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岩壁のルォ  作者: 加茂セイ
第九章 時の邂逅
82/82

(7)

 三年後。

 荒廃した王国は、少しずつ元の状態を取り戻しつつあった。だがそれは、主要街道に沿った限定的な領域に過ぎず、今なお魔獣たちの脅威に晒されている辺境の集落は多い。

 そんな村のひとつに、一台の荷馬車がふらりと立ち寄った。御者席にひとり、荷台に三人。計四人の怪しげな男たちが乗っている。

 彼らはかつて、黒首隊、あるいは勇者隊と呼ばれていた魔法使いであった。


「あらー、遅かったみたいねぇ」


 小さな村には不釣り合いなほど立派な外壁を見上げながら、御者席からパウルンが呟いた。


()()()()っ」


 荷台で盛大に舌打ちしたのは、バッツだ。

 同じく荷台に寝転がっていたテンクは大あくびをし、フウリは反応すらしない。

 とりあえず村へ入ることにしたが、不用心なことに門番はおらず、声をかけても反応はない。

 テンクが上空から確認したところ、村人たちが中央の広場に集まって、何やら騒いでいるらしい。門の隣の通用口から入ることにした。

 巨大な石像のあたりに群がっている人だかりから、わっと歓声が上がり、淡い光が放たれた。

 まずは村長を探し、パウルンが挨拶する。


「あたしたちは、“魔法使いお助け隊”。辺境の村々を巡って、魔獣退治なんかを請け負っているの。あたしはリーダーのパウルン。後ろの三人が――」


 その三人は、不機嫌そうに顔を背けていた。どうやら隊の名前が気に入らないようだ。


「最近、けっこう活躍してるんだけど。ちょっとは噂になってない?」


 村長はぎこちない愛想笑いを浮かべた。


「いえ、あいにくと」

「そう。この村でも魔獣の被害が出てるって聞いて、やってきたんだけど」


 村長は沈黙し、周囲の外壁を見渡した。


「つい先日、勇者さまと聖女さまがお越しになられましてな。たった今、お帰りになられたところです」


 当面の村の問題は、解決した。

 勇者は村の周囲を囲う立派な外壁を作り、さらには井戸や水路まで整備してくれた。また聖女の不思議な法術は、病人や怪我人を癒し、元気づけたという。


「それはもう、奇跡としか言いようのない御業(みわざ)でして」


 魔法使いの地位向上を目的とし地道に活動している“魔法使いお助け隊”の名が広まらないのは、この勇者と聖女のせいだった。圧倒的な実績を前に、霞むどころか吹き飛んでしまっているのである。

 しかもあのふたりは、馬車に乗って移動する必要もない。不思議な扉を通っては現れ、消えていく。あまりにも理不尽な商売敵であった。

 気まずさを取り繕うように、村長が提案してきた。


「いやしかし、遠路はるばるお疲れでございました。今日は村にとってもめでたい日。お食事とお酒でもいかがですかな? その、昨夜の宴の、残り物ですが」

「いただくわ」


 村の中央にある広場には、巨大な女神の像が(そび)えていた。像の手前には三つの石碑があり、細かな文字がびっしりと刻み込まれていた。

 その表題は、「真なる歴史」「人の犯した過ち」「メイル教の新たな教義」となっている。

 勇者と聖女が立ち寄った集落には、必ずこれらが残される。数年後、メイル教団の聖職者が派遣されてくるまでに、村人全員が内容を(そら)んじなくてはならないという、いわくつきの代物だ。

 外壁と同じく、この村には不釣り合いなほど立派な女神像に向かって、村長は恭しく一礼した。


「管理とか、大変そうね」

「はぁ。いえ、そんな」


 村長は言葉を濁した。


     ◇


「なんだね、これは?」


 王宮内にある宰相室で、ノランチョは憮然とした表情と口調で呟いた。その手には、一枚の紙が握られている。

 仕事机の前に立っている部下が説明した。


「そ、その。先ほど、勇者さまからお預かりしまして。“いつもの”、とのことでした」


 表題は、予算要求書とある。明細の欄には、メイル教団の組織や施設拡充のための費用が、こと細かく記載されていた。


「それで、勇者殿は?」

「用事があるからと。聖女さまとともに、どこかへ」


 この国を救った勇者と聖女は、教団側の聖域であり、国側から接触することが、法によって禁じられている。女神の不興を買うことを避けるための措置であったが、今となっては抜け道を用意しておくべきだったと、ノランチョは後悔していた。


「お断り、いたしましょうか」

「女神の愛娘(まなむすめ)と、その婿殿(むこどの)の要求をか? 馬鹿を言え」


 そんな事実が知れ渡ったら、今度こそ国が滅ぶ。ただでさえ王家不要論などという、危険極まりない思想が出回り始めているというのに。


「これ以上、弱みを握られてたまるか」


 三年前、“紅き大波”と呼ばれる大事変(だいじへん)のあと、ノランチョは“星守”を連れて王都へ向かった。

 表向きはアルシェの街の状況を国王に報告するためであったが、他にも理由があった。

 この国のすべての人々に、女神の存在と“盟約”の事実が知れ渡ったことで、王家の威信と権威は失墜したはず。荒廃した国がさらに乱れ、最悪、内乱が起こる可能性もある。そんな事態を防ぐためには、メイル教団の生き残りであり、“盟約”を守り続けた“星守”の協力を受けるしかない。ノランチョはそう考え、国王に進言したのだ。

