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企画参加短編作品集

「じゃないほう令嬢」は、目立たずはしゃがず謎を解く

作者: 有理守

「異世界恋愛ミステリ」に挑戦してみました。

ゆるっとふわっとな、なんちゃって系です。ミステリを名乗ることをどうぞお許しください。

いちおう謎解きシーン付きです……。

「お兄様、上手く『招魂』できたかしら?」


 窓から王宮の方へ目をやりながら、ジェニーは小さな声でつぶやいた。

 今朝早く、王都警備騎士団の副団長であるグレネルが、王宮の敷地内にある王立学院女子寮の従僕とともに屋敷を訪ねてきた。

 何か大きな事件が起きたようで、王宮魔道士団の魔道士である兄が呼び出された。

 兄のジェレミーは、この国で唯一、「招魂術」を施すことができる特別な魔道士だ。

 「招魂術」とは、肉体から離れかけた魂を呼び戻し、再び肉体に納めるという究極の治癒術である。ジェレミーはこの術によって、何人もの要人の命を救ってきた。


「大丈夫でございますよ。鼓動も聞こえるし息もしているが、いっこうに目覚めないというだけのようですから、ジェレミー様にとっては、それほど難しいことではないはずです」


 執事のアレックスは、ジェニーを心配させまいとしてか、ことさら明るい声で答えながら、花柄のカップへ優雅に紅茶を注いだ。

 確かにジェレミーは、これまで一度も「招魂」に失敗したことはない。

 だが今回は、つい五日前隣国の王子の「招魂」をして、屋敷へ戻ったばかりなのだ。

 魔力もまだ、十分に回復してはいないだろう。

 茶の支度が調ったテーブルの前に着席すると、ジェニーは執事に問いかけた。


「いったい、どんな事件なのかしら? アレックスは知っているの?」

「いえ、わたくしも詳しいことは存じません。後ほどグレネル様が、ご報告にみえるとのことです」


 グレネルは、ジェレミーとは幼なじみということもあって、いつも遠慮がない。

 早朝だというのにジェレミーをたたき起こして、当然のように馬車でさらっていった。

 ジェレミーの方も、グレネルに頼まれると断りにくいようで、王宮魔道士団に内緒でグレネルの仕事を手伝っていることもある。

 ジェニーは、「腐れ縁」と呼んでいるが、二人は「男の友情」と言って笑っている。


「わかったわ。お兄様の成功を祈りながら、グレネル様を待つことにしましょう。王立学院女子寮での事件ねぇ……、もしかして、わたしの出番もあるかしら?」


 ちょうど飲み頃になった紅茶のカップに唇を寄せながら、ジェニーが上目づかいでそう言うと、アレックスはぎょっとした顔になり、手にしていた焼き菓子の器を落としかけた。


「絶対にありません! 由緒ある侯爵家のご令嬢にして、王宮魔道士団の至宝ジェレミー・ダフィールド様の双子の妹であるジェニー様が、王都警備騎士団が乗り出すような事件に関わる必要はございません! お立場をお考えください!」

「まったく、アレックスったら大げさね。お兄様と違って、わたしのことなんて誰も注目してないわよ。小さい頃から、『ダフィールド侯爵家の魔力持ちじゃないほうの子』と呼ばれていたぐらいなんだから」


 幼少時より、眉目秀麗にして希有なる魔力の持ち主と評判をとり、わずか七歳で王宮魔道士団に呼ばれたジェレミーに対し、特別容姿が優れているわけでもなく、招魂術なんて使えないジェニーは、いつも「じゃないほう」な存在だった。

 それでも、人の話を聞くことと本を読むことをこよなく愛し、それらをほんの少し人助けに役立てたこともある彼女は、人目につくこともなくひっそりと行動できる「じゃないほう」という立ち位置を、それなりに楽しんで生きてきた。


「存在感のないわたしだからこそ、できることや役立つこともあるのよ。まずは、グレネル様のお話をじっくり聞いてみましょうか。事件に首を突っ込むかどうかは、それから決めても遅くないわよね?」

