18話 追走
「ヌー? 何をしてるんだ……?」
「目玉焼き。小森のもつくる。」
形崩れした目玉焼きを皿にうつすと、ヌーは次の卵を冷蔵庫から取り出そうとした。
「待って、待ってくれ。どうしてそんなことを?」
「……食事当番。掃除もする。洗濯も任せて。」
あかり君の代わりをやると、遠回しにそう言っているのか。
「今は下手だけど勘弁して。すぐ上手くなるから。」
俺が言葉に詰まっていると、ヌーは申し訳なさそうにはにかんだ。
ひどくはかない表情をしているように見えた。
「ヌー」
「ツナとマヨネーズを合わせると目玉焼きがうまくなる。」
「ヌー、聞いてくれ」
「ごはん終わったらゲームにしよう。小森と遊ぶのは楽しい。それから――」
「ヌー!!」
ヌーはびくりと肩を震わせたあと、うつむいた。
「……。」
「すまん、大声をあげるつもりはなかった」
「小森にとって……。あかりは大切?」
「ああ、大切だ」
彼女は俺にとって――新鮮な外の空気みたいな存在だと分かった。
外の世界も太陽も嫌いだと思ってたが、いざ触れてみると憧れのような感情が湧いてくる。
そして、それはあかり君だけではない。
「ヌーもな、同じくらい大事だ」
「ぬぅ……。」
「あかり君がどこに行ったか教えてくれないか?」
「……あかりがこの世界に来て最初にたどり着いた場所。廃れた駅。」
「――かいせ駅か!」
行けば会えるという保証はどこにもない。
それでも俺は着の身着のまま家を飛び出していた。
高架を打つ雨音はすさまじかったが、階段を上がることに躊躇はしなかった。
降りしきる雨の中、ひたすら走った。
舗装が未熟な泥の道が俺の服を汚していく。
汚したそばから大雨が洗い流していく。
走っていても身体が温まることはなかった。
フェンスを乗り越えて、かいせ駅のホームへとたどり着く。今にも消えそうな屋外灯が点々とし、それのどこにもあかり君の気配が無い。
勢いで来てしまったが、本当にこの場所で合っているのだろうか。
かりに痕跡があったとしても、この雨だ。きっと流されてしまっているだろう。
雨風はまだ勢いよく、俺の体温を奪い去っていく。
こんな場所で、ただ立ちすくむしかできないのか。
待っている事だけしか――。
「小森。」
振り返ると、ヌーが傘を差して立っていた。
髪は濡れていないが、足元が泥だらけになっている。俺に追いつくために走ってきたらしい。
「ぬぅ……。ずぶ濡れだな。風邪ひくぞ。」
「あ、ああ。悪いな」
ヌーはもう一本の傘と、タオルを渡してきた。
てっきり乗り気じゃないのかと思ったが、手伝ってくれるらしい。
しかし。
「これ以上、あかり君を追いかけられない」
「諦めんな。小森。」
「諦めてはいないが、どうすれば……」
「これ使え。」
ヌーは懐からスマートホンを取り出した。
その画面は蜘蛛の巣状のひびが入っていて――。
「あかり君のスマホか!」
「うぬ。これで帰ってきてもらう手はずだった。」
「どういうことだ?」
「あかりの家の番号にかける。それで世界の揺らぎを誘発させる。異世界飛びを再現する。そういう予定だった。」
予定だった……という事は。
「もう試したよ。何度もかけたけど繋がらなかった。でも小森なら……。想いが強ければ強いほどいいんだ。」
「想いって……ヌーはあかり君の事が好きなんじゃないのか?」
「好きだよ。でも……。」
ぬう。と顔を伏せて黙ってしまった。
なにか複雑な気持ちがあるように感じる。
「わかった。ヌー、ありがとな」
「んぬぅ……。」
ごく自然に手がヌーの頭に伸びていた。嫌がるそぶりはない。
手を離す際に、名残惜しむような声が漏れていたが、今は聞かなかったことにする。
そしてヌーからスマホを受け取った。
「じゃあ、かけるぞ」
「あかりのこと。強く意識して。」
ひびの入ったスマホはピンク色の薄いカバーがつけられている。