 この策は功を奏した。

 ラモン王はメイル教を国教とし、メイル教団を復活させることを承諾したのである。

 だがここで、計算違いが起きた。

 なんの因果か、ノランチョが宰相に任命され、困難の矢面に立たされることになったのである。

 まあよいと、ノランチョは思った。

 やれと言うならやってやる。

 役人として自由気ままな生活を送るためには、国の安定が必須要件なのだから。

 幸いなことに“星守”の代表であるマァサは、聡明かつ有能な人物であり、物欲や権力欲のない聖職者の鏡でもあった。多くの人々を救うためと訴えかければ、こちらの要求を断ることはできないだろう。

 まずはメイル教団の名誉を回復し、同情心から跳ね上がった名声を最大限に利用して――

 ここで、さらなる計算違いが起きた。

 交渉は相手を見て行うもの。相手が善人であれば、情に訴えかけるのもよいだろう。相手が小心者であれば、脅しつけるのも効果的だろう。だが、相手が狡猾極まりない強欲な知恵者の場合には。

 決して、こちらの弱みを見せてはならない。

 ノランチョは相手を見誤った。

 メイル教団には、最高責任者であるマァサでさえ頭の上がらない、真なる権力者が存在したのである。

 王国に協力する条件として、教団側が要求してきた対価は、人、もの、金と、そのすべてにおいて、ノランチョの予想を遥かに超える、莫大なものであった。

 しかも要求が受け入れられない場合には、四十年前に起きた“邪教戦争”のあと、教団が不当に接収された財産をすべて請求するという。

 最悪の事態を想定して、ノランチョは青くなった。国はメイル教団に対して、すでに過去の罪を認めている。仮に大法廷で争った場合、敗北は必至。

 ぎりぎりのところまでは譲歩したものの、限界を超えたあたりで、ノランチョは泣き落としにかかった。

 辺境に暮らす臣民らが危険に晒されている中、限りある国の予算は、彼らを守り、救うためにあるもの。いくら王命があるとはいえ、人道的見地からも、これ以上の要求に応じることはできません。何とぞ、ご寛恕(かんじょ)いただきたい。

 すると頼みもしないのに、勇者と聖女が辺境の集落を救っては、予算要求書を渡してくるようになった。

 国の仕事を代わりに果たしたのだから、その分の予算をよこせというわけだ。

 勇者と聖女に政治的な思惑はない。ただただ、困っている人を助けたい一心で行動しているだけ。

 彼らは悪くない。

 悪いのは、使えるものは何でも、それこそ純粋な心を持つ少年少女さえも駆け引きの道具として利用する、あの老獪(ろうかい)な。

 法外なとまでは言わないまでも、厳しすぎる予算要求書を握りしめながら、ノランチョは立ち上がった。


「至急、大司教に。マァサ殿に連絡を」

「そ、それが」


 恐る恐るという感じで、部下が報告した。


「先方から通達がありまして。今後、教団に対する要望や問い合わせに関しては、すべて“統括”を通すようにと」


 あの老獪(ろうかい)な――


「妖怪めっ!」


 今度こそ口に出して、ノランチョは地団駄を踏んだ。


「何が一年(ひととせ)の命だ。女神への贖罪(しょくざい)だ。国にたかれば、湯水のごとく金が湧き出てくるとでも思っているのか!」

「さ、宰相閣下」


 たいして動いてもいないのに、ぜぃぜぃと荒い呼吸をつきながら、ノランチョは命じた。


輿(こし)を持てぃ。私が直接、交渉する!」


     ◇


「いいかいお前たち、よくお聞きっ!」


 テレジアの怒声が広間全体に響き渡った。(よわい)百を超えると言われる、いまや伝説の聖人のひとりだが、その声は大きく張りがある。


「本来なら、何年もかけて信仰心を(はぐく)み、深く教義を理解し、基本的な法術を使いこなせるようになってから、(まん)()して世に送り出すところなんだ。それなのに、半人前のお前たちがメイル教の聖職者として認められる理由は、たったひとつ。分かるね?」


 広間にいる三十人ほどの若き聖職者の卵たちが、びくりと姿勢を正す。


「時間と人手が足りないからさ」


 身も蓋もない理由であった。


「三年前、最後の“紅き大波”が押し寄せてきた時、この国は多くの民を見捨てた。心の支えを失い、苦しんでいる者は多い。ぐずぐずしてる暇はないんだよ。覚悟を決めて、飛び込んでいきな!」


 その熱演を、演台の傍で待機しているマァサがにこやかに見守っている。

 今日は、新生メイル教団の門出を祝う記念すべき日。新たに設立された神学校の、第一期生の卒業式である。

 同じ志を抱く若い仲間たちを迎え入れることは、むろん喜ばしいことだが、マァサにとっては、テレジアが相変わらず元気で溌剌(はつらつ)としていることが、何よりも嬉しい。

 三年前には思いもよらぬことだった。

 “紅き大波”の後、マァサはノランチョから、国の復興に協力して欲しいとの要請を受けた。断らなかったのは、年老いた仲間たちの今後の生活のためにも、王国で保護してもらった方がよいと考えたからである。