「ジェニー様あ!」


 ジェニーが、菓子を口に運びながら、アレックスが次々と繰り出す文句や愚痴を聞き流していると、玄関の呼び鈴が鳴った。


 *


 グレネルは、早朝から駆け回っているにも関わらず、いつもと変わらぬきびきびとした態度で、出迎えたジェニーとアレックスにあいさつをした。

 彼の目の下にうっすらとできたくまが、任務の厳しさを物語っていた。

 居心地の良い居間に招かれ、茶と菓子でもてなされた彼は、ようやく人心地ついたという顔で、事件のあらましについて語り始めた。


 事件は、今朝早く、王立学院女子寮の図書室で起きた。

 女子寮の寮生であるジュディス・オドノヒュー男爵令嬢が、図書室の書架の前で、たくさんの分厚い本の下敷きになって倒れているのが発見されたのだ。

 発見者は、同じ寮生のシオドーラ・フェザーストン侯爵令嬢だった。

 実は、二人は夜明けに図書室で会う約束をしていたという。

 その話を耳にし、心配していたディアナ・フォールコン男爵令嬢が、シオドーラの悲鳴を聞いて、最初に図書室へ駆けつけた。


「二人は、なんでそんな時刻に、図書室で会うことにしたのかしら?」


 ジェニーは、深い緑色の瞳を好奇心できらめかせながら、グレネルに問いかけた。

 昔からジェニーを憎からず思っているグレネルは、その視線にどぎまぎしつつ、王都警備騎士団副団長の威厳を何とか保って答えた。


「ああっと……、二人で一緒に勉強することになっていたそうです。寮では就寝時刻が決まっていて、夜は灯火を消さねばなりません。ですので、『灯りがいらなくなる早朝に一緒に勉強することにした』と、シオドーラ嬢が言っていました」

「二人は、どういうご関係だったの?」

「二人とも王立学院の六年生なのですが、ちょっと複雑でして……。シオドーラ嬢は、モファット侯爵家のご次男であるスタンリー殿の許婚です。ところが、スタンリー殿は、最近夜会で見かけたジュディス嬢がすっかり気に入り、シオドーラ嬢との婚約の解消を考えていたという噂があります。二人と仲が良いディアナ・フォールコン男爵令嬢は、間に挟まれ困っていたようです」

「つまり、本当は勉強なんかではなくて、スタンリー様との関係について、二人で何らかの話し合いをしようとしていたのかもしれない――ってことね?」

「まあ、その可能性が高い……、ですかね?」


 いや、それ以外ないわよね――と、ジェニーは思った。

 ジェニーは、出不精なわけではないので、人並みに夜会にも参加する。

 たいていは、「壁の花」として人々の会話に耳を傾けて過ごすが、ダンスも嫌いではないから、誘いがあれば断らずに踊る。

 最近参加した夜会では、やけに派手で豪華なドレスを着た令嬢と踊るスタンリーを見た。あの令嬢が、ジュディスだったのだろう。ダンスもなかなか上手だった。


「男爵家といっても、オドノヒュー家は、投資や領地経営が上手くいっていて、かなり羽振りが良いようだわ。容姿と家柄でいえば、シオドーラ様の方が上だけど、贅沢好きなスタンリー様にとっては、ジュディス嬢の方が魅力的に思えたのかもしれないわね」

「ということは、やはりこれは事故ではなく事件で、ジュディス嬢を憎んだシオドーラ嬢が、彼女を手にかけたのでしょうか?」

「それはどうかしら? もう少し、関係者から詳しい話を聞いてみないと――」

「シオドーラ嬢とディアナ嬢は、王都警備騎士団が身柄を預かり、話を聞いて調書を作成しているところです。ジェ、ジェニー嬢もそちらにいらっしゃいますか?」

「うーん……、どうしようかしら?」


 「ジェニー嬢」だなんて……、小さい頃は呼び捨てしていたくせに――、とジェニーは思ったが、それには触れず微笑むと、部屋の隅でかしこまっていた執事とメイドに向かって言った。


「アレックス、これから王立学院女子寮に出かけるわ! クレア、来てちょうだい! あなたのよそゆき着を貸してね。わたしは、警備騎士団の記録係クレア・ヘイワードと名乗って、女子寮の人たちから話を聞いてきます。かまいませんよね、グレネル様?」

「えっ!? あっ……、は、はあ?」


 グレネルとアレックスがおろおろしている間に、ジェニーは、クレアに手伝わせてさっさと支度をすませ、ちょっと仕事ができそうな女性事務官に変身した。

 侯爵家の令嬢であれば、メイドや侍女を伴わず、家族でもない男性と馬車に同乗することなどあり得ないのだが、グレネルの部下という立場なら問題はない。


「さあ参りましょう、グレネル様! 今頃お兄様は、身を削ってジュディス嬢の魂を呼び戻しているはずだわ。わたしたちが事件を解決することで、ジュディス嬢の心が安らげば、魂も戻りやすくなるかもしれなくてよ!」

