5.
「なんじゃ、お主。国見の学生だったのか」
2限の授業が終わったあと。
「お昼食べに行こ!」という真紀ちゃんとふみちゃんの誘いを断り、私はさっさと教室を出て行ってしまったキヨさんの後を追いかけた。
キヨさんも私が追いかけるのは予想がついていたのか、大階段の手すりにもたれて待ってくれていた。それから校舎横のベンチに場所を移し、今に至る。
「それは私のセリフですよ! キヨさん、この大学に通ってるんですか?」
「たわけ。人の子とのはーふならいざ知らず、純粋培養の妖怪のわらわが学生になれるわけなかろう」
「でもさっき、歴史学の授業の一番前で……」
「あれは無銭参加じゃ。非合法参画じゃ!」
「胸張って言うことじゃない!」
やけに偉そうに言い放つキヨさんに、いっそ私は敬服した。たしかに妖怪のキヨさんはどうせみんなには見えないし、授業に無銭参加してもバレないっちゃバレない。とはいえ、なんだろうこのひと。なんでこんなに自信満々なんだ。
だけど、これでキヨさんの服装が今時女子な理由もわかった。郷に入っては郷に従えというし、普段から他の学生に混じっているから、周囲に合わせてこのスタイルなのだろう。
けれどもそう伝えると、キヨさんはなぜか目を伏せた。
「違うな。わらわが聞くのは、リョーコの授業だけじゃからな」
「リョーコって……有栖川涼子先生のこと?」
「そんな話はどうでもよいわ」
不意に立ち上がったキヨさんは、亜麻色の髪を揺らして不敵に笑った。
「スズとか言ったな。ここで会ったが1000年目じゃ。無銭門下生の先輩として、妖怪的大学の楽しみ方を伝授してやる」
「いや、私は普通に授業料払って学生やってんですけど」
「ついてこい。やはりここは、王道たぬ蕎麦からじゃな!」
「うわ、こら! って聞いてないし!」
腕を掴まれて抗議するけど、楽しそうに引っ張るキヨさんは耳を貸してくれない。それどころか足元の感覚がなくなって下を見れば、なんと私の体は宙に浮いていた。
「ひ、ひぃ!? キヨさん浮いてる、浮いてる!!」
「案ずるな! わらわが触れてる限り、お主の体は他の人間から見えんからな!」
「そういう問題じゃなくて! いや、それも大事だけど……!」
きゃー、死ぬー!!と。悲鳴をあげる私を連れて、キヨさんはそれはそれは楽しそうに笑った。
キヨさんに連れまわされ、私は国見大学の妖怪事情にやたら詳しくなった。
まず向かったのは、学食の屋上にある『たぬ蕎麦』だった。
学食の屋上は鍵がかかっていて立ち入り禁止だけど、妖怪たちにはそんなの関係ない。キヨさんと共にコンクリートの屋上に降り立つと、そこには渋い暖簾が目印の蕎麦の屋台があった。
店の両側には「たぬき蕎麦専門店」「たぬき蕎麦しか勝たん!」と癖つよなのぼり旗が立っている。
キヨさんが近づいていくと、暖簾の中で小さな影が動いた。
「おう! キヨじゃねえか。人間連れたあ珍しいな」
「ひさしいな、親父。今日もいい丸みだ」
慣れた様子でキヨさんが屋台に座る。キヨさんにならって恐る恐る近づいた私は、暖簾の中を覗き込んで驚いた。
「た、たぬきがそば茹でてる!?」
「たぬきの蕎麦屋でたぬ蕎麦じゃからな、当然であろう」
ふふんと何故か得意げに笑って、キヨさんはパチンと割り箸を割る。
すると、鉢巻を巻いたダンディボイスのたぬきの店主は、そばを湯切りする手(前足)をとめて私を見上げた。
「あー。嬢ちゃんかー。最近、きつね野郎が雇った人間のバイトってぇのは」
「きつね野郎って、狐月さんのこと?」
「この辺できつねつったら、あいつしかいねぇだろうよ。女っ気がない野郎だと思ってたが、ついに色気付きやがって。随分と可愛い嬢ちゃんを雇ったな」
「きゅう!」
キュウ助が嬉しそうに毛玉ボディを揺らす。たぬき相手とはいえ、私も褒められて悪い気はしない……じゃ、なくて。
「狐月さんと私はそういうんじゃないですよ。私がキュウ助、この倉ぼっことご縁があったから、流れでなんとなくバイトとして置いてくれただけで」
「いや、ちがうな。お前さんを雇ってから、きつねが楽しそうだって聞いてるぜ。実物に会って確信した。オレ様の勘に狂いはねえぜ!」
「ねえぜ!と言われましても」
本当にそういうんじゃないから、期待されても困る。
それに可愛い人というのは、キヨさんみたいな人を言うのだ。おしゃれに余念がなくて、自分の見せ方をよくわかっていて。大学に入ってひと月経つのに、いまだ垢抜けない私とは大違いだ。
そんなことを考えていると、キヨさんがチラリと私を見上げた。
「言っとくがお主、素材はいいんじゃぞ。でなければ、美意識の固まりたるわらわが人の子なんぞに構ってやるものか」
「友人の選定基準ひどくないですか?」
「あと、お主。やたら心地よい妖気を持ってるな。たとえるなら、ほどよくあいすくりぃむが溶けた抹茶フロートのような」
「たしかになあ。話に聞いちゃいたが、心が落ち着く妖気だ。まるで、極上の鰹から入れた黄金色の出し汁みたいだ」
うんうんと頷きあう妖怪たちに、私はきょとんとする。喩えが独特でいまいちぴんと来ないけど、ようは私の妖気?が一緒いて心地よいと言うことらしい。
(だからキュウ助も、私の家に来たのかな?)