 特に、テレジアが心配だった。

 マァサが“星守”の代表となり、“星姫”を“荒野”へ送り出したあたりから、テレジアは気力を失い、頻繁に体調を崩すようになった。まるで最後の時を悟ったかのように、笑顔を浮かべ涙を流し、感謝や謝罪の言葉を口にするようになった。

 そんな言葉など、聞きたくはなかった。

 だが、雲の上の世界から戻ってきてからは、無口になり、難しい顔で考え込むようになった。

 因縁の相手であるラモン王との会談は、拍子抜けするほど穏やかなものだった。ノランチョの進言により、メイル教が国教となり、メイル教団が復活することが決定した。

 それから、テレジアが発言した。


『お久しゅうございます、陛下。四十年前、教団で祭事局長を務めていた、テレジアにございます』


 驚いたことに、ラモン王はテレジアのことを覚えていた。


『お、おお。あの、声の大きな女局長か』


 ラモン王は懐かしみ、涙ながらに過去の過ちを詫びてから、不安そうに聞いてきた。


()を、恨んでおるのか? そうであろう』


 テレジアは否定した。


『もはや追い先短い身。このところ体調もすぐれず、一年(ひととせ)と命はもたぬでしょう。誰かを恨んでいる暇など、ございませぬ』

『そうか。医師をつけるゆえ、養生せよ』


 その申し出を、テレジアは拒否した。


『身体の自由はききませぬが、幸いなことに頭の中は冴え渡っております。残り少ない命を、女神メイルロードさまへの贖罪と、この国の臣民らを救うことに捧げとうございます』


 女神の名が出たことで、ラモン王は動揺した。


『しょ、贖罪とな? 女神さまは、その。人のことになどに興味はないと』

『はたして、そうでございましょうか』


 低く不気味な声で、テレジアは言った。


『神の御心を推しはかることは、誰にもできませぬ。それに、やらぬよりはやったほうがよいはず。そうではありませぬか?』


 ラモン王は最後の命令を下した。


『ば、万事(ばんじ)、テレジア殿のおっしゃる通りにせよ。予は、引退する』


 新たなる目標を持ったことで、テレジアは一気に気力を取り戻した。

 ()()()()()()()で予算と人員、さらに拠点となるこの大神殿を確保すると、新たに神学校を設立し、短期間で若き聖職者を育て上げたのである。


「まずは、王都と主要都市からだ。最初は頭の中を空っぽにして、決められた通りに話すだけでいい。“真なる歴史”、“人の犯した過ち”、そして“新たなるメイル教の教義”の順だ。分かったね!」

「はいっ!」


 また、感動的な再会もあった。

 かつてのメイル教団にあった特別な役職、“三星司(さんせいし)”のひとつ。語り部たる“星詠(ほしよみ)”が、王宮内で保護されていたのである。それは盲目の老婆で、テレジアとは旧知の仲であった。ふたりは抱き合い、涙を流しながら互いの無事を喜び合った。

 マァサは“星詠”から教えを受けた上で、神話や歴史、教義などを再構築した。

 それらは勇者と聖女が救った辺境の集落に、女神像とともに石碑として設置されている。


「数年後には、お前たちも星騎士団とともに辺境をめぐることになるだろう。なぁに、心配はいらないよ。ちゃんと()()いてあるからね。どこへ行ったって歓迎されるはずさ」


 ふと、奇妙な動きが視界に入った。

 演台を挟んで反対側に座っていた元腑分け担当の老婆たち、今は神学校の教員を務めているスミ、ヌラ、モリンの三人が、広間の後方に向かって手を振っている。

 目を向けると、二階の観覧席の廊下のあたりに、少年と少女の姿があった。窓から差し込む光で影になっている。少年が手を振り、少女がぺこりとお辞儀した。

 ふたりは手を繋ぐと、駆け足で去っていく。

 おそらく騎士団の詰め所に行くのだろう。

 相変わらず仲がよい。

 マァサは遠い辺境にいる娘と、生まれたばかりの孫のことを思い起こした。

 ガンギは寂しがっているが、クロゼのことをずっと娘と認めていなかったのだから、自業自得でもある。マァサとしては、母親として娘にしてやれることは、十分にしてきたつもりだ。

 あとは幸せを願うだけ。

 ただ、孫の顔は見てみたい。


「あのぅ、統括」


 卒業式が始まる前に始まったテレジアの独演会を遮ったのは、財務担当のハマジだった。杖をつきながら、のんびりとした感じで歩み寄ってくる。ちなみに、統括というのはテレジアが作った一代限りの役職で、どの部署にも口を出せるお目付け役的な立場だ。


「宰相閣下が、お見えになられたのですが」

「ふん、来たね」


 テレジアはにやりと笑い、客人を一番粗末な応接室に通すよう命じた。お金の交渉を行う時に使う部屋だ。そんな小細工をせずとも、こちらの財務状況は筒抜けのはずだが、テレジアは妥協を許さない。


