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彼女は知っていた

 佐藤に清水について聞いた次の日、僕は一大決心をしていた。

 あれから考えたのだ。どうすれば清水と話せるか。教室で話しかけるのは、周囲の目が多すぎる。掃除の班も違うので佐藤と同じ手は使えない。


 だから帰り道をつけることにした。あれだけの酷評を受けている清水が、誰かと下校しているとは考えづらい。というかここ二日の観察を通しても、彼女と仲良く話している人は見かけなかった。

 下校中に話しかけても、周囲の目は少なからずあるだろう。だけどタイミングを見計らえば、学校で話すよりは何倍もまし……のはず。

 女子高生の後をつけるとか犯罪チックだが、ストーキングではない。ないったらない。


 だから、


「ねぇ」


 このタイミングで件の女子高生に話しかけられるのは想定外だった。


 昼休み、昼食を食べ終えた僕は、席で読書をしていた。この時間は、佐藤は他の友人たちと体育館に遊びに行くので、基本的に一人だった。友達が少ない奴にはよくあることだと思う。そこを狙ったかのように、気づけば清水は机の前にいた。

 

「な、何?」


 彼女に対してやましい思いがあったからか、声が上ずった。唐突に話しかけられた事に対する驚きもある。


「……」


 しかし話しかけてきたはずの清水はじっとこちらを見るだけで、何も言い出さない。その沈黙が無言の圧力のようにも感じられて、意味もなく焦りそうになる。

 案の定、クラスの何人かが、普段見慣れない組み合わせだからか、視線を向けている。これを避けたくて放課後に後をつけようとしたのだ。この視線が一層僕を緊張させた。


 手から嫌な汗が出てきた所で、彼女はようやく口を開いた。


「何の本読んでるの?」


 ……どういうことだ? 

 何か意図があるのではないかと思考を巡らす。もしかしたら、彼女も読書好きなのかもしれない。だから読書仲間になれそうな僕に話しかけてきたのでは?


 ないな。うん、それはない。


 手元の本にはブックカバーが付けられている。そのため表紙ではなく、最初のページをめくって、タイトルを清水に見せる。


「その名前、どっかで……」

「これ今ドラマ化してるやつ」

「ああ、あの話題になってるミステリーの」


 流行りものは佐藤との会話でよく出てくるので、それなりにチェックするようにしている。だけどドラマを見るのは結構疲れるのだ。役が上手な人は役になりきるからか、嘘とされる発言をするまで刺さらない。それに対し、下手くそな役者の演技は一言一言が嘘なので、滅多刺しにされる。でも経験が浅い役者はドラマに何人かいるのは普通だ。

 結果として、僕は原作がある作品は原作を読み、それ以外は音を消して字幕で見るようにしている。


「清水はテレビあまり見ないの?」

「ミステリーは先の展開読めちゃうことが多くてね」

「へぇ」

「……」

「……」


 話が終わってしまった。どうすんだよ、この空気。

 僕が戸惑っている間に清水は小さな声で「ごめん」とだけ言って教室を出ていった。


 結局、本についてしか聞いてないけど、それが用だったのだろうか。僕の中で、清水についての謎が増えた瞬間だった。







 下校前の担任からのお知らせが終わると、各々自分に割り当てられた掃除場所に移動する。僕は教室のごみ袋を捨てたことでわかるかもしれないが、今週は教室内で掃き掃除だ。

 清水が荷物を纏め、一人で教室をすたすたと出ていくのを確認する。


「ん?」


 教室を出る前に彼女がこちらをちらりと見た気がした。……まさか今日一日意識して見てたのがばれた? もしかして昼に話しかけてきたのはそれが原因だったのだろうか。


 ありえる気がした。この後、清水の後をつけることに対して気が滅入ってしまいそうになる。だけど、学校で話そうとすると昼のように視線を集める。これを少しでも減らすためには、やはり校外で話すのが適していると思うのだ。