「ああ、確かに――。わかりました、ご案内します!」


 こうして、「じゃないほう令嬢」は、王立学院女子寮へ堂々と乗り込んでいった。


 *


 女子寮は、王宮の敷地内にある古い三階建ての館を改築したものである。

 一階には、食堂や厨房、談話室などがあり、寮生の部屋は二階にある。

 今日は休日であったが、図書室での騒ぎがあったため、王都に屋敷がある寮生は、みんな自邸へ戻ってしまっていた。

 寮に残っていた寮生は、辺境出身のローズ・ハンフリーズ伯爵令嬢ただ一人だった。


 グレネルは、寮の管理人であるウェィレット元子爵夫人や従僕、調理人など、寮で働く人々から、寮生たちの最近の様子などを談話室で聞き取ることにした。

 ジェニーは、一人でジュディスの部屋の隣にあるローズの部屋を訪ねた。

 好奇心旺盛そうなローズは、見聞きしたことを教えて欲しいというと、ジェニーを快く迎え入れてくれた。


「事故の後やってきた警備騎士団の人たちは、なんだか厳ついし怖かったから、あまり関わりたくなかったのだけど、あなたにならきちんと話せそうだわ。何でも聞いてください」


 ジェニーは、ローズと夜会で出会い、少しだけ言葉を交わしたこともあるのだが、ローズは全く気づいていない。夜会でのジェニーは、印象に残らない人物だったのだろう。

 今も、平凡で地味な服装のジェニーを、女性事務官と信じ切っているようだった。


「ご協力に感謝しますわ。ローズ・ハンフリー様」


 ジェニーは、控えめでいて、相手がつい気を許してしまうような柔らかな微笑を浮かべ、

ローズに礼を述べた。

 そして、彼女にすすめられるまま、可愛らしいソファに上品な動作で腰を下ろした。


「いいお部屋ですね。窓も大きいし、とても明るくて――。今は静かですが、お隣の部屋の物音が聞こえたりすることはありますの?」

「壁が薄いわけではないので、ほとんど聞こえません。ただ、部屋の扉が開く音や廊下で話す声は、けっこう聞こえてきます。古い館なので、扉に少し隙間があるんです」

「ああ、なるほど――。では、もしかして、今朝ジュディス様が、部屋を出て行く音も聞こえましたか?」

「ええ。今朝は、ジュディスが扉を開閉する音で目を覚ました感じです。少し前から、あの部屋の扉の蝶番が、やけにきしむようになっていたので」


 ちょうど眠りが浅くなっていたせいかもしれないが、目を覚ましたローズは、その後はもう眠る気になれなかった。

 ベッドの上でぼんやりしていると、隣室の扉を誰かがノックし、ジュディスを呼ぶ声が聞こえてきた。


「急いで起き出して扉を開けてみると、ジュディスの部屋の前にシオドーラが立っていました」

「シオドーラ様が――ですか?」

「ええ。『図書室で一緒に勉強することになっていたのに、なかなか現われないので呼びに来た』と言っていました。だから、ジュディスが、かなり前に部屋を出て行ったことを教えました」


 シオドーラは、「広い図書室で行き違いになったのかしら。おかしいわね。名前を呼んだのに返事もなかったし」と言って首を傾げながら、三階にある図書室へ戻っていった。

 それから間もなく、今度はローズの部屋の扉がノックされた。


「ディアナでした。『嫌な予感がして目が覚めた。ジュディスもシオドーラも部屋にはいないようだが、何か知らないか』と聞かれたので、『二人ともすでに図書室へ行ったはずだ』と答えました。ディアナは、『確かにそんな約束をしていた。図書室で二人だけになったら、良くないことが起こるかもしれない』と言いました。それからまもなく悲鳴が聞こえて、なにか恐ろしいことが起きたことがわかりました。ディアナは、慌てて階段を上がっていきましたが、わたしは気味が悪かったのですぐには後を追いませんでした」


 シオドーラの叫び声でほかの寮生たちも起こされ、何人かが寮長に知らせに走った。

 寮長や当直番のメイドが駆けつけ、図書館にいた三人を見つけた。

 別棟に寝泊まりしている寮生のメイドたちも呼ばれて、みんなで本の下敷きになっていたジュディスを救出し、彼女の部屋へ運んだ。

 シオドーラとディアナは、空いていた部屋へ連れて行かれ、寮長が事情を聞くことになった。


「すぐに王都警備騎士団が呼ばれて、一緒にお医師もみえたのですが、ジュディスの息や鼓動がだんだん弱まっているとかで、彼女は王宮医務院へ運ばれていきました。無事に目覚めていればいいのですけど――」


