蘆薈は敗北を経験する
目が覚めると、見知らぬ天井がある。蘆薈はアーノルドとの戦闘でボロボロに砕けたはずの右手で頭をかいた。
「いやぁ、これはかなりショックだな」
蘆薈は生前、その筋ではそれなりに有名で、数多くの仕事をこなしてきた。万能の二つ名を聞き、警戒しない者などいなかったほどだ。
魔法ってのはリリーの使う、愛の力のことじゃねぇのか? 人間の内なる愛の力で悪者の悪の心を浄化するのが魔法だろ。なんだよあの化け物は。
蘆薈の魔法に対する知識は、絶対魔法少女リリーの作中に出てくるラブパワーだけである。
「だが俺にも魔法が使えることがわかったぞ。こりゃあ楽しくなってきたな」
蘆薈は気絶する寸前、アーノルドが言っていた身体強化魔法ことを思い出す。どうやらあの衝撃で肉体が潰れずに保たれたのは、身体強化魔法と呼ばれる力が原因らしかった。そして、無意識のうちに蘆薈は、その力を使いこなしていたようだ。
「あら、もう目が覚めたの?」
アーノルドの腹立たしいニヤけ顔を思い出し、白目をむいていた蘆薈に、声をかける女がいた。
「アーノルド先生にやられたそうね。なんで初日からこんなことになるのかしら」
医務室と思われるこの部屋に入ってきた女は、白衣を着ており、どうやら養護教諭のようだ。
「まあ、命があるだけよかったじゃない。アーノルド先生は本当に殺っちゃうこともあるんだから」
それは本当に教師なのか? 蘆薈は学校について詳しく知らないが、生徒の命を奪うような教師の話は聞いたことがなかった。この世界の異質さを感じる。
「本当はもっとあの野郎の力を引き出したかったんだがな。あんな突進と右ストレートだけでこのザマだ。嫌になるなぁ。ったく」
蘆薈はこの世界の人間の戦闘能力を測りかねる。手加減していたであろう、アーノルドの動きは、小学生の喧嘩のようなものだった。
「何言ってるのよ。アーノルド先生の身体強化魔法はこの学園の中でも一二を争う実力よ? そんなのに全力出されたら、本当に死んじゃうわ」
養護教諭の女は、椅子に座り珈琲を啜った。髪をサイドで括り、ゆっくりと口にカップを近づける仕草はなんとも艶めかしい。
「じゃあ野郎の動きに対応できたらいいってこだろ。任せろ。俺は負けず嫌いだからな」
「負けず嫌いってねぇ。あなた。なんでこうGクラスの子ってのは無茶するのかしら。毎年教師に歯向かう子はいるけど。ろくな目に遭わないってのに」
養護教諭はやれやれとわざとらしく首を振る。首の揺れに合わせて動く胸が蘆薈の視線を嫌でも注目させる。
「そんな根性ありそうなやつ、教室にはいなかったけどな。全員ビクビク怯えて、子うさぎみたいだったぞ」
蘆薈は今朝の教室の様子を思い浮かべる。皆一様にアーノルドの恫喝に脅え、言い返そうとする者はおろか、面と向かってアーノルドの目を見る者さえいなかった。
「中にはいるのよ。あなたみたいな子がね。Gクラスは落ちこぼれって言われる子が多いけど、戦闘能力が低い子ばかりって訳じゃないからね。まあ、魔法が全てのこの学園じゃ、使い勝手の悪い魔法や、適正の低い子達はみんなGクラスに入れられるのよ」
なるほどな。魔法による選別で、教室を分けられてるわけか。
「それにしてもあなたタフねぇ。気絶したあなたをGクラスの、誰だったかしら? アイシャ? って子が連れてきてから、まだ三十分も経ってないのに」
アイシャが俺を連れてきたのか。あんまり印象良くねぇと思ってたが、案外脈アリ的な?
的はずれで都合のいい思考に没頭する。蘆薈は生前、恋愛というものに費やす時間がなかったからか、この世界では恋愛というものを楽しみたいと考えていた。
「元気になったなら、そこどいてちょうだい。ただでさえこの学園は怪我人ばっかりなんだから」
「さっきまで死にかけてたんだ。もう少し休ませてくれてもいいだろ」
蘆薈は養護教諭の口ぶりに少し苛立ち、ぶっきらぼうに言い返す。だいたい、今どきの学校であれば、少しでも問題があるとすぐにネットに書き込まれ炎上する。しかしここは異世界。生前の世界での常識はもちろん関係ない。
「あなたの体に異常はないわ。どういう体してるのか知らないけど、元気なんだから。ほら、さっさと行った行った」
蘆薈は養護教諭に、半ば強引に追い出される形でベッドから立ち上がる。
「なんだかあなたとは、これからも縁がありそうね。私はナディアよ。あんまり顔出さないように」
「もう来ねぇよ。こんなところ。次来るのはアーノルドの野郎だ」
蘆薈は不機嫌そうに言葉を吐き捨て、医務室を後にした。
クラスに戻った蘆薈を待っていたのは、同情と敵意の視線だった。
「口だけじゃないか! 弱いんだったら、黙って先生の言う事聞いてろよ!」
ひとりの生徒が戻ってきた蘆薈に向かって怒号を飛ばした。苦虫を噛み潰したような表情から、蘆薈が寝ている間に何かあったことは明らかだった。
「うっせぇな。油断したんだ。次は殺すから、楽しみに待ってろって」
蘆薈は男子生徒を軽くあしらい、自分の席に着いた。しかし、男子生徒は蘆薈の席までやってくる。ムキになっているようだった。
「お前のせいで連帯責任になったんだぞ! 明日の講義は全て無しになったんだ! どう責任取るつもりだ! 」
男子生徒は途中から泣き出しそうな顔になって、蘆薈に責任を追及してくる。強く握られた拳には、爪がくいこんでいる。
「知らねぇよ。だいたい勉強しなくていいならラッキーじゃねぇか。俺なんて仕事中、いかに楽するか。サボるか。それだけを考えてたんだぞ」
蘆薈は、それが何か問題でも? と男子生徒に言い返す。蘆薈自身、本当に何が問題なのかわかっていなかった。誰からも相手にされず、自分ひとりで仕事を覚えてきた彼にとって、誰かから教えを乞うこと自体、親しみのない行為だった。
「俺たちは血を吐くほど勉強して、やっとこのシューバルデン魔法学園に入学したんだ! お前からしたら問題じゃないのかも知れないが、俺らからしたら大問題なんだよ!」
男子生徒はついに目に涙を溜めて、その雫が溢れないように踏ん張っている。
「だから知らねぇよ。腹が立つ言い方されたら普通言い返すだろ? 俺は負けず嫌いなんだよ」
「負けず嫌いって……」
何を言っても取り合ってもらえないと気づいた男子生徒は、とぼとぼと自身の席に戻って行った。その様子を見ていた他の生徒たちも、どうやら彼と同意見らしく、蘆薈を見る目は敵意にみちている。
「あなたって人は最低ですね」
後ろからアイシャの声が聞こえた。ぎりぎり声が蘆薈に届くか届かないか程の声量で呟かれた言葉には、僅かな怒りと呆れが込められていた。
「俺が悪いってのかよ。普通だったらヒーロー扱いされてもいい気がするんだがな。リリーも自分の正義に正直になれって言ってたし」
蘆薈の師は絶対魔法少女リリーである。彼女の言葉は絶対的に正しい。彼は本気でそう思っている。
入学初日、蘆薈はクラスの中から孤立した。