「マァサや!」

「は、はい!」


 思わず返事をしてしまい、卒業生たちがぎょっとした。

 さすがにまずいと思ったのか、テレジアが急に猫撫で声になる。


「じゃなかった、大司教さまや。わたくしめは、大切なお客人の相手をせねばなりませぬ。あとをお任せしても?」

「もちろんです」

「では」


 百歳とは思えない速さで走り去るテレジアを見送ってから、マァサは演台へと向かった。

 卒業生たちを見渡す。

 法術を扱えるのは女性のみ。また、信仰心を育て知識を吸収するのは若いほうがよい。ということで、全員がうら若き女性ばかりだ。

 彼女たちもいずれ、星騎士たちに“祝福”を授け、ともに旅をする日が来るのだろう。

 その中には、勇者と聖女のように。

 マァサはふと、よいことを思いついた。

 メイル教の神話や教義とともに、マァサは教律も改正していた。かつては禁止されていた恋愛や結婚も可能となっている。

 とはいえ、生真面目な聖職者たちにとっては、「かつては」という言葉自体が重荷になることもあるだろう。

 そこで手始めに、自分とガンギの結婚式を執り行う、というのはどうだろうか。自分たちは子を成した間柄ではあるが、式を挙げていない。

 “箱庭”にいる六姫の話では、“転移の門”を自由に使えるのは、勇者と聖女だけだという。だがふたりに関係する事柄で、女神が納得するであろう()()()()理由があれば、特例として他の者が使うことも許されるらしい。

 結婚式に勇者と聖女、そしてふたりの()()()()()()()()である夫婦と、その子供を招待したい。この理由であれば、可能性があるのではないか。

 問題は恥ずかしがり屋のガンギだが、娘と孫に会えるとなれば、嫌とは言えないはず。

 うん、そうしましょう。


「皆さま、本日はおめでとうございます」


 優美な微笑を湛えながら、マァサは語り出した。

 娘のクロゼであれば、あるいは母親の表情から何らかの決意を感じ取り、警戒したかもしれない。だが何も知らない卒業生たちは、まるで女神のような慈悲深い微笑みだったと、のちに噂し合うのであった。


     ◇


「う〜む」


 大神殿の隣に併設されている、星騎士団の訓練所。壁に囲まれた殺風景な空間に、かつての運搬隊であり今は星騎士となったボンが、ひとりで立っていた。

 堅物で、融通の効かない老人である。

 もう訓練の時間だというのに、仲間も見習いたちも集まっていない。


「いったい、どうなっておるのだ?」


 日時は間違えていないはず。


「まさか、神殿におるのか?」


 本日、神学校を卒業する聖職者たちは、若い女子ばかり。一方、こちらの見習い騎士は、若い男子ばかり。気にならない方が嘘であろう。

 だが、星騎士団は聖職者の守り手。“祝福”を授かりその効力を高めるためには、力や技もさることながら、高潔な精神こそが肝要である。


「まだ見習いのうちから女にうつつを抜かすなど、もってのほかじゃぞ」


 勝手な妄想でひとり憤慨していると、後方から騒がしい声が聞こえてきた。若い声と年寄りの声が混じっている。大神殿ではなく、星騎士団の詰め所の方からやってきたようだ。

 振り返りもせずに、ボンは思った。

 卒業式の見学ではない? ということは、ただの遅刻ということか。どちらにしろ説教じゃな。本来、手本となるべき仲間らも同罪じゃ。このところテレジアさまがお忙しく、顔を出さないからといって、あやつらはたるんでおる。ここはひとつ、心を鬼にして。


「わっはっは、そうであったか」

「はい。あの、雲の上の婚約の儀式を見て、みんな感動したんです。僕たちも、いつか……」

「ひょっ。神学校の女生徒たちも憧れておるようじゃぞ。チャンスはあるのではないか?」

「本当ですか?」

「よいのぅ。わしらの時は、神殿の門番が邪魔しくさってな」

「おう、そうであった。女子の姿を覗き見ることすらできなんだ」

「そんな、酷すぎますよ」

「その分、ない知恵を絞ってな。塀の外から手紙を投げ入れて」

「そんなやり方で、うまくいくのですか?」

「拾ったのが、神殿長でのぅ」

「潔癖症で、規律にうるさい女史でな」

「ひょっ。連帯責任で、教官もろとも説教を喰らったわ!」


 楽しそうな笑い声が響き渡る。

 ボンは歯噛みした。

 高潔な精神は、どこへいった!

