1.
大学通りの桜がすっかり散り、薄紅色に変わって青々とした新緑が街を彩り始めた。
桜祭りだのなんだの街が盛り上がるのはやっばり桜の季節らしいけれど、生命力に満ちた緑が揺れるこの時期も、私はすごく綺麗だと思う。
特に抜けるような晴天の日は最高だ。夏に向けて透明度を増していく空に、元気いっぱいの葉がぴんと広がっている。
気持ち良い景色の中、私は駅前のパミットで買った安い自転車でシャーッと駆け抜けるのだ。
「今日もいい天気だね、キュウ助!」
「きゅう!」
ペダルを勢いよく踏みながら私が話しかけるのは、あの日出会った倉ぼっこだ。色々あって妖怪と縁を結んだ私は、倉ぼっこのキュウ助と愉快気ままな大学生活を送っている。
風に吹き飛ばされないように私の肩に掴まって、キュウ助は楽しそうにぴょんぴょん跳ねた。
「きゅう、きゅう。きゅう!」
「ほんとだね。こんな日は、店長お手製のサンドイッチを持って公園にピクニックに行きたいね!」
「きゅう~。きゅう、きゅう!」
「そうそう! ハムと卵の甘さが先に来て、後からピクルスの甘酸っぱい旨味が口の中にじゅわ~って広がって……。ううーん、お腹が空いてくる!」
考えただけで口の中に涎が湧いてくる。私がごくりと唾を飲み込むと、キュウ助も同意するみたいに「きゅう~」と毛玉ボディをよじよじさせた。
ちなみに約ひと月の共同生活の成果か。はたまたバイト先の影響か。私はなんとなくだけども、キュウ助が言いたいことがわかるようになった。
キュウ助はそれが嬉しいらしく、最近はどこにいくのにも喜んでついてくる。本当に可愛くて癒し系な、今となっては欠かせない新生活の相棒だ。
大学構内を抜けて、裏門を出る。目の前に縁結び神社を望んだら、向かって左側へ視線を移す。
そこに、私のバイト先、寺川縁結びカフェはある。
「やあ。来たね」
カランカランとベルが鳴る。焦茶色の扉を開けた先で、エプロン姿の狐月さんが顔を上げて微笑んだ。
狐月想太さん。ここ寺川縁結びカフェの店長で、つまりは私の上司だ。
きちんと聞いたわけではないが、見たところ年齢はまだ若い。たぶん25歳くらいだと思う。さらさらとした茶髪に柔和な面差しの、大学に放り込んだら間違いなく女子たちがきゃあきゃあ騒ぎそうなイケメンだ。
「遅くなっちゃってごめんなさい。少し授業が延びちゃって」
「全然かまわないよ。よかったら、新作メニューを賄いに作ってみたんだ。お昼まだだったら、先に食べちゃって」
「わあ! ありがとうございます!」
狐月さんが言うように、カウンター内にはおしゃれに盛り付けられたプレートが、ラップをかけておいてある。
さっそく私はお言葉に甘えて、鼻歌を歌いながら私用の賄いとキュウ助用の金平糖を手にカウンター席に座った。
「いっただっきまーす!」
ラップを外すと、ほんのりと甘さも混じるスパイシーな香りがふわりと鼻腔を刺激する。見たところカレーっぽいけど、ひよこ豆とトマトをたっぷり入れて、ほくほく食感と甘さも楽しめる味に仕上がっている。
付け合わせはアボカドのディップサラダ。こちらはオリーブとレモンが効いていて、さっぱりとしつつもまろやかで、カレーのお供にちょうどいい。
「んー! 店長の料理、やっぱり天才~!」
「きゅう!」
「ふふ。喜んでもらえて嬉しいよ」
頬を押さえて騒ぐ私に、狐月さんはさらりと微笑む。そういうところ、やっぱり大人だなと思ったりもする。
けれども、そんなクールで爽やか、時折胡散臭くも見えてしまう狐月さんにも、童心に返ってしまうウィークポイントがある。
「ところで、このプレート。面白い模様ですね。土器みたい……っていっちゃうとアレなんですけど、眺めていると癖になる幾何学模様というか」
ぽてっとした深い茶色の肌に、明るい黄色味かかった茶色でぐるぐると一定の規則性を持って模様が描かれているその器は、見れば見るほど癖になる。芸術的というか、なんだか壁に飾っておきたくなる文様だ。
そんな風になんとなしに褒めると、細い目の奥で狐月さんの瞳がきらんと輝いた。
「わかるかい?」
「はい?」
「これはスリップウェアと言ってね。イギリスの伝統技法がベースになっているんだけど、クリーム状の化粧土で装飾を行うからこういう独特な模様になるんだ」
「ほお。なるほどぉ……」
「ちなみにこの皿は、陶器市で一目ぼれした若い作家さんの作品だよ。あ、陶器市ってわかる? 毎年全国あちこちで開催される、たくさんの窯元や作家さんが集まる焼き物のイベントでね。関東だと笠間の陶炎祭とかが有名なんだけど……」
堰を切ったように話し出す狐月さんは、もう止められない。
彼は重度の焼き物オタクで、休みの日には都内の焼き物ギャラリーを物色して回ったり、遠方の陶器市に遠征したりして過ごすらしい。このお店で使っている皿も、狐月さんがあちこち足で回って一目惚れして買ったこだわりのモノばかりだ。
とまあ、一度熱が入ったらちょっと暴走気味なところはあるものの、狐月さんは雑誌に載っていてもおかしくないくらいのイケメンだ。店も、料理や器、内装に至るまでこだわりが満ちていて、テレビやネットで紹介されてもおかしくない。
そんな縁結びカフェなのに、バイトの私がランチタイムにのんびりと賄いを食べられるほどに落ち着いているのには、もちろん理由がある。
その『理由』の一端が、裏の厨房へと通じる扉を開けて、ひょこりと鼻面をのぞかせた。