『*お茶を淹れてきてくれるかな』
昔むかしのお話です。
ある国のある貴族の屋敷に、一体の「お茶汲み人形」がおりました。人形は名をアリスといい、萌黄の瞳にさらさらの金髪、見た目はたいそうな美人です。
お人形はメイドの姿で、毎日まいにちお湯を沸かし、紅茶の茶葉をスプーンですくい、お茶を淹れては貴族たちのもとへと運び、その他は何もしませんでした。何も出来ませんでした。「彼女」は、お茶を淹れるためだけの存在だったからです。
お人形は、とある博士が造った試作品でした。博士はいずれ、このお茶汲み人形を大量生産し、商売をするつもりでした。博士は自分の友人である貴族の屋敷に、「試しに使ってみてやってくれ」とアリスを送りつけたのです。
はじめのうち、貴族の奥様や娘たちは「なんだか気味が悪いわねえ」とお人形を嫌がりました。ほとんどものも言わないで、お茶を淹れては黙って歩いて去っていく……。奥様たちには「試作品」のアリスがいずれ壊れてしまい、いきなり刃物を手にして襲いかかってくるような、そんな恐れがあったのです。
しかし、この屋敷の主人はまったく気にしていませんでした。
「なあに、あの博士は確かに少々変人だがね、何といっても腕が良い! こういう機械がいかに『試作品』といえども、いきなり刃物を持って襲いかかってくるような、そんな致命的な欠陥があるはずもない!」
主は笑ってそう言って、あとは相手にもしてくれません。末息子をのぞいた他の男きょうだいは、そもそもそんなモノにほぼ関心はありません。気味悪がっていた奥様もお嬢様たちも、そのうち「彼女」の存在に慣れていきました。
お茶を淹れる、黙って部屋から出ていく、お茶を淹れてはやっぱり黙って出ていくだけ……。
ただそれだけしかしないアリスに、奥様たちは「やっぱりただの動くモノだわ」と、芯から納得したのです。
――ただ、屋敷の十七歳になる末息子だけは、別でした。チャールズというその青年は、気弱でしたが心優しく、アリスが自分の部屋にお茶を淹れてきた時に、その冷たい手をとって「ありがとう」と言ったのです。
すると、何としたことでしょう……ただの機械のはずのお茶汲み人形が、ふっと恥じらうそぶりを見せて、萌黄の瞳をまたたいたではありませんか!
「……どう、いたしまして……」
つぶやいて目を伏せるお人形に、その時チャールズは分かったのです。
ああ、この子は「ただの動くモノ」なんかじゃない。ちゃんといろいろな感情のある、ぼくらと同じ「生き物」なんだ。ただみんなにモノ扱いばかりされているから、そういうふうに無感情な対応しか出来なかっただけなんだ……。
そうして、チャールズはアリスをふつうのメイド……いえ、ふつうの女の子として声をかけるようになりました。他の家族がいるところでは、気を使って声はかけられませんでしたが、自分の部屋にアリスがお茶を淹れてきたら、必ずその白い手を握り、「ありがとう」と言いました。
そのうちチャールズは、アリスにいろいろな話をするようになりました。
「貴族の身分は、何だかぼくにはきゅうくつなんだ」
「他の家族に気を使ってあんまり言いたいことも言えない、この屋敷は何だか息がつまるんだ」
「不思議だね、ぼくは何だか、君といる時が一番自分でいられる気がするよ……」
そんなことを話すうち、アリスはどんどん人間らしく、女の子らしくなっていきました。陶器の肌は桜色に色づいたりはしませんでしたが、冷たいほおに口づける時、アリスの瞳は恥ずかしそうにまたたいて、萌黄の瞳はかすかに潤んで見えました。
チャールズはもう、他の家族のことなどどうでも良くなっていました。アリスと一日一緒にいたい、もうお茶なんていらないくらい、アリスと一日しゃべっていたい……。
その気持ちは毎日まいにちふくらんで、もう心中に抑えきれなくなって、チャールズはある日ないしょで、自分の部屋にお人形を呼びました。そうしてやって来たお人形の手をひしと握って、熱っぽい声で打ち明けました。
「――アリス、真剣に聞いてほしい。ぼくと逃げてほしいんだ」
