(7)
出発の日の朝。
ルォは家の庭に“石神さま”を埋めた。
“石神さま”は家を守るもの。守る家に誰もいなくなったら、土に還す慣わしである。
「“石神さま”。今まで、ありがとうございました」
ここでも相手に対する感謝の気持ちを伝える。あまりお世話になっていない“石神さま”も二十体ほどあったが、一応全部埋めることにした。
両親の形見であるグローブと翡翠のペンダントをポケットの中に入れる。ルォは家に鍵をかけると、村の出入り口へと向かった。そこには幌のついた立派な荷馬車があり、サジの姿もあった。
「ほれ、餞別だ」
渡されたのは、頑丈そうなリュックだった。旅に必要なものがほとんどそろっているという。
「食料に水、下着と服に、日用雑貨。ああ、お前が取ってきた紫苔も加工しておいたぞ。しけたギルドで買い取るよりも、アルシェの街のほうが高く売れるだろう。香辛料を扱っている店を探して、買い取ってもらえ。相場は――」
新しいことが苦手なルォは目を白黒させながら、何とか飲み込もうとしている。
早朝の村は静かだった。馬たちが白い息を吐きながら、時おり体を震わせている。
「おい、お前ら。さっさと来い!」
そんな中、突然サジが大声を上げたので、ルォはびっくりした。
近くの建物の陰から、顔見知りの少年たちが現れた。ことあるごとにルォに絡んできたあの三人だ。
あからさまにルォは動揺した。
「まあ、そうびくつくな」
サジがにやりと笑う。
少年たちの様子がいつもと違った。何か言いにくそうにきょろきょろと視線をさ迷わせている。ルォは重心を低くした。逃げ出すための姿勢をとったのだ。
「お、おい、ルォ」
少年のひとりが聞いてくる。
「お前、岩王鷲を倒したって、本当か?」
意外な質問に、ルォの頭は真っ白になった。
「ど、どうなんだよ」
「た、倒した」
他の二人が詰め寄ってくる。
「どうやって?」
岩王鷲との対決については一度サジに説明している。だからルォは何とか話すことができた。
「あ、“顎門”の中層で、岩王鷲の巣を見つけて」
途切れ途切れの説明だったが、三人の少年たちは真剣に聞いていた。岩石の欠片を抱えて白松から飛び降りた場面などは、目と口を丸くして驚いた。しどろもどろの説明を聞き終えると、少年たちはバツが悪そうな顔になった。
「サジさんに見せてもらったんだ。岩王鷲の羽根と、卵の欠片」
「そう」
「オレたち、嘘だと思ってた。お前が“顎門”を降りているのも、岩王鷲を倒そうとしていることも」
子供との会話は先が読めない。柔軟な対応力に欠けるルォは、ずっと不安そうにしていたが、どうやら自分をいじめにきたのではないのだと気づいた。
だが、彼らの目的が分からない。
「い、いいか、言うぞ?」
少年たちが視線を交わし合う。
「ほら吹きとか言って、わ――」
「ごめんっ!」
「すまなかった!」
「お、おい、合わせろよ」
あっけにとられているルォをよそに、三人の少年は真っ赤な顔で「じゃあな!」と一方的に話を打ち切ると、全速力で走り去ってしまった。
あまりにも唐突すぎる状況にルォはついていけない。
「……へん」
サジが大笑いした。
少年たちは昨夜サジの店にやってきた。苔取り屋たちの間で噂になっているルォの話を確かめるためだ。ルォが岩王鷲を倒したというのは本当なのか。サジは肯定し、岩王鷲の羽根と卵の欠片を見せてやった。それから少年たちはぼそぼそと、サジに取りなしをして欲しいと申し出てきた。これまでルォを追いかけたり待ち伏せしたりして困らせ、ほら吹き呼ばわりしていたことを謝りたいのだという。
「ま、ケジメってやつだな。あいつらにとっては、あれが精一杯なんだ。お前さえよければ、許してやれよ」
人に自分の気持ちを伝えるのは勇気がいる。そのことをルォは最近知った。
「最初から、怒ってない」
「そうか」
荷物を荷台に載せて、ルォも乗り込む。
「アルシェの街についたら、手紙を出せよ」
荷台の外からサジが言った。
「手紙?」
ルォは不思議そうな顔をした。
「何を書くの?」
「新しい街で新しい生活をして、その中で思ったこと、感じたことを書くんだよ」
「何のため?」
「お前のことを気にかけている、みんなのためにだ」
それが誰のことなのか、ルォは分かった。
挨拶まわりで喜んでくれた酒場のママや苔取り屋の大人たち、子供の頃からずっと心配してくれていた近所の人たち、先ほどの三人の少年、そしてサジだ。
「分かった」
その時、ギルドに所属している御者が、出発してもいいかと聞いてきた。
もうお別れの言葉を言わなくてはならない。
サジは父親の相棒であり、ルォが小さい頃はよく遊んでくれた。父親と母親が亡くなってからは何かと世話を焼いてくれた。
生きていくのを、助けてくれた。
父親でもないのになぜだろうかと、ルォは考えた。
唐突な疑問の答えは、思い出の中にあった。
父親もサジに対して何かと世話を焼いていたような気がする。仕事帰りには必ず家に呼んでご飯を食べさせていたし、その時に苔取り屋としての心得なども教えていた。
同じ関係だ。
サジは父親のことを、こう呼んでいたはず。
「ア――アニキ」
突然の言葉に、サジが虚を突かれたような顔になる。
「アニキ、いってきます」
どこか懐かしさを噛みしめるような顔をしてから、サジは思い出の中の父親のような表情と口調で言った。
「おう、いってこい」