 若者たちと楽しそうにたわむれおって。なんという奴らじゃ。わしだって――いやいや。

 心の中で、ボンは首を振った。

 教え子と身内は違う。無条件で甘やかして良いのは、孫のような存在だけ。


「でも、感激です。まさか、勇者さまと聖女さまにお会いできるだなんて!」

「あのふたりは、わしらにとって孫のようなもの。いつも気を遣ってくれておるのだ」

「わぁ、そうなのですね」

「ひょっひょ。ともに旅をした仲間でもあるからの」

「“試練の旅”! そのお話を、詳しく」

「おい、おぬし。どうした? 先ほどから、ぼーっとして」

「こいつ、聖女さまの美しさに当てられたんです」

「ち、違う。僕は――」


 たまらずボンが振り返った。その鬼のような形相に、ベキオスが怯んだ。


「お、おう、ボンか。どこに行っておった?」


 チャラがとぼけたように言う。


「そういえば、誰かおらんような気がしていたが。おぬしであったか」


 トトムが白々しく言った。


「わしは、探しておったぞ」


 嵐が吹き荒れる直前のような低い声で、ボンは確認した。


「ルー坊と星姫さまが、来ておるのか?」

「う、うむ。来ておったぞ」


 ベキオスが言い訳がましく説明した。


「帰りがけに、挨拶に来てくれてな。せっかくの機会じゃから、見習いたちに紹介しておったのだ」

「なぜ、わしを呼ばん!」


 忘れていた、とは口に出せない雰囲気である。

 チャラが慰めるようにボンの肩を叩いた。


「月に何度かは顔を出すのじゃ。次に会えばよかろうて」

「毎回会わんでどうする!」

「それは、そうじゃの」


 拳を握りしめ肩を振るわせていたボンだったが、はっとしたように顔を上げた。


「“一明堂(いちめいどう)”の、新作が!」


 王都にある人気の菓子屋で、特に季節ごとに出される新作の焼き菓子は、瞬く間に売れ切れるほどの人気がある。

 ボンは仲間たちに内緒で、行列に並んでまでこの菓子を手に入れていた。

 自分が食べるためではなく、孫のようなふたりに手渡すために。仲間たちとの差をつけるために。


「そ、それで?」


 ボンはベキオスに詰め寄った。


「ふたりはどこにおる」

「ガンギのやつが頼みごとがあると言って、団長室へ連れていったが。さすがにもう、帰ったのではないか」

「うぉおおお!」


 ボンは走り出した。


「待っておれよ、ルぅ坊ぉおおぅ!」


 嵐が吹き荒れることなく通り過ぎると、気の抜けたような空気が漂った。


「さてと」


 指導教官の顔になったベキオスが、取り繕うように咳払いをして、見習い騎士たちに言った。


「よいか。一人前の星騎士になるためには、力や技だけでは足りぬ。どのようなことがあっても動じない、不屈の精神こそが肝要なのじゃ。さあ、訓練を始めるぞ」


     ◇


 かつて邪神の城があった“大穴”の中心部。

 そこには巨大な赤水晶が突き刺さっており、すり鉢状の窪地と化している。どうやら岩盤を砕き水脈に当たったようで、水晶の周囲は清らかな泉になっていた。

 何もかもがすべて吹き飛んだ場所にも、草や苔が生え、灌木が繁り、泉のほとりには名もなき花が揺れている。


『ソルシエお姉さま〜っ! 大変ですわ!』


 穏やかな景色の中に、やや切羽詰まったような声が響き渡った。

 実際には思念を飛ばしているだけなのだが、集中して観察していたソルシエはため息をついた。

 ひとつ下の妹が隣に舞い降りたところで、口に指を当てて、静かにという仕草をする。


『ベンジャス。見たまえ』


 ソルシエが指し示した先。泉に浮かんだ丸い葉の上に、小さな生き物が乗っていた。


『なんですの?』

咆哮罐(ほうこうがま)だよ』


 比較的有名な魔獣で、この魔獣の卵を食べ生き残った魔法使いは、驚くほど大きな声を出すことができる。臣民らに布告を行う時などに大活躍する能力だ。

 本来の咆哮罐(ほうこうがま)は人三倍ほどの大きさで、大声で他の魔獣を気絶させてから、丸呑みする。こんな可愛らしい姿ではないはず。


『子供、ですの?』

『いいや、成体だ。一見、ただの蛙に見えるが、よく観察すると、角の形や前足に咆哮罐(ほうこうがま)の特徴が見える』


 つまり、咆哮罐(ほうこうがま)の卵から、()()()蛙が生まれたのだと、ソルシエは言った。


『ここは、もっとも魔気が濃い場所だったが、すべてが吹き飛んでしまったからね。いまや“大穴”の中で一番、清浄な泉になっている』


 魔気を生み出す邪神は、消えた。何十、何百年という時はかかるだろうが、いずれは地上界を覆い尽くしていた魔気も浄化され、魔獣も生まれなくなるだろう。


『その根拠となるものを、我々は今、この目で確認したわけだ』

『そうなのですね』


 葉の上の蛙が、泉の中に飛び込む。俊敏に泳ぎ去る姿を見送ってから、ソルシエが聞いた。


『ところでベンジャス。何が大変なのかな?』

『あ、そうでしたわ』


 蛙を見て忘れるくらいだから、大したことではないだろう。


『セトが。あの子が怒ってますの』


 というソルシエの予想は、外れた。


『そんなことが、あるのかい?』


 セトは三番目の“星姫”で、料理やお菓子作りが得意である。いたっておおらかな性格であり、彼女が怒った顔など想像もつかない。

 “世直し”を終えたルォとトゥエニが“箱庭”へ戻ってきた時に、ことは起きた。いや、事態が発覚したといった方が正しいだろう。

 ちなみに“世直し”というのは、国の支援を受けられず孤立している辺境の集落を救う仕事である。

 結婚祝いとして女神から贈られたいくつかの神物(しんぶつ)。その中には、邪神の城を繋ぐために“箱庭”の最深部に設置されていた“転移の門”や、転移先の座標を確認することができる“遠見の球”があった。

