6話 ぬーが口癖の子
ゆるやかな目覚め。
フライパンのにぎやかな音がする方へ、誘われるように足が動く。
一人のときでは聞くことのなかった音。
どうにも調子が狂ってしまうが、嫌悪感はない。
むしろ──
「おはようございます! 今日は早起きですね小森さん」
「……おはよう、あかり君」
「朝はかるく目玉焼きとトーストでいいですか? あ、コーヒーもありますよ。インスタントですけど」
俺の今までの日常は、夜中までネトゲをして、寝るのは明け方。起き出すのは昼頃で、そのために配送業者もすべて午後便に指定していた。
それもあかり君が来てから変わろうとしている。
「朝は苦手ですか?」
「まあ……慣れてない、かな」
早起きしてしまったのには理由がある。
早く寝てしまったからだ。
いつまでも起きていると、あかり君が心配するものだから寝ざるを得なかった。
しかし日課みたいになっていたネトゲも、一日やめてみれば憑き物が落ちたかのようにログインに固執しなくなる。
ある意味では呪いを解いてもらったようなものだ。
「ゲーム、したかったですか?」
「えっ!? どうしてそれを……」
「一緒にアマゾンやってた時、ゲームの掲示板のぞいてたので……」
「毎晩のようにやってたからなぁ。でもまあ、どうでもよくなったよ」
「でもハイスペックなパソコンも買ってました」
「うっ……」
あかり君はのほほんとしているようで結構鋭い。
2ちゃんねるに書き込むくらいだし多少はヲタク慣れしているのか。
「新作ゲームが出るとかですか?」
「実は今日の16時にサーバーオープンのMMOで……やってもいいですか?」
日課のようにやっていたネトゲをやめた時、俺のような人はどうなるか。
答えはひとつ、新しいネトゲをやりたくなるのだ。
呪いはそう簡単に解けるものではない。
「ええっ どうぞどうぞ! あ、でも夜ふかしはやめた方がいいですね」
「夜ふかししない! やくそくする!」
あれ? なんで俺が許しを請うてるんだ? 仮にも家主なんだが。
「そういえばパソコン3つも買ってましたけど、3PCというやつですか?」
「おお。 君からそんな専門用語が出るなんて……」
3PCとはいわゆるネトゲ用語で『3つのパソコンでプレイする』の略である。略かはあやしいがそういう意味である。
俺がよくプレイするMMORPGというジャンルでは、チームプレイが推奨される場合がほとんどで、メインで敵と戦闘する以外にもサポートするキャラクターがいると有利に働くように調整されている。
つまり、ネトゲ内でもボッチになりがちなプレイヤーは複数のPCを用意して自分を援護するキャラクターとして活用するのだ。ガチ勢というやつだ。
2PCまでならわりとよくあるが、俺が知ってる限りでは最大8PCとかいうツワモノがいて同時に8つのキャラクターを操っていた。どう考えても手足が常人の3倍くらいないと扱えたものではないのだが、彼は本当に人間だったのだろうか。
「小森さん?」
「んっああ……ごめん、昔のこと思い出してた。3PC、そのとおりだよ」
「よければお手伝いしますよ」
「え? でも興味もないゲームに付き合わせるのは流石に……」
「興味あります! 私ゲーム大好きなんです」
本当かなぁ。女の子ってこういうゲームやらないイメージなんだけど。
料理といい掃除といい、かなり気を使わせてる感じがする。
例によってニコニコしてるから本心なのかどうかもわからない。
……でもまあ、彼女の心に負債みたいなものがあるとするのなら、それはさっさと取り除いてしまったほうがいいのだろう。
「とりあえず全部のパソコンにインストールしよう。やり方はわかるかな?」
「おまかせくださいっ」
「まあ遊べるのは今夜からだから、それまでに出来てればいいよ。あと、4台あるうちの1台はあかり君のだから好きに使ってくれな」
「本当に何から何まで……ありがとうございますっ」
あらためて考えると不思議な生活だな。
家事をしてくれる年頃の女の子がいて、賃金どころか生活費まで社長が負担してくれる。
都合のいいというかなんというか……。
まあ、派手な買い物をしてやったから、長くは続かないとは思う。
それならそれで社長に押し付ければいい話なんだが……。
なんだか、その時になったら後悔しそうな気もする。
「ちょっと、席外すな」
「はい、いってらっしゃいませっ」
今なら。
暗く、停滞していたこの場所に、少しだけ陽の光が差し込んできた今なら。
もしかしたら、俺は外の世界を好きになれるかもしれない。
そう思い、空気を入れ替えるつもりで玄関の戸を開けた。
──そして、俺の感傷的な気持ちは一瞬で霧散した。
「……?」
戸の外で子供がうつ伏せで寝ていた。
「ぬー。おなかすいたー。」
「え、誰……?」
大の字のまま、顔だけ持ち上げて口を三角形にして不満を訴えてくる。
全く見覚えのない子供だ。
短パンをはいて男の子みたいな開放的な格好をしているが、何となくスカートも似合いそうだなと思った。
柔らかそうな長めの髪はベージュ色で巻き毛っぽい。
瞳も薄い金色なところを見ると、純粋な日本人というわけではなさそうだ。
「迷子か?」
「あるいみー……。」
「お母さんは?」
「もういない。」
もうってなんだよ。
ワケありの子か?
「おうちは?」
「ここ。」
「いや、ここは俺の家なんだが」
「ぬー。おなかすいたー。しぬー。」
意思疎通が難しいな。
あかり君に届けさせるか。
「ちょっと待っててくれな。食べ物とってくるから」
「やだー。置いてかないでー。」
「おわっ!?」
戸を閉めようとした瞬間、子供はぬるっと隙間から入り込んできた。デジャヴ!
間の抜けた喋り方をするくせにめちゃくちゃ機敏だコイツ。
「不法侵入なんだが!?」
「ぬー。子供だから罪にとわれない。」
こ、このガキ……。
俺の不信感がマッハになる。
「飯は食わせてやる。食わせてやるがそのあとすぐに警察に突き出してやるからな!」
「女子校生。誘拐。ぬっふっふー。」
「……なんだと?」
口元を歪ませ、金色の瞳が輝いている。
なんなんだこの子供。
あかり君のことを知っているのか……?