき、やつを小さくするが良い。そうしてそのちっぽけになった黒蛇を、例の島へ『奴隷の礼』という名目で送るのだ……!」
王の企みに気づいた呪術師は、とてつもなく苦いものを噛んだような顔をして答えました。
「……王様、ただでは術は施せません。邪神とは言え神ですから、小さくするための術を使うには、多くの魂が必要です。そう、ちょうど222人分の魂が必要となるのです。術のために奪われてしまった魂は、あとかたもなく消え去って、天国にも地獄にも行けません……」
「なになに、ちょうど良いわ。島から送られた奴隷の数が、ぴったり222人ではないか!」
呪術師は、もうこれは何を言っても無駄だ、これ以上逆らえば自分の命も危ういと、「神の捕獲」に出発しました。黒蛇は荒れ狂い暴れたものの、多くの魂を犠牲にした術に遭ってはかないません。小さくされた蛇神は、「奴隷のお礼」にと言う名目で、島へ送りつけられました。
「――何じゃ、この返礼は! こんな忌まわしい黒い蛇、ちんくしゃの羽根がついていても色石ひと粒の価値すらないわ! あの王め、こんなつまらんものを送ってきおって……!」
ぶつぶつ言っていた島の女王は、ふと思いつき、かたわらの少女へ命じました。
「……そうだ、お前、『この蛇の世話係』になるが良い。お前は生き物が好きだろう? なんせ大国の王様から贈られた大事な黒蛇だ、大切に大切に育てると良い。手紙によれば、エサは一日ひと粒のとうもろこしだ、何の難しいこともない……」
手のひらを返したような女王の言葉に、少女は声も出さず、いかにもおとなしくうなずきました。少女は王女でありました。死んだ先王と、その愛人とのあいだに産まれた王女でありました。
だから女王は、この少女が憎らしかったのです。女王は可愛い自分の弟に、王の座を継がせたかったのです。だから女王は、「もし黒蛇をこいつがうっかり死なせたら、その罰ということで処刑できる」という理由で、王女に「黒蛇の世話係」を命じたのです。
王女は黒蛇を自分の部屋に連れていき、くしゃくしゃにクモの糸でひっからまったような羽根をずうっと撫でていました。広げよう広げようと何度もなんども撫でていると、ふいに美しい青年の声で、蛇が口をききました。
「――そう何べんも撫でても羽根は広がらんぞ。これは呪いなのだからな」
王女はちょっとびっくりしてから、どこか淋しげな笑顔を見せて言いました。
「……口がきけるの? 綺麗な蛇さん……それにしても、呪いって?」
「ああ。俺は……俺は神だ。大国の王に捕まって、小さくされた、弱くなった。だがあと半年で呪いは解ける……その時は、小娘、お前も……」
「大きくなるの? 強くなるの? それじゃあ蛇さん、その時はあたしを背中にのせて湖を泳いでみせて! 半年後はちょうど夏まっさかり、泳いだらうんと気持ちが良いわよ!」
蛇は何だかひるんだように、ぐっと言葉を呑み込みました。それから「どうにも調子が狂う」と言いたげに、小さな声で問いました。
「……お前、名は?」
「名前はあるけど、好きじゃあないの。家来たちはへりくだってべたべたした声でその名を呼ぶし、女王様は毒虫を呼ぶような声で呼ぶんだもの……」
「……そうか。俺は『ケツァールコアトー』と大国の人間どもに呼ばれている……遠い昔、今とは違う文明が発達していた時分には、『ククルカナ』とも呼ばれていた」
「ケツァール、コアトー?」
「ああ、そうだ。お前には長い名だろう、俺のことは『ツァル』と呼べ。俺はお前を『ククル』と呼ぼう」
荒っぱしい優しさで新しい名を与えられ、王女はそこで初めて十歳の齢にふさわしい、あどけない笑顔を見せました。
それから半年経つまでのあいだ、ククルとツァルは本当に親しくなりました。人間と人外の壁を越え、口づけなくとも「恋人同然」の仲になりました。