 眉をひそめ、心配そうにローズが言った。

 今頃ジェレミーが必死で術をかけているはずだが、事務官としてここにいるジェニーが、それを教えるわけにはいかない。

 ジェニーは、ローズに礼を言い部屋を出ると、その足で三階の図書室へ向かった。


 図書室は、三階のほとんどを占める非常に広い部屋だった。

 やや奥まったところに、重そうな書物が乱雑に散らばっている場所があった。おそらく、そこにジュディスが倒れていたのだろう。

 書架は、蔵書の増加に合わせて増やされていったようで、迷路のように複雑な並び方をしていた。おまけに、物入れに使われているらしい小部屋がところどころにあった。


「ふうん。これは、かくれんぼにぴったりの場所ね。この中でなら、行き違いになってもおかしくはないわ。でも、大きな声で呼べば聞こえないということはないわよね。相手が気絶でもしていない限りは――」


 ジェニーが一階に降りていくと、聞き取りを終えたグレネルが談話室で待っていた。

 ジェニーの姿を見ると、手にしていたカップをガチャガチャ言わせてテーブルの上に置き、口元をぬぐいながら立ち上がった。

 聞き取りが終わるや、ちゃっかり軽食などをご馳走になっていたらしい。


 ジェニーが、クスリと笑って向かいの椅子に腰を下ろすと、グレネルはちょっと決まり悪そうにしながら、コホンと一つ咳払いをした。

 そして、王都警備騎士団副団長の顔になって人払いをすると、寮で働く人々から聞き出したことをジェニーに伝えた。


「シオドーラ嬢は、スタンリー殿のことで悩んでいたらしく、『ジュディスさえいなければ』とか、『婚約解消など耐えられない』と、友人たちに度々こぼしていたようです」

「そりゃあそうでしょうね。半年後、卒院式がすんだらシオドーラ様は、スタンリー様と結婚されるおつもりだったんだから――。ジュディス嬢がしゃしゃり出てきて、何もかも台無しにするのを、黙って見ているわけにはいかなかったでしょうね」

「じゃあ、やはりシオドーラ嬢がジュディス嬢を――、ということなのですね。わかりました。わたしは、ジェ、ジェニー嬢をお屋敷にお送りしたら、すぐに王都警備騎士団へ戻り、シオドーラ嬢を厳しく詮議することにします」

「ああっと……、それなのだけど、まだ事件と決めつけて動くのは早いのではないかしら? 帰宅した寮生から、いろいろな噂が広まるのはしかたないとして、貴族会議としては、各家の名誉も考えてできれば穏便に処理したいでしょうし、王家も王立学院の評判を落としたくないと思うの。シオドーラ様もディアナ嬢も、いったん神殿預かりということにして、ジュディス嬢の回復を祈らせておいたらどうかしら?」

「なるほど。その間に、ジュディス嬢が目覚めれば、真相はすぐにわかるかもしれませんね。自分で書架につまずいて、本を落としたのが原因ということも考えられます」


 つまずいたくらいで、あの古くて頑丈そうな書架から本が落ちるかしら――とジェニーは思ったが、彼女の意見を受け入れ、どこか安心した様子になっているグレネルを再び迷わせないため、にっこり笑って彼の考えに同意した。

 二人は、寮で働く人々に礼を言い、勝手な想像や噂を広めないように釘をさしてから、女子寮を後にした。


 ジェニーは、すでにある結論を導き出していたが、今後の展開を見て、どのような始末をつけるかを決めるつもりだった。

 帰路の車内では、寝たふりをしてグレネルに寄りかかり彼を黙らせた。

 そして、緊張から次第に息が荒くなるグレネルをちょっと可愛らしく思いながら、幼い頃のことを思い返すうちに、本当に眠ってしまったのだった。


 *


 その一週間後――。

 ようやくジュディスが目を覚まし、ジェレミーが侯爵邸へ帰ってきた。

 招魂術は成功したわけだが、ジュディスは、図書室で起きたことをあまり覚えていなかった。王都警備騎士団の聞き取りでも、何か重い物が頭に当たり倒れたということしかわからなかった。


 シオドーラは、自分は二度目に図書室へ行ったとき、本の下敷きになっているジュディスを発見しただけで、彼女を襲ったりはしていないと神に誓った。

 ディアナも、自分がもっと早く図書室へ行っていれば、あのようなことは起きなかったかもしれないと、騒動に巻き込まれた二人の友人を気の毒がった。

 真相はよくわからなかったが、今回の騒動は事故として処理され、関係者は全員納得したのだった。


 その後、体が回復したジュディスは、女子寮を出て王立学院も辞め、療養をかねて領地の屋敷へ戻っていった。スタンリーとの仲も、当然それっきりになった。

 シオドーラは、今回の一件がこたえたのか、スタンリーへの不信感が募ったのか、結局自分の方から婚約の解消を申し入れ、スタンリーとは別れることになった。近々、隣国へ留学するらしい。

