5話 ぬーと鳴く猫
翌日。
俺が起きた時には既にあかり君は出かけていた。
デスクには彼女の書置きがあった。
きれいな字で「お言葉に甘えてお買い物に行ってきます。 借りたお金はぜったいぜったい返しますので!」と書かれており、端っこには顔のついたひまわりのサインも入っていた。なんとなく昨日見た悪夢を思い出して身震いした。
昨夜は遅くまであかり君とネットショッピングをしていたので、眠気がまだ取れていなかった。
俺はその日のやるべき仕事をさっさと片付けて、またすぐに昼寝をした。
そして、忙しい夕方がやってきた。
あかり君用のベッドや机などの家具に加えて大きめのパソコンが3台届いた。(そのうち2台は俺の)
あかり君はあかり君で、丸一日使った買い物の量が半端ではなかった。買い物袋にその体をすっぽり隠せそうなほど買い込んでいたからだ。
これだけ買い込むなら一緒に行ってやるべきだったとは思うが、俺は昼間外に出ると溶けて死ぬタイプの人間なのでそれは出来なかった。
「いざ対面してみるとこの量はやばい。少しずつ買い揃えるのが正解だったか」
「私も調子に乗ってしまいました……でも一度に買った方が安いので」
まあ、後悔したところで目の前の荷物は無くならない。
「とりあえず家具は俺にまかせて」
「では私は食材やお洋服の整理を」
我が家の間取りは、いわゆる6LDKだ。
リビングが仕事場になっていて、机やパソコンや冷蔵庫や……とにかく、寝る時以外はすべてここで完結している。他の部屋にはダンボールが住んでいる。寝室にもだ。
しっかり整理すれば空き部屋が2、3個作れる程度には広い家なのだが、あかり君が来るまではその必要はなかった。
昨日のゴミ捨てで張り詰めた筋肉に鞭を打ちながら部屋作りを開始する。
整理の追いつかない分の荷物は片っ端から俺の寝室にぶち込んでいった。ベッドの上で寝返りさえ打てれば、俺の部屋は寝室としての機能を十分に果たしているのだ。
倉庫部屋を行ったり来たりしてるうちに、キッチンの方から包丁でまな板を叩く小気味いい音が聞こえはじめた。
自分以外の生活音。いつもは静かな家の中に、昨日会ったばかりの人の息遣い。
当初は不安ばかりだったが、いざこうしてみると、頭の後ろがくすぐったいような、不思議な感じがする。
「ふんふんふーん。 日輪の剣はお芋をきりさくー」
調子がのってきたのか変な歌まで聞こえてきた。
厨二病モードで料理やってるんだろうか。
ちょっと不安になってきたので様子を見にいってみる。
「さんらいとせいばー♪ さんらいとせいばー♪ 闇の一党も一刀両断」
そーっと厨房に顔を出してみると、ものすごい包丁さばきで野菜を切っていた。
かと思いきや、火にかけた鍋へ移動したり、調味料を入れたり、おたまを振り回したり、とにかく作業速度が尋常ではない。並列作業も極まってくると分身してるように錯覚してしまうものなのだろうか。
「す、すごい……」
「うわあ! びっくりしました。後ろにいたのですね小森さん。今日は肉じゃがとサンマとツナサラダとひじきです。出来上がるまでもうちょっとかかるので、もうちょっとお待ちくださいませ!」
「アッハイ」
ぴんと背筋を伸ばして『カーテシー』を決めるあかり君。俺を圧倒したことに満足したのか、またスーパー調理モードに戻ってしまった。
厨二モードとはまた違う形態らしい。
俺は邪魔しないようにそっとその場を後にした。
「さて、どうするか」
手持ち無沙汰になってしまった。
家具はあらかた移動したし、細かい位置調整はあとで相談してもらうとして、他に彼女にしてやるべき事は今のところ思いつかない。
うーん。一人でパソコンをやりながら飯を待つというのは何か違う気がする。
かと言ってうろうろ家の中を歩き回るのもなんかダサい。
時刻は20時をまわったころ。真夏とはいえ、外もさすがに暗くなってきただろうか。
俺はツナ缶を手に玄関の戸を開けた。
「うおっ」
いつものベージュ色のネコが石段の上で待っていた。例によってぬぅーんと変な鳴き声を発している。別に唸っているわけではないようで、機嫌がいいのか悪いのか相変わらず見当が付かない。
「お前……動くんだな」
「ぬぅー」
ちょいちょい餌をやることはあったが、何もせずにこんなに近づいてきた事はなかった。
サンマの匂いに釣られてきたのだろうか。
「ほれ、サンマはやれないが好物のツナ缶だぞっと」
ネコは俺の目をじっと見つめてきた。
なんか文句でもあるのか。
目線をそらさずに見つめ返してやる。
金色の綺麗な瞳は何となく知性を感じる。ネコ相手に何故か小っ恥ずかしくなるが、俺から視線を外すのも何だか悔しいので我慢してたっぷり3秒見つめ合った。
そして、ネコは根負けしたのかしぶしぶとツナ缶に顔をうずめた。
「いまだ! もふもふチャーンス!」
「ぬぅー……」
昨日思う存分もふれなかった分、激しくもふもふする。
俺がタダで餌をやると思ったかマヌケめ。
ぬぅぬぅと鳴きながらも後退せずにツナ缶へがっつくネコ。さっさと食べてもふもふから逃れる算段らしい。だが甘い。
「ふははは! 増量中のツナ缶だぞ。たっぷり食――」
「小森さーん。ご飯できましたよー……? あっ」
視界に大きな影がうつる。
声の方へゆっくり振り返ると、太陽のごとく嬉しそうな笑みを浮かべるあかり君が立っていた。
「ネコさん、お好きなんですね! うふふふ」
「いやこれは暇つぶしで……」
夕飯はめちゃくちゃ美味しかった。
日ごろの手抜き飯で汚れた内臓がデトックスされていくかのような気持ちだった。
ジャンクフードばかりで味覚の衰えた俺は気の利いた感想も言えず、ただ美味しいとしか伝えることができなかった。
最近のJKってこんなに料理が上手なものなんだろうか。今度教えてもらおうかな。
そしてあかり君はというと、俺がどんな動物が好きなのか、とか、ペットは飼った事はあるのかとか、さっき見せてしまった痴態を遠回しに弄ってきて、ずっと嬉しそうにしていた。この娘はほんのりSっ気があるかもしれない。
でもまあ、俺もあんまり悪い気はしなかった。