手負いの猫
1月に入ってしばらく経った頃、僕が餌付けと称する時間は恒例化している。冬休みに入る前に連絡先を交換して、簡単なメッセージのやり取りをしていた時に、仁科さんから、時間決めない?と提案があったからだ。それまでの適当な時間では、二人の時間が合わない事があった。月曜日は昼休み、水曜日と金曜日は放課後の部活が終わった後になっていた。彼女は吹奏楽部で僕は天文部に所属している。
最近は屋上はさすがに寒くなって来たので、手前の階段で会うようになっていた。今日は水曜日なので、部活が終わっていつもの様に屋上に向かおうとしたその時。自販機の近くを通りかかった所で、人の話し声がして、それが彼女の声だと分かった。
「触らないで!」
怯える様な声だった。
「何でアイツは良くて、俺はダメなの?」
男の方の声はクラスメイトの鈴木海君だと分かった。心配になって、急いでそちらに向かう。
「堺君は、こんな事しない…。」
自分の話題が出ている事を不思議に感じながら、自販機の手前まで来た。そこで見えた光景は、彼女の腕を鈴木君が掴んでいて、彼女は俯いて怯えている様に見えた。
二人が僕に気付いて、驚いた顔をした。
「堺…。」
鈴木君が僕を睨む様に見据える。何となく理由が分かった気がした。彼は仁科さんが好きなんだと。
「鈴木君、仁科さんが嫌がってる。放してあげたら?」
「……。」
彼は無言で手を離した。
彼女は逃げる様に、走り去る。僕は彼女が見えなくなったところで、彼を見詰めた。
「無理強いはやめた方が良いよ?」
「お前には関係ないだろ?」
彼は僕を睨みながら、イラついた様に吐き捨てた。
「…関係ない事もないかな?多分、鈴木君は僕のライバルだし。」
「お前も雫が好きなのか?」
「好きだよ。」
「…俺の方が前からずっと好きなのに…。」
そう言って彼は、溜息をついた。瞳が切なそうに揺れていた。
「…俺が悪かったんだ。怯えられる様な事をしてしまったんだから。」
「僕は、少しずつ仲良くなれたら良いなって思ってる。」
僕は、彼にそう告げた。自分の気持ちは真剣だと、彼に知って欲しくて。
「焦りすぎたのかな…俺は。」
鈴木君の声には、自嘲する響が漂っていた。
「じゃあ、僕行くから…。」
僕はその場を後にする。彼女の様子が、凄く気になっていた。
屋上の階段の所にも彼女は居なかった。もしかしてと思い、扉を開けると彼女が屋上の真ん中でぽつんと座り込んで居た。声を掛けようとしたけれど、肩が震えているのに気付く。
寒いだろうに。コートも着ずに膝に顔を埋めて泣いている彼女に、何かしてあげたいけれど…。
勇気を振り絞って、声を掛ける。
「仁科さん、…大丈夫?」
「…堺君。ごめん。一人にして?」
彼女は振り返らなかった。
「…分かった。」
僕は扉を閉めた。何も出来ない自分が情けないけれど、彼女の気持ちを優先してあげないと…。
あぁ、今日はもう近付けないんだな…。猫は自分の傷を他人に見せたがらないものだ。せっかく仲良くなってきたのに…。ここ最近の僕たちの距離は、50センチメートルぐらいにまで縮まっていたのに、残念に思う。また、振り出しに戻らないといけないかな。
僕は彼女の机の上に、お菓子を乗せて帰る。泣いている彼女が、少しでも元気になれる様に祈った。
僕と彼女の距離10メートル