 女子寮の図書室は改修され、迷路のような書架はきちんと整理された。

 ふた月もすると、人々はすっかり女子寮での騒動のことは忘れ、噂することもなくなった。


 *


「今夜の夜会へは、グレネルと行くんだって? 君たちは、いつからそういう仲になったんだい?」


 ジェニーが身支度を整えて、居間でくつろぐジェレミーにあいさつに行くと、体調が戻った兄は、興味津々という顔で声をかけてきた。


「あら? 小さい頃から、ずっとそういう仲でしたわよ。お兄様だって、わたしとグレネル様が、この部屋でダンスの練習をしているのをいつも見ていらしたでしょう?」

「ああ、小さい頃はね。でも、最近は、何だか二人ともちょっと距離をとっているように見えたから――。いや、ふたりが仲良くしてくれているのは、わたしも嬉しいよ。久しぶりの夜会だろう? 思い切り楽しんでおいで!」

「もちろんですわ!」


 ジェニーの今日のドレスは、少しくすんだ淡い橙色だ。

 「壁の花」担当の「じゃないほう令嬢」に、ぴったりの色合いといえる。

 グレネルと二曲ぐらいは踊るつもりだが、そのあとはやらねばならないことがある。

 そのために、グレネルに夜会へのエスコートを頼んだのだ。


 ジェニーは、先日参加した詩のサロンで、スタンリーがある女性との婚約を考えているらしいと聞いた。近々開かれる夜会で、何らかの動きがあるだろうと噂されていた。

 ジュディスやシオドーラと別れたばかりなのに、よくもまあ――と思ったが、二つの別れを経験し、すっかり元気をなくした彼をなぐさめたご令嬢がいて、スタンリーは、彼女との出会いで「真実の愛に気づいた」とのことだった。

 

 ほとぼりも冷めたと考えたある人物が、いよいよ本懐を遂げようと動き出したのだ。

 最近ジェニーは、足繁く茶会やサロンに参加し、情報収集に努めていた。

 自分の推理に自信はあったが、スタンリーがおのれの行動を反省しおとなしくしているなら、女子寮での出来事は忘れるつもりでいた。

 だが、彼が、「真実の愛」などと言い出したのなら放ってはおけない。

 あの人物が、事件の犯人であることを明らかにし、彼の目を覚まさせなくては――。


 夜会用の正装をまとったグレネルが、張り切ってジェニーを迎えに来た。

 微妙な色合いのドレスや平凡な髪型を、「似合う、似合う」とほめまくるので、ジェニーは少し申し訳ない気分になった。

 だが、意味深な表情のジェレミーに冷やかされながら送り出されると、夜会は夜会として満喫し、少しでもグレネルを喜ばせたいと思った。彼をだしに使ったことへのせめてものお詫びに――。

 

 夜会の会場であるターラント侯爵邸には、たくさんの人々が集まっていた。

 会場に入るとすぐに、ジェニーは、スタンリーの姿を探した。

 スタンリーは、すぐに見つかった。

 派手な衣装は相変わらずで、恋に破れて憔悴しているような男には見えなかった。

 

「おう、スタンリー・モファット殿も出席されていたんですね。ずいぶんとお元気になられたようだ。ええっと、お隣にぴったり貼り付いているご令嬢は――」

「ディアナ・フォールコン男爵令嬢よ。女子寮の一件で、グレネル様も会ったことがあるでしょう?」

「ああ、そうでした。ですが、あのときとはずいぶん印象が違いますね。ジュディス嬢やシオドーラ嬢に比べて、影が薄い女性だなと思っていたのですが、今日は華やかで――」

「自分が主役だって、自覚したからではないかしら? もともとフォールコン男爵家は、鉱山への投資に成功し、領地は狭くても実入りは多い。だから、彼女はいくらでも贅沢をできたの。でも、出番がくるまでは、後ろに控えて存在を消していたってことでしょうね」

「華やかなご令嬢たちの陰に隠れて、密かにスタンリー殿を狙っていたわけですか――。ん? ということはもしかして――」


 そのとき、ダンスの開始を告げる音楽が奏でられ、ジェニーは、グレネルの手を取ると広間の中央がよく見える場所へ歩み出た。

 グレネルに話の続きは語らせないまま、広間の中央で幸せそうに踊るディアナとスタンリーを注視しながら、ジェニーは優雅に踊り続けた。

 二曲踊ったところで、少し風に当たってくるからと言って、グレネルから離れたジェニーは、同じくスタンリーから離れて、控えの間へ向かおうとしていたディアナに声をかけた。


