4話 その夜
夢を見ている。
暗くて涼しい森の中だ。
ひときわ明るい広場に一輪のひまわりが咲いている。
俺はパタパタと羽を動かしてひまわりの前に着地した。
突然、まわりの地面から触手が飛び出て俺を絡め取る。
いくらもがいても屈強な触手から抜け出す事は叶わない。
背を向けていたひまわりがこちらへ振り返る。
そして、「カッ」と大きな声を発した瞬間、ひまわりの顔がものすごい閃光を放ち森ごと俺を消し飛ばした。
「うわあああああああっ!?」
「閣下! やっと起きましたね。このまま寝ては風邪を引いてしまいますよ」
顔を持ち上げると眩しいくらい満面の笑みを浮かべたJK……もとい、あかり君が覗き込んでいた。
どうやら机の上で寝落ちしていたらしい。
「……もしかして起こしてくれた?」
「はいっ。閣下の体調管理は私の役目ですから」
任命してないが。
「閣下は無しにしよう。小森でいいからね」
「分かりました小森さん! ところで、もう日付が変わりそうな時間ですよ。仮眠かと思って様子を見ていたのですが、そのままがっつりいきそうでしたので」
「あー、よくあるんだ。ありがとう」
椅子から立ち上がると、異変に気付いた。
「俺の知らない部屋になってる……」
「お掃除がんばりましたっ」
大小それぞれ好きな方を向いていたダンボールたちはぴったりと同じ高さの山になって整列している。
散乱していた伝票は紐できれいに綴られてかわいい結び目を作っていた。
「寝てる間にずっと掃除してくれてたのか」
「できるだけ、元あった場所から動かさないようにしました。あ、でもお台所はその……すごかったので前とだいぶ変わっているかもしれないです」
「えっ……アレをやったのか!?」
あの台所はGと出会ってからもう何年もまともに使ってない。そもそも料理なんてやらないし、冷蔵庫も新しく買ったのを作業部屋に置いて使っている。それくらい俺が忌避している空間なのだ。
そんな禁断の地をこの短時間で掃除したというのか……?
俺は急いで台所へ向かい、そして、その場で腰を抜かした。
「嘘だろ……あの腐海のアレが空港みたいになってる……いや、デ○ニーランド?」
「お掃除、とくいなんですっ」
「いやいや、得意とかいうレベルでは……実は魔法使いか何かなのか」
「!! ……我が名は日輪の──」
「あゴメン待ってそのスイッチを押すつもりはなかった」
「はい……」
中二病スイッチ、だいぶ浅いところにあるな? 気を付けよう。
しかし深夜か。生活用品を買いに行くにも店はしまってるよな。
だからと言って昼間に外へ出たくないしなぁ。
「ところで小森さん。掃除するにあたってですね、結構な量のゴミが出てしまいまして」
「あー。そうだろうな。ちょっと捨ててくるよ」
「私もご一緒させてください。このへんの地理のお勉強がてら」
「いや……すぐ帰るぞ?」
というわけで二人で外に出ることになった。
いかに重度の引きこもりと言えども、飯を食わなければ死んでしまう。
その飯も通販で配達してもらう方法はあるが、飯を食えばゴミが出てしまう。
生活ゴミをわざわざ引き取りにきてくれるようなサービスも無い。
つまり、こればっかりは自分で捨てにいかなければならないのだ。
「ふぅー、夜はそこそこ涼しいですね」
「そ、そうだな」
真夜中でもやっぱり緊張はする。というか隣にセーラー服のJKがいれば目立ってしまう。
しかもこんな時間に……あれ? もしかして結構まずいのでは。
「あかり君、木漏れ日通りには人が滅多に来ないが、上は違う。こんな時間でも息遣いが聞こえてくるのが分かるか?」
そう頻繁ではないが、こつこつと人の歩く音が聞こえてくる。