夢のようなすばやさで、もう半年が経ちました。ツァルの呪いはまたたく間に解け、黒蛇は恐ろしく大きくなり、背中の羽根も羽ばたけば猛風を起こすほど健やかになりました。
――悲鳴を上げて逃げ惑う人々を追い散らし、ツァルはあぜんと自分を見上げるククルへ舌をちろちろ伸ばします。泣くことも笑うことも出来ず、ただただ自分を見つめるだけの「恋人」に、ツァルは真実を明かします。
「ククル、俺は邪神なのだ。俺はこの島特産の宝石を狙った大国の王に、この島の先住民……お前たちを滅ぼすために、この島へ送りつけられたのだ。そうして、まずは――まずはお前だ」
言いざま邪神はばっくり大きく口を開け、王女を一呑みに呑み込みました。それと同時に、地面ががくがく揺れ出しました。何百年沈黙を守っていた島の火山が噴火を始めて、島は見る間に赤く灼けた溶岩流に覆われて、絵に描いたような「死の島」へと成り果てました。
大国の王はそのさまを湖のほとりから遠く眺めて、「我の思うた通りになった」と醜くほくそ笑みました。しかしその笑みは、次の瞬間ばきばきとこわばって固まって、王様は悲鳴を上げて逃げ出しました。――黒蛇の怒りは火山どころか、湖の水までも大壁のように荒れ狂わせ、津波まで引き起こしたのです。
それはひどい災害でした。噴火は島を、津波は大国の王ぐるみ、大国そのものを呑み込んで、そこいらじゅうを水の平原に変えてしまって、何もかも溺れて、流れて、文字通り何もなくなりました。
……何にもなくなった平原に、ククルがぽつんと立っています。幼い島の王女のとなりに、白い羽根を背中に生やした、黒い肌の美しい青年もおりました。青年は少女の肩を抱き、口づけるように打ち明けました。
「……お前のおかげだ。ククル、俺は生涯で初めて、お前という存在を心から愛したことにより、小さくされる前の十倍もの能力を得ることが出来たのだ。だからこうして、憎き大国の王にも復讐できた……お前のおかげだ、礼を言う」
ククルは正面を見つめたまま、何も返事をしてくれません。その沈黙を勘違いした黒蛇神は、首をすくめて「言い訳」します。
「……悪かったな。お前をいっぺん呑み込んだのは、お前だけを俺の体内にかくまって、一人だけ救うためだった。びっくりさせたな、謝ろう」
「――何にも、なくなっちゃったのね」
黒蛇の化身の青年に肩を抱かれ、ククルはぽつりとつぶやきました。その黒く大きな瞳から、大粒の塩辛いしずくが落ちました。納得がいった蛇神は、「人間はおかしなことを気にする」とでも言いたげに、またちょっと肩をすくめました。
「……なんにも、なくなっちゃったのね……」
「ああ、何一つなくなった。けれども、それが何だというのだ? お前と俺と、たくさん子どもをこしらえて、またはじめから国を、世界を創ればいいだろう」
何でもない口ぶりで言われ、ククルが目を見張って蛇神の青年を見上げます。ツァルは胸に沁みるほど穏やかな笑顔で、少女の肩を撫で回します。
「……ああ、そうだ。お前が新しい世界の王となれば良い。俺はお前の婿として、共に新しい王国を治めて生きていこう……」
優しい声が胸ににじんで、熱いような苦しいような、叫び出したいくらい悲しいのと淋しいのと、体の芯から嬉しいのとがごっちゃになって、ククルは嚙みつくように激しくツァルの柳腰に抱きつきました。
それが、異国の「新しい王朝」の始まりでした。その王朝は、永いながい生を終えて蛇神の王が亡くなるまで、平和な時代が続いたそうです。そうして黒蛇の蛇神は、初代女王のククルが年老いて亡くなって後、ずっと独り身を通したそうです。
……そうですね、その隅にほこりをかぶって転がっている、「世界史の資料集」をめくってみてごらんなさい。きっと黒蛇神と初代女王のレリーフが、異国の文化をつづったページに載っていますよ……。