裏にはキャラクターもののシールがいくつか貼られている。イラストのタッチからして、あかり君特製のシールということがよく分かる。
つまり、このスマホは正真正銘のあかり君のものであり、あかり君がこの世界に存在した証なのだ。
……あれ、そういえば。
「パスワード分かるか?」
「1111。」
「ええ……」
無防備すぎる……。
いや、ヌーが操作しやすいように変えたのかもしれない。そういう事にしておこう。
パスワードを入力し、出来るだけ他の情報を見ないようにしながら『自宅』と書かれた項目をタップする。
呼出音なければ、話中音もない。只々、無音が続いている。
「ボクの時は『現在使われておりません』だった。小森。もっと集中。」
想う気持ち、か。
あかり君と言えば……笑顔だな。太陽のようにいつでもニコニコしていて、気配り上手で、光属性の厨二病。日輪の花嫁というキャラクターを自分の中にもっていて、大切に育てている。
……一見悩みとは無関係そうなその笑顔の裏では、多くの事を気にしていた。強い恩義を感じていたり、それに報おうとして家事全般を請け負ったり、本当に気にしなくていいのに、金銭的な問題も強く意識していた。
そういえば、貯金おろしに帰りたいと書いてあったような。
「小森っ。鳴ってる鳴ってる。」
気付けばスマホからは呼出音が鳴っていた。
「繋がった!」
「あかり。出てくれっ……。」
呼出音は一定のリズムを刻み流れていくが、ひとつひとつの音が異様に長く感じる。
そして――
『はいこちら朝倉あかり!』
「あかり君! 俺だ、小森だ!」
『ただいま留守にしております。夜まで帰ってこないのでメッセージを残してください!』
盛大な空振りをしてしまった。
こんな活き活きとした留守録案内初めて聞いたぞ……。
とにかく、何かメッセージを残さなければ。
「あー、あかり君。小森です。えっと……もしよかったら、その、帰ってきてくれ。カネとか、迷惑とかそんな心配はしなくていい。むしろ君がいないことが迷惑だ。以上」
なんで俺ってこういう場面で変にカッコつけるんだろう。
「ぬう〜……。ちょっと寒め。」
「……いいんだ、これくらいがグッとくるんだ」
反論しつつもヌーのツッコミに救われる。
この場合、無反応でいられるほうがつらいのだ。
「ところで今って夜だよな? 留守電のメッセージだとあかり君は夜に帰ってくると言ってたが」
「時の流れが同じとは限らない。向こうでは朝かも。」
そういうものなのか。
しかし、留守電にメッセージを残したところで問題が解決したわけではない。
実際にあかり君とコンタクトをとらなければ。
あかり君の世界と繋がっていられるのはこの瞬間だけかもしれないのだ。
だから俺は、スマホからあかり君が昼間に居そうな連絡先を調べることにした。
・自宅
・実家
・お母さん
・お父さん
・会社
・大家さん
登録されていたのはたったの6件だった。
……友達いないのか?
もしかしたらヌーに託すときに不要な情報を削除したのかもしれない。
学校の番号があればそちらへかけたかったのだが。
というか、学生なのに会社? バイト先のことだろうか。
とにかく、この中から日中にいそうな場所は『会社』だろうか。
『自宅』と違ってタップするのに躊躇してしまう。
もしあかり君がいたとして、迷惑にならないだろうか。俺が今やってる行為は、はたから見ればストーカーなんじゃないか。
「小森。覚悟きめろ。あかりはこっちに帰るつもりでスマホを託したんだ。」
そうだ……。
ためらうな。
俺があかり君を連れ戻すんだ。
また美味いメシを作ってもらって、三人で騒ぎながら食べて、ゲームして……。
そこに迷惑なんて感情は要らない。俺も、あかり君も、ヌーも。心から信頼しあえるような、そんな関係になりたいと、そう望んでいるはずなんだ。
その為には俺が一歩踏み出さなくては。
俺がリードして、皆の幸せな時間をつくってやるんだ。
俺は意を決して『会社』の項目をタップした。