 素早く掃除に移る。彼女が掃除を終え、帰る前には掃除を終わらせなければいけない。


「どうした? 今日はやけに急いでるな」

「まあな」


 話しかけて来た佐藤を適当にあしらいつつ、箒を一心不乱に動かす。いつもは脱力気味に動かしているが、今回は一つ一つの動作を素早く、鋭く、的確に、無駄なく行う。佐藤たちが暢気に動かしている間に、いつもの三倍は掃いてやる。

 急げ、急げ、急げと自分を急かす。清水の今の掃除場所は簡単と名高い最寄りの階段だ。いつ終わるかわからないぞ。


 黒板のある前方から座席表のある後方にゴミを集めていく。

 椅子の下にも箒をくぐらせ、塵を掃き出す。ここをサボってはいけない。やらなくてもばれないが、ここをごまかすのは性に合わない。

 

 さあ、後はここだけだ。僕や佐藤、清水の席があるあたり。ここを掃けば後は塵取りで集めてごみ箱に放り込んで終了だ。ぐっと腕に力を込め、さあいくぞと箒を床に滑らし―――


「あ、あれ?」


 気のせいだろうか。目の錯覚ではないのか。だとすれば、僕はなんて無駄なことをしていたのだ。

 清水が掃除を終える前に、掃除を終わらせるとかそんな次元じゃない。それ以前の問題だ。どうしてこんな初歩的なことを見落としていたのだろうか。


 清水の席の周辺には、彼女の荷物が既になかった。


なぜなのか。思考を巡らし、


「ああ、そうかー」


 疲れたような声が出る。


 階段などの教室の外の掃除を終えた後、教室に戻るのが面倒だと考える生徒は数多くいる。そういった生徒は、あらかじめ荷物を持って掃除箇所に行く。すると、掃除が終えたらそのまま下駄箱に行き、下校することができるのだ。


 清水もその一人だったらしい。


 失念していた。女子高生をストーキングするという一歩間違えれば今後の人生終了のイベントに目を向けすぎた。よくよく思い返せば、清水は鞄を持っていた。

 がっくしと、箒を握る手が脱力した。


「おーい、早く早く! 遅いぞー」

「おーう」


 塵取りを片手にはやし立てる佐藤に力ない返事をして、箒を動かす。先ほどと比べると、あまりにもとろかった。




 掃除後、一応自分の鞄を片手に階段に向かったが、案の定誰もいなかった。

 一所懸命に掃除をしたことが馬鹿らしく感じてしまう。鞄も心なしか重い。


 失敗した。この作戦はあまりにもお粗末だった。掃除の順番的に、次は最も過酷と名高いトイレ掃除だ。このままでは、この作戦が成功するのは、少々先の未来になってしまう。

 新しい作戦を考えなきゃな、と考えているうちに、下駄箱にたどり着く。上履きを脱ぎ、靴を取り出すために下駄箱を開ける。


「……あれ?」


 箱の中に、見覚えのない紙が入っている。何か書いているようだ。

 思わず箱を閉じ、自分の場所であるか確認する。間違いない。自分の名前だ。


「え?」


 え?

 

 箱をゆっくりと開ける。やはりそこには、紙……というよりも手紙があった。見える範囲だけで『相川君へ』と書かれている。

 まじか。まじなのか。夢じゃないのか。いや落ち着け。そうだ、これは罠だ。きっと誰かが仕掛けた罠だ。手紙に動揺したことをからかうための罠なんだ。


 文章だけでは、例え読んでも嘘かどうかは僕の力でも判断できない。


 さっと周囲を見渡す。下校時間だからそれなりに人の声は聞こえる。しかし、このあたりの下駄箱を使っているのは、今は僕だけだ。……隠れて誰かが見ているようには見えない。


 手紙を素早く取り出し、鞄の中に放り込む。箱を閉じ、さっとその場を離れる。ここでは読めない。でも家まで我慢することもできそうにない。今すぐ読みたい。とりあえず、近場のトイレに行こう。