アリスの機体の内側で、ことりと音がしたようでした。混乱したようにまたたく瞳をまっすぐ見つめ、貴族の末っ子は必死に言葉を重ねます。
「アリス、ぼくは君が好きだ。ううん、君を愛している……だからアリス、もし君もぼくを好いていてくれるなら、今夜二人でこの屋敷を脱け出そう……」
アリスの機体の内側で、ことりことりと音がします。何度もなんどもまばたきをするお人形の手をなおも握って、チャールズはいつになく靭い笑みを浮かべます。
「――なあに、うまく逃げ出せたら、この国のすみっこあたりで小さな農地でも耕して、農民として暮らそうよ……。大丈夫、ぼくはもともと『貴族の身分にうんざりして』いたんだから!」
甘えんぼうの小鳥のような見通しを口にし、貴族の末っ子は自信に満ちて微笑みました。
何度もなんどもまばたいていたアリスの瞳が、だんだんまばたきをやめていきます。その疑似宝石の萌黄色の瞳から、何という奇跡か、ひとすじ涙が落ちました。
驚きに目を見開くチャールズの手を握り返し、冷たい陶器の指で、愛おしそうに撫で回し……アリスは、まるで女神のように微笑みました。
「…………チャールズ……わたしも、あなたのことを……、」
――好きよ。
くちびるだけでそうささやき、あとはアリスは何にも言いませんでした。本当にただのお人形みたいに、黙ったままで突っ立っているだけでした。
「……アリス?」
不思議に思ったチャールズが問いかけたその刹那、お人形の陶器の肌にぴしりとひびが入りました。
「――アリス……!!」
お人形の肌にぴしりぴしりと亀裂が入り、あっという間もなく、お茶汲み人形はばらばらに割れて壊れてしまったのです。
……その理由は簡単でした。アリスを造った例の博士が、そういうふうに彼女を造っていたからです。
「お茶汲み人形」はいずれ大量生産されて、商売に使う商品です。そんな「動くモノ」と人間が恋仲になってしまったら、それこそ世界は大混乱です。
……だから試作品のアリスは、自分の中に「愛」という感情が生まれて、それを自覚した瞬間に、自分自身で壊れるように、あらかじめ造られていたのです。
それを知ったチャールズは、もう一生の恋をあきらめました。あきらめて、修道院に入りました。一人の修道士になって、もちろん誰とも結婚せずに、その胸の内にずっとアリスの面影を抱いて……。聖なる建物の内側で、その一生を終えたそうです。
……そうしてその後、例の博士はその頃流行りの魔女裁判で、「妖しい術を使う魔法使い」と見なされて、火あぶりの刑に処されたそうです。お人形の設計書などもその時全て焼き払われ、この国の「動くお人形を作る技術」は、そこでまったく失われてしまったそうです……。
* * *
「……だから、この国では誰かにプロポーズされて、断る時にはこう言うんです。実らなかったお人形と貴族の恋になぞらえて、『お茶を淹れてきてくれるかな?』って!」
語ってくれた語り部の青年に、どういう顔をしたらいいのか……。
目の前の私が機械人形と、かけらも気づいていないらしい青年に、博士と私はお礼を言って、後は黙ってカフェの扉をくぐりました。
表へ出ると、外は真夏の日ざしがかっかかっかと照りつけて、憎らしいくらいの晴天です。私たち二人はしばらく黙って歩き続けて、私が先に口を開いて問いかけました。
「……あの、博士……あなたは、私が『愛』という感情を理解したら、お話のお茶汲み人形のように、自壊するように……」
「――造ってねえよ。するわきゃないだろ」
いつにも増して乱暴な言葉で、博士はそう言ってくれました。
……私の記憶装置は「あまりにささいな記憶」と内部で判断すると、じゅんじゅんに消去するようになっているんです。そうしなければ、有限な記憶装置に無駄な負担がかかりますから……。
――けれど、どうしてでしょうね。あの時答えてくれた、博士の怒ったような顔も、その返事を聞いた時の、機胸のうちにいっぱいに小花が咲くような感覚も……まるで昨日のことのように、はっきり覚えているのですよ……。