「そうですね。けーさつ、用心しなければ」
「察しがよくて助かる。あかり君の制服は非常に目立つわけだが……その、一張羅だよな」
「はい。持ってるのはお財布とスマホくらいで……」
「あとで買い物しよう。それに、結構な量の古着が倉庫にあったから」
「ええっ、でもお財布の中身もあんまり……」
「金は気にしなくていいらしい。社長さまさまだな」
「ありがとうございます! わたし精一杯働いてお返しいたします!」
ぺこぺこと頭を下げまくるあかり君。真面目な良い子にしか見えない。
社長の言う通り、向こうから心を許してくれるまで一緒に生活すべきなんだろうか。
それから高架へ上がり、坂を登ったところにあるゴミ捨て場を結局2往復した。
「ハァハァハァ……しぬ」
「私も……くたくたですぅ」
高架への階段と、中々いい角度のついた坂道を行き来するのは俺じゃなくても重労働だと思う。
一体誰だこんな立体的な街を作ったのは。
帰りはコンビニで袋いっぱいに食料を買い込んだ。
会計を済ませたあと、外で待っていたあかり君が仰天していた。
いわく「こんなにたくさんエナジードリンク飲んだら死んでしまいます!」だとか「料理がんばるのでコンビニご飯は今日までにしましょう!」だとか、お母さんみたいな事を言われた。
まあでもキッチンを綺麗にしてもらったし、この歳の娘がどれほど料理ができるかも興味があったので、明日は任せてみるつもりだ。
「俺は家を守る義務があるから、明日の買い出しはあかり君一人でな」
「はいっ 任せてください!……ってどうしたんですか? 買ったばかりのモノを取り出して」
この時間の木漏れ日通りは街灯の本数が少ない事もあってかなり暗い。
明かりに照らされて一際目立つベージュ色のネコは、いつものように道の真ん中で寝転んでいた。
こいつは何事があっても動じない肝の座ったネコだ。
ツナ缶をひとつ手に持ってネコに近付いていく。
「おおっ……あげるんですか?」
「うむ。別に声を潜めなくても大丈夫だぞ。すごい太々しいんだコイツ」
ネコは不動の姿勢で目線だけでこちらの動きを追っている。もう手を伸ばせば触れるほどの距離だ。
そして、あかり君が触ろうとすると「ぬぅ〜」とあまりネコらしからぬ声を出して威嚇してきた。威嚇といっても声だけなのだが。
「嫌がられました……」
「多分そのまま撫でても逃げないぞ」
手に持っていたツナ缶を開けると、ネコの威嚇音は鳴り止んだ。明らかに動揺しているのが分かる。
「ほら動けばごちそうにありつけるぞネコ。触られる覚悟ができたら来るんだな」
「なるほどっ」
別にそのままあげてもいいんだが、偉そうなネコを見ていたらイタズラしたくなってしまったのだ。
ネコもツナ缶の誘惑に我慢が出来なくなったらしく、のろのろとこちらに寄ってきた。
「慣れてますねぇネコさんも」
「よくこうして好感度を稼いでるんだがな。このとおり現金なやつで進展が全然つかめないんだ」
ツナ缶を食べてる間は触りまくっても文句を言わない。
あかり君がネコを撫ではじめてしまったので、俺はネコをモフりたい気持ちを抑えることにした。
本当は激しくモフりたいのだが、あかり君の手前そんなことはできない。クールな印象が崩れてしまうからだ。
でもでも本当は激しくモフりたい。
実は夜な夜なこうしてツナ缶を餌にモフっているのだが、ネコに口なし。これは俺だけの秘密だ。
「もふもふー。毛並みがいいですねー。毎日おいしいもの食べてそうです。ふふふ」
「あんまりそこから動いてるの見たことないんだけどな」
空になったツナ缶を名残惜しそうにぺろぺろとやっていたので、もう一つ開けてから俺たちは我が家へと戻った。