 “転移の門”を通じて、地上界の至る所へ行き来できる仕組み。女神の意図としては、六姫と一番下の妹であるトゥエニとの繋がりを保つため、だったのだろう。

 この仕組みを使って、地上界で苦しむ人々を救えないかと提案したのは、オフィリアだった。

 だが、地上界での(うつわ)――身体を持たない六姫には“転移の門”を繋ぐことしかできない。代わりにその仕事を果たす役割を、ルォとトゥエニは快く引き受けてくれた。

 今回も辺境の村を救い、王都で結果を報告してから“箱庭”へ戻ってきたふたりを、ソルシエを除く全員で(ねぎら)ったのだが、そこでミルディが不穏な行動を見せた。

 ふたりから仕事の内容や、その時の心情などを細かく聞き取り、ノートに書き留めたのである。


『あの子は、ルォさんとトゥエニを主人公にして、物語を書いていたのです。“試練の旅”や“世直し”のことを』

『……まあ、趣味で書くくらいは』

『すでに天上界では、大人気になっているそうですわ』


 これにはソルシエも意表を突かれた。

 “箱庭”に引きこもっている六姫たちは、天上界の()()に疎い。まさかそのような状態になっているとは、思いもよらなかった。

 事情を聞いてルォとトゥエニに謝ったのは、セトである。ふたりは別に気にしていない様子だった。

 その後、笑顔でルォとトゥエニを見送り、全員がリビングに集まったところで、セトの説教が始まった。

 事前に本人たちの了解はとっていると、ミルディは主張したが、「では、後見人のおふたりの許可も得ているのですね?」というセトの言葉に、青くなって沈黙した。

 “世直し”を行っているルォとトゥエニは、最近では勇者と聖女と呼ばれ、王家とは比べられないほどの名声を得ている。そんなふたりを助け、守ることが、六姫である自分たちの新たなる使命。その根本を揺るがすようなミルディの行為を、セトは許せなかったらしい。


『まあ、道理だね』


 ソルシエは同意した。

 下手に注目を集めてしまえば、よからぬ者たちが近寄ってくるもの。


『しかし地上界では、ふたりに接触することは法によって禁じられているようだし、天上界にはお母様の目がある。それほど心配する必要はないのではないかな?』

『アロマも、そう言ってミルディを弁護しましたわ』

『それで?』

『そういう問題ではない、と。今は、ふたりそろって説教を受けています』


 その場にいれば、自分も危うかったのかと、ソルシエは冷や汗を浮かべた。

 普段から毅然としている男装のアロマであるが、彼女はセトのひとつ下、四番目の“星姫”である。直接面倒をみてもらった姉に逆らうことはできない。


『それでも、君とオフィリアが(なだ)めれば』

『余罪が、あったのですわ』


 こともあろうに、ミルディはオフィリアとマルテゥスの恋物語まで執筆していたのだという。

 これにはオフィリアもプンスカと怒り出し、ひとりだけ中立の立場となってしまったベンジャスは、たまらず“箱庭”を飛び出して、ソルシエを呼びにきたのである。


『やれやれ』


 ソルシエは苦笑した。

 姉妹喧嘩とは珍しいことだが、自分たちは誰よりも強い(きずな)で結ばれている。仲違(なかたが)いすることなどあり得ない。


『罰則は、何日かおやつ抜きってところか。かわいそうだけど、仕方がない』

『あの優しい子が、それで済ませると思いますか?』


 不思議な言葉を聞いたかのように、ソルシエは(まばた)きをした。


『わたくしには分かります。あの子が、ミルディにだけ(つら)い思いをさせるわけがありません。わたくしたちも、一緒におやつ抜きになりますわ』


 つまりベンジャスは、自分に被害が及ぶことを懸念して、助けを求めにきたのである。


『さあ、ソルシエお姉さま、急ぎましょう。ふたりでセトを説得するのです!』


 “箱庭”の入り口である神樹の方角に向かって、ベンジャスが飛んでいく。

 やや遅れてその後に続きながら、ソルシエはなかば諦めたように、この難解な状況を切り抜ける方法を検討するのであった。


     ◇


 物不足でずっと開店休業が続いている、村で唯一の万屋(よろずや)は、カウンターと商品棚以外は普通の住居になっている。

 その台所で、クロゼは洗い物をしていた。

 妻になって二年。母親になって一年。まだまだ学ぶことは多い。

 幸いなことに、夫は家事や育児に協力的だし、あの子たちもいる。あれこれ考える間もなく毎日が慌ただしく過ぎていくのは、おそらくよいことなのだろう。

 びりりと、微細な振動を感じた。

 これは“転移の門”が開かれた合図、のようなもの。

 クロゼはポットに水を入れて(かまど)の上に置いた。それからリビングのソファーで丸なっている青毛の子猫、のような聖獣に声をかけた。


「ピッピちゃん」

「なんにゃ?」

「あの子たちが帰ってきたわ。お湯をお願いできる?」

「お土産あるかにゃ?」

「たぶんね」


 とことことフニャピッピがやってくる。(かまど)の上に飛び乗ろうとして、失敗した。


「早く、助けるのにゃ」


 ひっくり返ったまま偉そうに命令してくるフニャピッピを、クロゼが抱き上げる。


「また、太った」

「大きくなっただけにゃ!」


 この聖獣は、失った力を回復するためにここにいるらしい。ちっとも大きくならず、お腹だけがぽっこり膨らんでいる姿を見ていると、ぐうたらなペットのようにも思えてくる。最近は王都で売られている高級なお菓子ばかり食べているので、舌が肥えてきたようだ。


「ただいまー」

「お邪魔します」


 玄関から予想通りの声が聞こえた。勝手知ったる他人の我が家という感じで、ルォとトゥエニがリビングにやってくる。ふたりとも十三歳。初めて会った時と比べると、小さく痩せていたルォは年相応の身体に成長し、トゥエニはさらに美しく、そして表情豊かになった。