「相川まだ帰ってなかったのか?」

「わひゃぁ!?」


 下駄箱置き場を出たところで声をかけられ、思わず変な声が出た。佐藤だ。周囲には二人、彼の友達がいる。僕にとっては友達ではないけど。


「ブホッ!! ハッ! わひゃってお前、ク!!」

「……」


 腹を抱えて笑うなよちくしょう。自分でもあれは驚きすぎだと思うんだから。クソ、顔が熱い。


「お、驚かすなよ」

「く、く、悪い悪い。でも声かけただけだぜ。俺悪くないじゃん」


 未だに佐藤は笑っている。……もしかしてこいつが仕掛けたのか? あれはやっぱり罠?


「なあ」

「ん?」


 試してみるか。


「俺がここにいたのは予想外?」

「いやだってお前いつも掃除終わったらすぐ帰るじゃん。てっきりもういないと思ってたんだけど、トイレにでも行ってたの?」


 刺されなかった。嘘ではない。

 すまん、と疑ってしまったことを心の中で謝る。でも、今はそれよりも早く手紙を読みたい。

 何と言えば自然か? ここで忘れ物とか言うと、自分で自分を刺すことになる。


「……いや、今からトイレ」

「トイレ? 俺も帰る前に行こうかな」


 それはまずい! 佐藤の前じゃ絶対に手紙なんて読めるか!?

 クソッ! 忘れ物って言えばよかった。ここはポリシーを破って痛みを堪えるべきだったか。でもまだ終わっちゃいないぞ、佐藤!


「いやいや友達待たせんなよ!!」

「えー、なぁ平田と田口も一緒に行こうぜ」

「俺らはお前の掃除が終わるまでの間にもう行った」


 よし、よくやった平田! さあ、帰れ!!


「うん、でもそんなに行きたいなら行くけど」

「おっ? じゃあ行こうぜ」


 田口ぃぃぃ!?

 刺さったぞ。面倒なら面倒って正直に言えよ!

 

「いや、その、付き合わなくていいよ?」

「遠慮するなよ」


 してない。

 というか埒があかない。このままでは結局トイレに行っても、用は足せるが、手紙は読めないだろう。

 仕方ない。これだけは言いたくなかったのだが。


「あーそのだな、出来れば一人で行かせてくれ」

「なんで?」

「近くに誰かいると集中して出せない」

「……まじか?」

「まじだ」


 嘘ではない。

 

「お、おぅ。悪ぃな、相川。んじゃ、また明日」

「おう、また明日」


 後日からかわれるだろうが、背に腹は変えられない。今は手紙が最優先だ。

 佐藤の脇を通り、その場を離れる。教室への道を途中まで歩き、脇にあったトイレに自然な動作で入る。幸運にも、個室は空いていた。迷わず入り、鍵を閉める。


 一回落ち着くために深呼吸をするも、この浮ついた感覚は抜けそうになかった。けれども悪い気はしない。


 佐藤達の罠、すなわち嘘ではなかった。つまり、この手紙は、本物の可能性が高い。

 心臓が高鳴る。緊張で喉がひりつく。でもこれはしょうがないだろう。どうして男子高校生がラブレターを貰って平静でいられようか、いやない!


