29話 フワフワソラクリオネ
小森たちは家まで一旦引き返し、本格的に装備を整えてから再出発した。
簡易テントなどキャンプ道具一式は小森が、鍋や水筒などの調理器具はあかりが、缶詰や『まるっこどうぶつ』などの非常食はヌーが、それぞれ持てる限りの荷物を持って登攀に挑んでいた。
「小森さん、本当に重くないんですか?」
「うむ、まだ余裕なくらいだ。なんならあかり君のも少し持とうか」
「いえいえっ! わたしはこれで大丈夫です……すごい力持ちになりましたね」
小森は転移前と比べても、特に見た目の変化は無い。しかし明らかに運動能力が向上していた。
三人の中で一番重たい荷物を背負っていてもなお、涼しい顔で森を歩いている。
それは三時間ほど険しい道を歩いたあとでも同様だった。
「ぬー。結構あるいた。もう休憩したい。」
「どれくらい歩いたのでしょうか?」
「ちょっと見てみるか」
常に『穴』側を把握しながら進んでいるので、道に迷うことはない。
穴に近寄れば視界が大きく開けるので、初期地点に挿しておいたフラッグがよく見えるのだ。
「おお見てくれ、だいぶ進んだんじゃないか?」
「フラッグがあんなに下の方にっ!」
予定していた対岸までの進行率は20%ほど。高さは30メートルほど上まで来ていた。
向こう側へまわりこみつつ、登れそうな坂や段差は徹底的に登っていたのが功を奏しているのだ。
「わりと街まで行けそうだったり。」
「……でも断崖の街は、わたしの目ではまだ見えないです」
「他に人影もないな──お、川が近いぞ」
穴側へ身を乗り出しながら、小森が進行方向を指し示した。
「休憩するなら水場がいいからな。ヌーはもうちょっと頑張ってくれ」
「わかった。」
「ヌーさん、えらいえらいですね~」
「んぬぅ~~。こそばゆい。」
あかりがヌーの頭を撫でる。ヌーは恥ずかしいのか両手で顔を覆いつつも、されるがままになっていた。
「お、俺も──って、なぜ避ける」
そして小森も参加しようとすると、ヌーはさっさと先を歩き始めてしまった。
「小森は手つきがヤラシイから。」
「俺は純粋な気持ちで触ってるのに……」
「あ、あはは……」
それから10分も歩かないうちに小川へとたどり着いた。
小森の腰ほどの深さで、幅もぎりぎり飛び越えられそうなサイズの小川である。
「よしッ。ここをキャンプ地とする!」
「はいっ、小森隊長! わたしは何をすればよいでしょうか!?」
敬礼し指示を仰ぐあかりは、不安というよりは現状を楽しんでいるようである。
「うむ、あかり君とヌーは焚き火用の薪と石を集めておいてくれ。俺はテント設営やっとくから」
「了解でありますっ!」
「あんまり遠くに行くんじゃないぞ」
「うぬ。川から離れないようにしよう。」
二人は荷物を下ろし、川沿いを上流側へと歩いていった。
小森はそれを見送ったあと、テキパキとテントを設置しはじめた。
身体の状態が素晴らしいのもあって、小森の精神状態はとても落ち着いていた。
今後どうすればいいかを計画的に考えられる。長いひきこもり生活ではほとんど体感することのなかった状態だ。
キャンプの設営をしながら、現状の分析と計画を頭の中で繰り返していた。
俺たちがいるのは巨大な穴の中だ。脱出するためには上へ向かう他にない。
穴の入り口と思われるところには、街のようなものがある。わざわざそこに拠点を構えるということは、穴に用事があるとしか思えない。
つまり上へ向かえば、いずれ彼らと接触する事ができる。そうなれば、彼らの居住地と俺たちの家を結びつける事が可能になる。
いくつもの崖の層からなっているこの『穴』は下から上へ行くよりも、上から下に降りる方がはるかに簡単なはずだ。もっとも簡単な手段として、ロープを張ればいいのだから。