「ふたりとも、お疲れさま。怪我はなかった?」

「うん」

「ホランは元気ですか?」


 目をきらきらさせながら、トゥエニが聞いてくる。


「もちろん。さっき、サジさんが寝かせつけてたから」

「よう、おかえり」


 タイミングよくサジがリビングにやってきた。腕の中で、赤子が弓なりになってもがいている。寝かせつけることには失敗したようだ。

 今回のお土産は、帰る間際にボンから手渡された焼き菓子とのこと。お茶を入れて、リビングのテーブルで話をする。

 フニャピッピの口には大きいので、クロゼがちぎっては皿に置いてやるのだが、瞬く間に消えていく。トゥエニはお菓子には目もくれず、ホランを膝の上に乗せてあやしている。


「はい。アニキに、団長から」


 そう言って、ルォがサジに手紙を渡した。


「え? ガンギさんから、オレに?」


 クロゼの父親であるガンギは、王都で星騎士団の団長を務めている。


「……え?」


 手紙を手に固まっている夫に、クロゼは面白がるような視線を向けた。

 サジは義父であるガンギを苦手にしていた。

 何故ならば、なかば強引に娘を奪ってしまったからだ。

 三年前。あの雲の上での婚姻の儀のあと、六姫を交えた話し合いの場がもたれ、初代の“星姫”であるソルシエから、助言を受けた。

 これだけ大騒ぎになってしまったからには、ルォとトゥエニはしばらく人気のない場所で暮らした方がよいだろう。自分たちが住む“箱庭”で預かることもできるが、変化に乏しい場所なので、多感な子供の養育には適さない。地上界の、できればきちんとした大人がいる小さな集落がよい、と。

 そこでサジが、ルォの生まれ故郷である自分の村はどうかと提案した。ルォはトゥエニに相談し、トゥエニはルォの故郷ならばということで、決定したのである。

 “星守”には“紅き大波”の後始末をする責任があり、アルシェの街に戻らなくてはならない。

 話し合いが終わった後、不安と寂しさが混じり合ったような、形容のし難い心情にとらわれていたクロゼに、サジが囁くように懇願してきた。

 村の人たちはオレが説得するし、ルォもなんとかする。だが正直、女の子であるお姫さまの世話は、荷が重い。

 だから、できれば。

 手伝ってくれないか、と。

 この話に、クロゼは飛びついた。“星守”の皆に「私もいっしょに行くから!」と一方的に宣言すると、クロゼはルォ、トゥエニ、サジとともに“転移の門”を通って、この村にやってきたのである。

 最初の一年は、ルォとトゥエニと三人で暮らしていた。慣れない土地での生活には不安もあったが、毎日顔を出してくるサジに自然と気を許すようになり、最後は彼の情熱に負けて、結婚することになった。

 王都にいるガンギやマァサに会うことはできない。結婚や出産の報告も、ルォとトゥエニに頼むことになった。

 きちんと筋を通していないことを、サジは自覚し、後ろめたさを感じているのだろう。


「ちょっと、部屋で読んでくる」


 重い足取りでサジがリビングから消えた後、ルォは次なるお土産を披露した。


「これは、ホランの」


 肌着かおもちゃかと思いきや、ルォがリュックから取り出してテーブルの上に置いたのは、ひと抱えほどもある岩石だった。様々な色が縞模様になっている。

 ルォが魔法を使った。

 石が虹色に輝き、形と色が再構築される。

 新たに生まれたのは、男性の胸像だった。

 髭もじゃの、無理やり笑ったような、いかつい顔の人物。

 ガンギである。


「……なにこれ?」

「団長が、ホランに見せて欲しいって。自分の顔を知らないまま孫が育ってしまうのは、寂しいからって」


 家族という関係をあれほど(かたく)なに拒んでいたはずなのに、父親はすっかり変わってしまった。


「えっと。お母さんは何か言ってた?」

「マァサ先生とは話せなかった。学校の卒業式で、忙しそうだったから」

「そう」


 母親がいれば、きっと止めてくれたであろうに。

 しかし、造形も配色もリアルすぎる。飾っておくのも捨てるのも嫌だと、クロゼは思った。

 その後、リビングへ戻ってきたサジが、義父の胸像を見て飛び上がった。

 今回の“世直し”で救った辺境の村のこと、大神殿での卒業式の様子、聖騎士団で紹介された見習い騎士のこと。ルォとトゥエニの話は、まるで別の世界の物語のよう。

 サジは苔取り屋ギルドの状況を話した。

 “紅き大波”の時に村から逃げ出した前ギルド長のゴルドゥは、いまだ帰っておらず、行方不明のままである。

 話し合いと投票の結果、サジが次期ギルド長に選ばれた。こう見えて、若い苔取り屋たちの間では人望があるようだ。

 とはいえ、苔取り屋ギルドは前途多難な状況である。

 都会では高級香辛料として高値で取引される碧苔(あおごけ)だが、“紅き大波”の影響で輸送ができない。近隣の集落と物々交換をしているくらいで、苔取り屋たちの生活はかなり厳しいものとなっている。

 というわけで、ギルド長のサジ自身が、危険を承知でアルシェの街に出向くことになった。

 そこまですることはないとクロゼは思ったが、ルォたちを守るためには、村長の協力だけでなく、ギルド長として実績を上げ、発言力を持つ必要がある。そのことを思い知ったと、サジは言った。過去に何かあったのだろう。