 もう一度深呼吸をして、震える手で鞄を開けようとするも、チャックが噛んでしまう。


「ちっ!」


 舌打ちする。はやる気持ちを抑えられずに乱暴にこじ開けた。その勢いのまま手紙を取り出す。急いで入れたから折り目とかついてしまってないか心配だったが、ついてないようで安心した。

 息をするのも忘れて内容を読む。


『相川君へ

 もしも話がしたいようならば、今日の放課後は喫茶店イリアスに来てください。そこで待ってますから。あとついでに言っておきますが、ストーカー行為は絶対にしないように。

 清水より』


 ……たったの数行だが、そこに書いている内容への驚きで、少し固まってしまった。

 まず話をしようとしていたことがばれていた。そんなに視線が露骨だっただろうか。気をつけていたつもりだったのに。

 いやそれよりもだ。


『ストーカー行為は絶対にしないように』


 どうしてわかったのだろうか。さすがに視線だけでわかるようなものではないはずだ。予測だって立てられるようなものでもない。昼の会話も本についてだけだ。関係ない。

 いくら考えても答えはでない。


 手紙をひっくり返してみるが、他に何か書いているようには見えない。手紙をもう一度じっくりと読んでから、鞄に丁寧に仕舞う。


 とりあえず喫茶店イリアスに行く事にする。場所はわからないのでスマホを取り出し、検索する。どうやら学校からは近い。場所的に最寄りの駅からは正反対になるが、距離的には駅よりも近い。徒歩十分といったところか。


 






 看板を確認する。看板には、黒塗りの馬が描かれ、腹に白い文字で『イリアス』と書かれている。間違いない。ここだ。

 地図アプリを開いていたスマホをポケットに仕舞い、木製の扉を手前に引く。するとカランカラン、という来客を告げる柔らかな鈴の音が響く。


「いらっしゃいませ。一名様ですか?」


 落ち着いた声で、黒を基調とした店のロゴの描かれたしっかりした服装の初老の男性が声をかけてくる。そのおしゃれさに一瞬気後れしそうになるも、その優しそうなしわの刻まれた顔が安心感を与えてくれた。微笑んでいるように見える。


 店の中は明るい。外からの太陽の光だけでなく、弱い照明を利用したこの明るさは、どこか暖かな雰囲気を持っている。程よく音量が調節されたクラシックのおかげか、寂しさではなく落ち着きを与えている。

 ぱっと見た限り、満席とはいってない。けれどもそれなりに席は埋まっている。両親と同じ年代の人から大学生くらいの人まで、幅広い年代層に愛されているようだ。一人の者はリラックスしたようにコーヒーを楽しみ、連れがいる人は楽しそうに話している。


「あの、待ち合わせ? なんですが」


 清水が先に来ているはずなので待ち合わせであっているはずだが、これで通じるだろうか。喫茶店で集合なんて今まで一度もないから勝手がわからない。佐藤とはたいてい駅の改札口前集合だ。


「こちらになります」


 男性がすっと部屋の隅を、軽く手で示す。見れば、僕の通う学校と同じ制服を来た女子生徒がコーヒーカップを前に座っていた。清水だ。

 彼女もこちらに気づいているようで、目が合う。その後、少し微笑んだ。ちょっとドキっとした。

 男性の案内で席の前に着く。店内のBGMの音源が近いのか、音が入口より大きい。その中でも、彼女のあの綺麗な声はよく聞こえた。


「相川君、場所すぐにわかった?」

「まあスマホ使ったからな」


 ちょっとぶっきらぼうな返事をしてしまう。女子と日頃話すことが少ない弊害が出た。けれども彼女は気にした様子を見せず、そっかと言った。

 清水の対面の席に座り、メニューからとりあえずコーヒーを頼む。何も頼まないのはよくないと思ったのだ。

 注文を受けた男性が離れる。それを見送ると清水は遠慮がちに口を開いた。


「えっと、昼はごめんね」

「あーっと、何が?」

「話しかけたのはこっちだったのに、黙っちゃったでしょ。まさかあんなに注目を浴びるとは思わなくて。本当なら手紙じゃなくてあそこでここに来るように言うつもりだったんだけど」


 どうやら本についてはあの場で考えたアドリブだったようだ。納得した。それと同時に、あの場で言い出さなかったことは正解だったと思う。帰りにカフェ行かないとか、デートへのお誘いにしか聞こえない。あの手紙はラブレターにしか見えなかったけど。