「きゅ?」
肩を見下ろすと、キュウ助もつぶらな目で見つめてくる。狐月さんも、私が持つ妖気が妖怪たちと相性がいいと前に話していたし、カフェで雇ってくれたのもその辺が関係しているのかもしれない。
「ていうか、たぬき親父さん。さっきから話に聞いてたって何回か言うけど、誰が噂してたんですか?」
するとたぬき店主は、ひょいとおたまで後ろを指し示した。
「あいつらだよ。よくいくだろ、きつねの店にさ」
「え?」
振り返って、ようやく私は気づいた。屋上には百貨店の屋上ビアガーデンみたいな長テーブルがいくつか置いてあって、勝手気ままに座れるようになっている。
その一番近いテーブルに、私は顔見知りの妖怪を見つけた。
「やっほー、スズちゃーん」
「こんなところで奇遇でありますー」
のんびりと箸を振るのは、縁結びカフェの常連妖怪、猫又のニャン吾郎さんと河童のトオノさんだった。ふたりは仲良し妖怪で、縁結びカフェにもよく連れ立って来店する。
「スズちゃん、こんなところで何してるんだにゃー?」
「授業で偶然、キヨさんに会って……。まさかニャン吾郎さんとトオノさんとも、大学内で会うとは思わなかったけど」
「まさかも何も、我らの住処はここ、国見大学の敷地内でありますー」
「そうなの?」
初めて聞く情報に、私はぱちくりと瞬きする。するとニャン吾郎さんがスズっとたぬき蕎麦をすすってから頷いた。
「もぐもぐ……ごくん。うん! トオノは講堂前の池に住んでるし、おいらは部室棟の中に住んでるにゃー。あそこ、学生連中がたくさんお菓子を持ち込むから最高なんだにゃー」
「ちなみにキヨは、図書館に住んでおりますですよー。キヨのほかにも、たくさんの文車があそこに居付いてるでありますー」
「全然知らなかった……」
私は驚き呆れた。妖怪たちが案外近くにいるのかもしれない?などとタイムリーに考えていたが、思ったよりがっつり身近に彼らはいたわけだ。
「ということは、もしかして一反木綿さんもこの大学の住人なの?」
ここにはいない、もうひとりの妖怪を思い浮かべて私は尋ねる。そういえば彼だけ名前を聞きそびれていたけど、ニャン吾郎さんとトオノさんと店に来てくれる常連客だ。
けれどもニャン吾郎さんたちは、蕎麦を啜るのをやめて顔を見合わせた。
「一反木綿??」
「スズ殿は、どの妖怪のことを言ってるでありますか?」
「あ、あれ? 一反木綿じゃなかったのかな? ごめん、私、あまり詳しくなくて。ほら、たまに一緒に店に来る、ちょっと癖のある関西弁の……」
慌てて説明しつつ、内心首を捻る。一反木綿と思い込んでいた妖怪は、縁結びカフェに行ったときにもいた妖怪だ。
細長い布がぴらぴら浮いているような姿で、それはそれは、昔に見たアニメの「一反木綿」にそっくりで。だからてっきり、そうだと思っていたのに。
ニャン吾郎さんが「あ!」と手を打った。
「もしかしてアレにゃ。ヌエのことじゃないかにゃー?」
「おお、いかにも! ヌエのやつなら、スズ殿が勘違いされるのも無理はありませぬー」
「ヌエさん?は、何の妖怪なの?」
「はいー。あやつはちょっと変わった妖怪でありまして……」
河童のトオノさんが教えてくれようとしたその時、カウンターから痺れを切らしたキヨさんに呼ばれた。
「おい、スズ! お主の蕎麦が伸びてしまうぞ。せっさくわらわが、お主に蕎麦をご馳走してやるのだ。よもや食わぬとは申さぬな……?」
「わーわー、食べます食べまーす! 何これ、たぬき蕎麦? すっごい美味しそう!」
「あったりめえだ。オレ様はこの道一筋、たぬき蕎麦しか出さねえからな!」
ものすごく妖怪っぽく亜麻色の髪をゆらゆら揺らすキヨさんに慌てて駆け戻ると、たぬきの店主がくいと黒々とした鼻の下をこする。そこには、天かすとネギがたっぷり乗った、ほかほかのお蕎麦が用意されていて。
はじめて食べた妖怪の蕎麦は、鰹だしがたっぷりと効いていてものすごく美味しかった。