「もしかして、ディアナ・フォールコン様ではありませんか?」

「ええっと、あなたは――」

「ディアナ様と同じ女子寮にいる、ローズ・ハンフリーズの従姉でクレアと申します。以前、ローズを訪ねていったとき、あなたのことをお見かけしたことがありますわ」

「ああ、ローズの――。そういえば、どこかでお目にかかったことがあったかも――」

「まあ、覚えていてくださったのですか、嬉しいわ!」


 女子寮で会ったことはないけれど、茶会や劇場で何度も会っているのよね。たぶん、あなたは「じゃないほう」のことなんて、気にも止めなかったのでしょうけれど――、という言葉を呑み込み、ジェニーは、喜びいっぱいの顔で身をよじった。

 ひとしきり互いの衣装などをほめ合った後、「ゆっくりお話したいわ」と言って、ジェニーは、近くにあった誰もいない小さな控えの間へディアナを誘った。


 ちょっとした飲み物や軽食は、その部屋にも準備されていて、二人はダンスとおしゃべりで渇いた喉を、さっぱりとした果実水で潤しながら、腰を落ち着けて話をすることにした。

 ジェニーは、辺境から出てきた娘を装って、王都の煌びやかさや流行の店のことなどをやや大げさな身振りで話した後、さりげなく図書室の騒動に触れた。


「王都はにぎやかで楽しい場所もたくさんあるけど、物騒なことも多いってローズが言ってましたわ。女子寮でもおかしな事件があったって、とても心配していました。確か、ディアナ様も関わっていらしたのですよね?」


 ディアナは、わざとらしく音を立ててグラスをテーブルに置くと、少し挑戦的な目になってジェニーを見た。だが、それは一瞬のことで、たちまち穏やかな表情に戻ると、田舎者を哀れむように言った。


「あの件は、事件ではなく事故だったということで、すでに解決しているの。ローズったら、困った人ね。刺激の少ない辺境住まいの人に、面白おかしく話してしまうなんて――」


 明らかにディアナは、話題を変えたがっていた。

 だが、鈍感な田舎娘になりきったジェニーは、ディアナの言葉を無視することにした。


「ジュディス様とシオドーラ様が、朝から図書室でお勉強をする約束をしていたそうですね。なかなか来ないジュディス様をシオドーラ様がお部屋へ呼びに来た。すでに、図書室へ行ったことをローズが伝えると、彼女は図書室へ戻っていった。それから、二人を心配したあなたがローズの部屋を訪ねてきた。そうしたら、シオドーラ様の悲鳴が聞こえてきた」

「そうよ、その通りだわ――。わたしが図書室へ行くと、書架から落ちた本の下敷きになったジュディスの前に、シオドーラが立っていたの」

「どうして最初に図書室へ行ったとき、シオドーラ様は先に来ていたはずのジュディス様に会えなかったのでしょうか?」

「あなたはご存じないかもしれないけれど、女子寮の図書室は広いし、古い書架が迷路のように置かれていたの。行き違いになっても、何の不思議もないわ」

「そうかもしれません。でも、名前を呼ぶ声が聞こえれば、行き違うことはないと思います。シオドーラ様は、ジュディス様のお名前を呼ばなかったのでしょうか?」


 ジェニーの言葉を聞くと、ディアナは目線をテーブルに落とし、何か考え始めた。

 その様子を注意深く見守りながら、ジェニーは話を続けた。


「シオドーラ様は、ジュディス様の名前を呼んだのだと思います。でも、ジュディス様は返事ができなかったのでしょうね。二人よりも先に図書室に来ていた犯人によって、返事ができない状態にされていたから――。眠り薬をかがされたか、本でなぐられたかして、小部屋のどれかに隠されていたのでしょう。

いくら探してもいないし、名前を呼んでも返事がないので、シオドーラ様はジュディス様を部屋へ呼びに行きました。その間に犯人は、ジュディス様を小部屋から引きずり出し、その上に近くの書架の本を思い切りぶちまけました。

犯人は急いで図書室を出て、どこかの物陰から、シオドーラ様がローズの部屋を訪ね図書室へ戻るのを見ていた――というのが、真相なのではないでしょうか?」

「面白い推理ね。あなたは、事故として片付けられたことを事件として蒸し返し、どうしても犯人を断罪したいわけね。あなたのような辺境住まいの人には、縁もゆかりもない王都の女子寮でのできごとに、どうしてそんなに関心を持つの? 何か理由があるのかしら?」