上層の彼らとて、何の策もなしに穴へ降りてくるとは考えづらい。何度も行き来することを考えれば、どこかに『道』が出来ているはずなのだ。それはロープか、人工的な階段か、あるいはエレベーターかは分からないが、その『道』を利用させてもらえば、俺達は穴の入り口にずっと近くなる。
キャンプの設営はとっくに終わっていた。
小森は木の根に腰掛けて、目の前を浮遊する半透明の生き物を見ながら、新たな考えを巡らせている。
このふわふわと空中を泳ぐ……クリオネみたいな生き物は食べられるのだろうか。
『彼ら』との接触に何日かかるかは、まだ見当もつかない。家から持ってきた食料もそこまで多くない。
気力や体力のある、早いうちから食料の模索をすべきだ。
そうは思うが、未知の生き物を口にするのはちょっと憚られる。
「ヌーじゃないんだからな……」
「よんだか。小森。」
気付けば隣にヌーが座っていた。
「あれっ、 帰ってきてたのか」
「ぬぅ。ただいまと言ったぞ。」
あかりはテントの前で焚き火の用意をしている。
鼻歌まじりで、いつものキッチンにいるかのような振る舞いである。
「何か悩みがあるのか。小森。」
「いやな……これから先は『穴』の中で食料を見出していかなきゃならんと思ってな」
「なるほどな。」
ヌーは相槌をうつなり、目の前を浮遊している『クリオネ』をぱしっと捕まえた。
「どうするつもりだ? まさか……」
「食べられるか食べられないかは――。」
ヌーは百聞は一見にしかずとばかりに、持っていたクリオネの先端を噛みちぎる。
破けた部分から透明な液体が飛び出し、クリオネは動きを止めた。
「とりあえずかじってみるもんだ。」
「うわぁ……お前、よくやるな」
「んぐんぐ……。これはくさい。食べない方がいい。」
「ええ……」
ヌーは噛んでいたクリオネをその場で吐き出した。
「これが野生で生き残るコツだぞ。小森。」
「見直したよ、ヌー……」
いろんな意味でな、と小森は心の中でつぶやいた。
ヌーが口をゆすぎに行くのを見送ったあと、小森はあかりの方へと移動した。
「見てください小森さん! 火を起こせましたよっ」
「おお、よくやった! さすがは小森王国専属の炎使いだ」
手に持ってるチャッカマンは見なかった事にする。
「はっ! 火の番ならなんでもお任せください閣下」
「これ、調理できるか?」
「うわぁ……可哀想ですけど、やってみますね」
あかりは『クリオネ』を受け取ると、少し悲しい表情をした後、何とそのままフライパンに放り込んでしまった。
「豪快だな……」
「調理とは火を通す事ですよ、小森さん」
焚き火によってフライパンが加熱されていく。
二人で焼けるクリオネを見守っていると、大きな変化が訪れた。
クリオネは、ぼんっと小さく爆発して炎上しはじめたのだ。
「あっあああ! 燃えちゃってますっ」
「それ。ガソリンの味したから。」
「空を飛んでるくらいだし、揮発性の高い体液が溜まってるのか……? 何にせよ食料にはならなさそうだな」
哀れなクリオネは、結局フライパンに黒い焦げ跡だけを残して燃え尽きてしまった。
「小森。魚を探したほうがいい。」
「うむ、次からはそうしよう」
「次? もう諦めるのか。」
「間もなく夜になるからな、空を見てみろ」
小森の指差す先の、遥か遠い『穴』の入り口。それを覗きこむようにしていた太陽は、すでに姿半分が外側へ隠れてしまっていた。
「太陽がなくなれば夜になる。この穴の中じゃ昼の時間がめちゃくちゃ短いみたいだな」
「うぬぅ……。これじゃ全然前に進めない。」
「まあ初めての夜だ。様子を見て、夜の間でも前進できるかどうか判断しよう」
辺りはすでに陰り始め、焚き火を中心に長く濃い影が三つ伸びている。
火にかけられた鍋ふたつの内容は、サバの水煮とコーンのみ。
自宅にいた時と比べれば、かなり質素な食事になる。
しかし、文句は言っていられない。
まだ現地調達できそうな食料は見つかっていないのだから。