「そこでだ、ルォ。オレといっしょに来てくれないか? さすがに最初は危険が大きいからな。頼む、この通りだ」


 ルォの答えは早かった。


「ティエと、いっしょなら」

「アルシェの街の往復となると、ひと月以上はかかるぞ。うちの荷馬車は乗り心地も悪いし。ティエちゃん、いいのかい?」

「ルォと、いっしょなら」


 ふたりは互いに視線を合わせ、にこりと笑う。


「すまない」

「ルォ君、ティエちゃん、ありがとう」


 サジに続いて、クロゼも礼を言う。


「あー」


 タイミングよく赤子が声を発した。ルォはトゥエニが抱いているホランを覗き込むと、ぷっくりしたその頬を指先で優しく撫でた。


「だいじょうぶだよー。毎日、ホランに会いに帰ってくるから」

「あ、“転移の門”か」


 自分だけが妻と子供に会えないことに気づき、サジは愕然としたようだ。


「アニキ。アルシェの街に行くのは、今回だけ?」

「いや。碧苔の(おろ)し先が見つかれば、定期的に行くことになるだろうな。人を雇いたいところだが、危険手当が高くつくし」

「じゃあ、“水道橋の道”を作ろう」


 “世直し”の一環として、ルォは魔獣が多く特に危険な場所に限り、アルシェの街にある水道橋を模した道を作っているらしい。連続したアーチ状の橋げたに支えられた、空中の街道だ。


「水道橋? よく分からんが、安全になるなら頼む」


 地図に載るほどの長大な構造物になることに、サジは気づいていない。


「アルシェの街は、復興も早かったらしいからな。嗜好品の需要も戻っているはずだ。あの香辛料屋の(ひげ)の店主が見つかれば、話は早いんだが」


 自分が生まれ育った場所に、クロゼは思いを馳せた。懐かしさはあるものの、それほど望郷の念にかられないのは、そこに大切な“家族”がいないからだろう。

 王都は、アルシェの街よりもさらに遠い。

 “転移の門”を利用できるのは、ルォとトゥエニだけ。とある条件を満たせば、他の者が使うことも許されるそうだが、クロゼには見当もつかない。

 だからいつか、旅行馬車で。長旅ができるくらいにホランが大きくなり、生活に余裕ができて、その時に王都にいる“家族”がまだ元気であれば……。

 父親と母親はどうだろうか。運搬隊や腑分け担当のみんなは、ちょっと厳しいかもしれない。テレジアさまは、たぶん無理だろう。

 そんなことを考えたクロゼは、意外なほど早い時期に、両親の結婚式への参列という、まったく予想もしなかった理由で、王都にて“家族”全員と再会することになるのだが、それはまた別の話である。


     ◇


「それで。ふたりとも、今日はどうするの?」

「村長のところに行って、お土産のお裾分けをして。家に帰って掃除する」

「晩御飯は? うちで食べるわよね」

「あ、わたしが作ります」


 今回“世直し”で訪れた村で、トゥエニは村人たちから郷土料理を教えてもらい、材料や調味料までもらったのだという。


「なんにゃと?」


 高級焼き菓子を食べ尽くしたフニャピッピが反応した。


「珍しい料理かにゃ?」

「そうよ。お肉たっぷりの」

「早く作るのにゃ!」


 食いしん坊の聖獣にせき立てられるように、ルォとトゥエニは万屋(よろずや)をあとにした。

 ふたりは、村長宅へ向かった。好好爺とした村長は話し好きで、“世直し”や王都のことを知りたがった。


「そんな暇はないのにゃ!」


 すぐさま村長宅を立ち去る。

 途中で両親の墓に立ち寄り、無事に戻ったことを報告してから、少年と少女は自分たちの家に帰ってきた。

 調度品や家具の配置は昔のままだが、少女が作ったレースやクッションなどが少しずつ増えている。

 リビングの戸棚の前で整列する。そこには、家の守り神である小さな石像、“石神さま”が鎮座していた。以前、石像の隣に飾られていた父親のグローブは少年の手に、そして母親の形見である翡翠(ひすい)のペンダントは少女の胸にある。


「“石神さま”、ただいま」


 少年が指先で触れると、石像が虹色に輝いた。


「ティエ。ちょっと疲れた?」

「ううん、だいじょうぶ」

「でも今日はいっぱい走ったから、少し休憩しよっか。それから掃除して」

「にゃにを言ってるのにゃ。早く、珍しい料理を作るのにゃ! 掃除くらい、あ()()の風の力で――」

「あっ」

「だめ」


 強風吹き荒れる騒がしいリビングを楽しむかのように、戸棚の上の“石神さま”が、くねくねと揺れていた。


 ――完


完結しました。紆余曲折を経て。

最初の頃(4年くらい前)から応援していただいた方、

たいへんご迷惑をおかけしました。

ですがおかげで、なんとか完成させることができました。

ありがとうございました。


多くの方に読んでいただきたいので、

もし楽しんでいただけたのでしたら

評価や感想などいただけると嬉しいです。

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感動しました。主人公だけでなく魅力的なキャラが沢山いて夢中で読んでしまいました。アニメ化希望です。ジブリも良いですが駆け足になってしまうと思うので、できれば2クールでじっくり見たいです。宜しくお願いし…
[良い点] 純愛は良い… 心が洗われました。
[良い点] よかった…. [気になる点] めっちゃ面白かったです
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