「いや謝らなくていいよ。その、元々はこっちが悪いんだし」


 ストーキングしようとしたこととか。


「間違いじゃないと思うけど、私に話しかけようとしてたよね?」


 首をかしげる清水に、頷きで肯定する。すると少し安心したかのように笑う。


「だよね。一応確認するけど、話すのはこれで二度目だよね?」

「うん」


 もしかしたら、彼女に騙されたと思っている人の一人かもしれないと疑っていたのだろうか。それなら話をするというだけでも警戒しなさすぎだと思う。昨日のあの女子みたいに逆上したらどうするんだ。

 そう思うも、ここは大人がたくさんいるカフェだ。清水に危害を加えようとしたらすぐに止められるだろう。


「だよね。じゃあ何について話したいの?」

「あー、何というか」


 聞きたいことはたくさんあったのに、いざ本人を前にすると何から言うべきか。どう切り出すべきかわからなくなる。聞こうという気持ちが先行しすぎてあまり深く考えていなかった。しかしこの調子でまごついていたら不自然だ。

 少し時間をかけて、一番最初に出てきた疑問を口に出す。


「そうだなまずは、あー、どうして僕が話があるってわかったんだ?」

「うーん、何となく?」

「誤魔化すなよ。確信があったんだろ?」


 少し刺されたからすぐにわかった。


「本当だよ……って言っても信じないって顔だね。でもそれは内緒。ちょっとオカルトチックなのよ」

「それは占いとかそういう類ってことか?」

「違うけどそんなとこ」

「……それのおかげでテスト問題とか先生が授業中に当てるかどうかわかるのか?」

「まあね」

「すごいな、そこまでわかるのか」


 思わず感心する。どうやって当てるのかは非常に気になってしまう。

 子供のころ、わからない問題を鉛筆を転がして当てようとしたことがあるが、当然ながら正答率は低かった。それと比べればただの幸運ではないことは一目瞭然だ。


「確か佐藤君と仲よかったよね? 佐藤君から何か聞いたの?」

「うん」

「へぇ」


 清水は目を細めると、口元まで運んでいたカップをテーブルに戻した。


「何を聞いたの?」

「えっと前に清水と話したこととか、あとは……」


 少し迷うが、簡単に思い当たることだろうから言うことにする。


「噂とか」

「ふーん」


 微笑んでいるが、その声音がどこかよそよそしい。僕は慌てて付け足した。


「いや、もちろん噂は噂だよね」

「……ふふ。本当にそう思ってる?」


 彼女の意味深な言い方に怪訝な顔をする。


「私が先生をたらしこんだとか、ちくったとか、そうは思わないの?」


 この時、僕は気づいた。清水はここまでずっと微笑んでいた。てっきりそれは彼女の愛想がいいからだと思っていた。しかし違うのだ。彼女は警戒しているのだ。

 清水にとって、僕はクラスの一員でしかない。彼女のことを卑怯者、千三つ呼ばわりする人間の一人という認識なのだ。

 疑いが解けているなんて、甘い考えにも程があったのだ。


「相川君、こっちからも似たような質問するけど、どうして私と話をしようと思ったの? 私と話してやっぱり嘘つきだって言いたかったの?」

「違う」


 慌てて否定する。


「本当に? 私、自分の評判が悪い自覚あるんだよね。千三つって呼ばれているのも知っている。だからこそこう思うんだけど、そんな相手の帰り道を唐突に尾行しよう、あわよくば話しかけようとする理由って何?」


 彼女は笑っている。だけどその目は、油断なくこちらを見据えていた。


「それは……」


 それは、自分でもよくわかっていないことだ。あの時、悲しそうな顔をしていたからといえば、何を言ってるんだコイツはと思われる気がする。それは何だか嫌だった。そもそも上手く言語化出来ない。