 いつの間にか立ち上がっていたディアナが、ジェニーを見下ろしながら冷たく言った。

 ジェレミーの活躍もあって、今回は殺人事件にはならなかった。

 だが、明らかに犯人はいて、自分の願いを叶えるために人を傷つけてもいた。

 このまま、犯人の思い通りにことが運ぶのを、ジェニーは許すことができなかった。


「ええ。もう、犯人はいらないのかもしれません。でも、犯人がいたことに気づいた者がいるということを、きちんと犯人に知らせておきたいのです。あなたの罪は、消えたわけではない、わたしが真実を知っていると――。それに、上手くやったように見えて、犯人は大きなミスを犯しています。わたしは、それに気づきました」

「大きなミス? そんなものあるわけないはずだけれど……。いいわ、聞いてあげる」


 ディアナは、再びグラスを手にし、残った果実水を飲み干すと静かに言った。

 ジェニーは、ディアナの妙に堂々とした態度にひるみそうになったが、勇気を振り絞り犯人のミスを指摘することにした。


「犯人は、自分が起きたばかりで、まだ図書室へ行っていないことをローズに印象づけるために、『嫌な予感がして目が覚めた。ジュディスもシオドーラも部屋にはいないようだが、何か知らないか』と、自室にいたローズに尋ねました。

その言葉には嘘が含まれています。犯人は、シオドーラ様の部屋は訪ねたかもしれませんが、ジュディス様の部屋は絶対に訪ねてはいません」

「フフフ……、あなたの話では、犯人はわたしのように聞こえるわね。まあ、推理するのは自由だから、それはかまわないわ。でも、わたしは嘘をついてはいない。シオドーラの部屋にもジュディスの部屋にも声をかけ、不在を確かめてからローズのところへ行ったのよ」


 実は昨日、どうしても確かめておきたいことがあって、ジェニーは、もう一度クレア・ヘイワードに扮してローズを訪ねている。

 ローズから聞き出した言葉により確証を得た上で、今、彼女はディアナに対峙しているのだ。


「ローズは、あなたが部屋へやって来たときのことを、よく覚えていました。シオドーラ様が図書室へ向かった後、あなたがローズの部屋の扉をノックするまで、何の物音もしなかったと彼女は言っていました」

「彼女の部屋の扉は閉まっていたのよ。何も聞こえなくて当然でしょう?」

「別の並びに部屋があるあなたは、気づいていなかったのかもしれませんが、ジュディス様とローズの部屋の扉は、どちらも調子が悪くなっていたのです。

ジュディス様の部屋の扉は、開け閉めすれば大きな音できしみます。ローズの部屋の扉は廊下の物音がはっきり聞こえるほど、隙間ができています。

つまり、もし、あなたがジュディス様の部屋の扉をノックしたり開け閉めしたりすれば、その音がローズには聞こえたはずなのです。それが聞こえなかったということは、あなたがそうしなかったということを意味しています」

「だったら、どうだというの!? ジュディスの部屋は、静まりかえっていた。だから、ノックをしなくても、わたしは彼女が部屋にいないことがわかったのよ!」

「あの時刻です。静まりかえっていたら、むしろ部屋で熟睡していると思うはずです。当然、扉をノックしたのではありませんか? もう、言い逃れはお止めなさい! あなたは、彼女が部屋にいないことを知っていたから、ノックもせず声もかけなかったのです。ジュディスが図書室で本の下敷きになっていることを、犯人であるあなたは、誰よりもよくわかっていたから――」


 不気味なうなり声を上げながらディアナが、ジェニーに飛びかかってきた。

 こうなることを予測していたジェニーは、のけぞりながら右手の人差し指を伸ばし、ディアナの額に向けた。そして、小さな声で鋭く言い放った。


魂消(たまぎ)え!」


 その声を聞くや、今にもジェニーに掴みかかろうとしていたディアナが、目を見開いたままゆっくりと後ろに倒れていった。

 そのとき、控えの間の扉が開き、二人の人物がなだれ込んできた。


「ジェニー!」

「ジェ、ジェニー嬢!」


 ジェレミーとグレネルだった。

 ジェレミーは、仰向けになって床に倒れているディアナのそばへ駆け寄ると、その額に左手の人差し指をあて、素早く何かの呪文を唱えた。

 グレネルの方は、呆然としているジェニーをいきなり抱き締め固まってしまった。


「こらっ! グレネル、ジェニーを放せ! ダンスで手を取るのは許すが、抱擁はまだ早い! ジェニーもグレネルの腕の中でぼうっとしていないで、自分がやらかしたことを反省しろ! もし、わたしが来なかったら、この娘は絶命していたかもしれないんだぞ!」