 ならどう答えればいいのだろうか。僕が話そうと思った理由の一つは確かに彼女の噂に起因する。それとは無関係といえば嘘になるし、なにより彼女も信じないだろう。関係あるとわかれば、やっぱりねと言われてしまう。


「前にもいたよ。私の噂の真偽を確かめてやろうって考えた正義感の強い人。結局、卑怯者呼ばわりされたけど。それと同じ?」

「違う。違うんだよ」


 どう答えればいいんだ。何を言えば清水の警戒を解けるというのだ。嘘は駄目だ。そもそも僕はどうして彼女と話したかったんだっけ。いやそれは自分でもわからなくて―――


 考えがまとまらず、思考が同じところをぐるぐると回る。早く答えなきゃ、そう思うのに、何を言えばいいのかわからず、不自然に視線があちこちにさまよってしまう。


 清水はただ黙っている僕を見つめて、何も言わない。それが答えを催促しているように思えて余計に焦る。

 その時、


「お待たせしました。コーヒーです」

「えっ? あ、はい」


 あの落ち着いた声の男性がそばから声をかけた。その声に深みに落ちかけていた思考は断ち切られた。

 彼はコーヒーを僕の前に置くと、ごゆっくりとだけ声をかけ、カウンターに戻っていく。


「……それ、熱いですよ。一気飲みできるものじゃありませんからね」


 清水が少し心配そうに言った。初めて笑顔の仮面が外れた。

 けれども僕は流れよ変われとばかりにカップをとり、ぐっと喉に流し込む。聞こえていなかったわけではないが、それを深く考えなかった。


「あ」

「ごぶぁ!?」


 しゃくねつのいたみがかけぬけた。


 口からコーヒーが飛び出す。少しでも勢いを止めようと咄嗟に下を向いたが、テーブルだけでなくシャツからズボンに降りかかる。降りかかった場所が熱い。喉がひりひりする。

 ごほごほ咳込みながらカップを置く。紙ナプキンをとり、少しでも拭き取ろうと押し付けた。ナプキンがすぐに茶色く染まる。それをテーブルの上に置き、新しく紙ナプキンを取る。


「えっと、大丈夫?」

「ゴホッ! だいじょゴホッゴホッ!? ……ごめん、だいじょうぶ」


 気遣わしげな清水に涙目で答える。どうみても大丈夫に見えないだろうが、自業自得なのでそんなに心配しないで欲しい。恥ずかしくなってくる。


 布巾を持ってきてくれた男性店員にも謝る。せっかくいれてくれたコーヒーを三割は無駄にしてしまった。あまりの熱さに味すら感じられなかった。

 服に押し付けていた紙ナプキンをテーブルに置く。しみができるのは避けられないだろう。けれどもとりあえず落ち着いた。


「……」

「……」


 落ち着いたはいいが、微妙な空気になってしまった。この空気を作ったのは僕なのだから僕が何とかしないといけない。

 そう考えるが、いい案は思い浮かばない。とりあえず、謝罪が先かな?


「いや悪い。かからなかったか?」

「うん。それは大丈夫だった」

「そうか」


 本当に申し訳ない。

 何せ彼女は予め忠告してくれたのだ。一気飲みは危ないと言っていたのをよく考えずに無視してしまったのが悪い。


 ……あれ?


「なあ清水、もしかして僕が一気飲みするってわかってたのか?」


 よくよく考えればおかしい。

 コーヒーが熱いことは常識だ。それを一気飲みするなんて普通は考えるだろうか。ビールやジュースではないのだ。僕だって混乱していなければ飲まなかっただろう。


 もしかしたらそういうこともあるかもしれない。まさかお前そんな馬鹿なことしないよね、という意味での一種のジョークとしてなら言う人もいるかもしれない。

 だけど、心配そうに、それこそ本当に飲もうとしている相手がいるかのように言えるだろうか?


「そんなことないよ」


 首筋に見えない針が突き刺さった。その痛みが、嘘だと告げていた。


次話は明日投稿予定

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