 ジェレミーが、彼にしては珍しく、もの凄い剣幕で怒鳴ったので、二人は抱き合ったまましゅんとしてしまった。

 グレネルは、あわててジェニーから離れると、王都警備騎士団へ連絡させるため、この家の従僕を探しに行った。


 ジェニーは、倒れているディアナに近づき、小さな声で謝った。

 きちんと魔力を調整したつもりだったが、恐怖心に負けて、想像より大きな力を発動してしまったようだ。

 去りかけたディアナの魂を、ジェレミーがすぐに戻してくれたから良かったが、ほうっておけばディアナは、二度と目覚めなかったかもしれない。


「ごめんなさい、お兄様……」

「いや、君が無事で良かった……。だけどジェニー、わたしの許しなく、この力を二度と使ってはいけないよ。悪用しようと思う奴が、どこで見ているかわからないからね」

「ええ、わかっています」


 双子である二人は、裏表の魔力を持っている。

 「招魂術」を施し、傷ついたものをいやし、命を救うジェレミー。

 「消魂術」によって、魂を離脱させ、命さえ奪えてしまうジェニー。

 神により、二人には強大な正負の力が、それぞれ与えられていた。

 だが、悪用されかねないジェニーの負の力は、家族と幼なじみのグレネル以外の者には秘されている。だからこそジェニーは、「じゃないほう」としてひっそり生きてきたのだ。

 双子ならではの感覚で、ジェレミーはジェニーの状況や居場所を察知することができる。今日も、妹の暴走に気づいた彼は、それを止めようと駆けつけてきたのだった。


 開いた扉から、ダンスの賑やかな音楽が聞こえてきた。

 夜会は、滞りなく続いているようだ。

 スタンリーは、突然姿を消したディアナを探しているかもしれない。

 だが、ジェニーを探している者はいないだろう。

 「じゃないほうの令嬢」が夜会に来ていたことなど、もう多くの人は忘れてしまっているに違いない――。

 戻ってきたグレネルに後のことを任せ、兄妹は、ジェレミーが乗ってきた馬でこっそり屋敷に帰っていった。


 *


 ディアナは、いったん王都警備騎士団にとらえられた後、貴族会議から辺境にある神殿の巫女になることを命じられ、王都を去って行った。

 娘が彼女に命を狙われていたことを知ったオドノヒュー家とフェザーストン家は、厳罰を要求したが、フォールコン家が両家に多額の慰謝料を払い、王立学院への寄付も申し出たため、王都からの追放ですむことになった。


 スタンリーは、またまた思い人を失い、かなりやつれたという噂もあったが、静養のために戻った領地で「運命の相手」と出会ったらしい。

 相手は、三人の子をもつ未亡人だとか、彼を抱え上げられるほどの力持ちの村娘だとか、様々な話が飛び交っているが、領地での話なのではっきりしたことはわからない。

 だが、少なくとも、女性を美貌や財力で評価することはやめたようだ。


 そして、ダフィールド侯爵邸では、また今日も――。


「お嬢様、どちらへお出かけですか?」


 黒みがかった藤色のドレスを着て玄関に現われたジェニーに、アレックスが声をかけた。

 今日は、ジェレミーが王宮魔道士団へ出仕していて、屋敷を留守にしている。

 あの一件以来、ジェニーの行動をしっかり監視するようジェレミーに命じられたアレックスは、今まで以上に口うるさくなっていた。


「今日は、グレネル様が非番なので、一緒に植物園へ行くことになったの。もちろん、クレアも連れて行くわ」

「植物園ですか? まさか、そこで稀少な植物が盗まれたり、毒草を食べた人が倒れたり――は、していませんよね?」

「おかしなこと言わないで! 本当に植物園を見学するだけよ!」


 疑わしげな目つきで見つめてくるアレックスを無視して、ジェニーは玄関の扉を自分で開けた。

 爽やかな朝の風が、屋敷の中へ吹き込んできた。


「まあ、出かけてみたら、何があるかわからないけれど……ね。」


 アレックスには聞こえないように小さな声でつぶやいて、ジェニーはにっこりした。

 そして、屋敷に近づいてくるグレネルの家の馬車を見つけると、元気に手を振った。


 * * *  終わり  * * *

最後までお読みくださり、ありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
[良い点] たしかに異世界恋愛ミステリになっているなと感じました。 本を倒して下敷きにする、というのが手口として良いですね。
[良い点] ジェニーさんの名推理ですね。 必殺技を持っているのもよかったですが、動物とかで練習していないと加減が難しそうですね。
[良い点] なんとなーく、なんか変な感じもあるんだけれど、もやーっと収まっていたのをささっと蒸し返し〜という展開、良かったです。 証言との矛盾の出し方とか、フェアだと思いました。 あと、なんで早朝に図…
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