(2)
そのとてつもない衝撃は、強力な結界で守られているはずの“箱庭”の中にまで響いた。
暴風と地響きがおさまるのを待ってから、かつての星姫たちは、結界の外の様子を確認した。
まるで砂嵐に覆われたかのように、空が暗い。
“大穴”の中心部の方角。土柱が天に向かって立ち昇っていた。
このような状態を、ソルシエだけが想定していた。
空の彼方から星が落ちてきた時。想像を絶する衝撃で、大地が裂け、風が吹き荒れ、大量の土砂が空に舞い上がる。
その後、わずかな光さえ差し込まない、暗く寒い時代が訪れるだろう。
常に“大穴”の底を満たしていた魔気が、中心部にいたはずの圧倒的な存在とともに、消え去っていた。
ソルシエは笑った。最初は楽しげに。しかしそれはすぐに、泣き笑いに変わった。
長く、終わりのない悲しみの連鎖。星姫を縛りつけていた運命の鎖が解き放たれたことを、彼女は理解したのだ。
邪神の元へ向かったふたりを心配するベンジャスを見て、ようやく我に返った
これだけの衝撃だ。
よくて、相打ちか。
“転移の門”を通って、“大穴”の中心部へと向かう。
不思議なことに、この場所は空気が澄んでおり、日の光も差し込んでいた。
邪神が棲まうという赤水晶の山は、健在だった。
いや、形が違う。
窪んだ大地に、山のように巨大な六角柱の水晶が、真っ直ぐに突き刺さっていた。おそらくは、単一の結晶。まるで現実味のない光景だった。
その手前に、ふたりの子供がいた。
ルォとトゥエニだ。
歓喜に近い感情を放ちながら、六人の王女たちが取り囲む。
ルォはひとり、奇妙な動きをしていた。
半分泣き出しそうな顔で、両手を大きく広げ、飛び跳ねたりくるくる回ったりしている。
「何してるのにゃ?」
いつの間にやってきたのか、フニャピッピが呆れたように聞いた。
「この騒ぎを、おさめようとしているんです」
解説したのはトゥエニである。
邪神を倒したものの、こんな大事になるとは思わなかった。焦ったルォは魔法の力を使って、空に舞い散る土砂を必死にかき集めているのだと。
ソルシエは苦笑を隠せなかった。
誰かに怒られるとでも思ったのだろうか。
この地上界にいるどんな存在も、今の少年に逆らうことはできないというのに。
ひどく混乱したような、しかしどこか気の抜けたような雰囲気の中。
空から、光が舞い降りた。
◇
その場にいた誰もが、瞬間的に気づいた。
邪神のように強大な、しかし厳正かつ清らかな存在が、地上界に降臨したのだと。
光に包まれている。
それは、女性の姿をしていた。
『妾の名は、メイルロード。美と清浄を司る女神である』
荘厳さすら感じさせる思念が放たれた。
六人の星姫たちが片膝をつくような形で頭を下げた。王女だった彼女たちにとって、それは最大限に敬意を払う仕草だった。
「第四級魔法使い、“岩壁”のルォ!」
女神の存在に負けないように、ルォは元気に自己紹介をした。
ぎょっとしたように、ベンジャスが頭を上げる。何も知らないルォをなんとかしたいが、実体がないので無理やり頭を下げさせることもできない。
『妾の弟を滅ぼしたのはそなたか、人の子よ』
「弟って?」
『そなたの創り出したその石ころの下で、潰れておる者じゃ』
「うん。ティエといっしょに倒した」
“女神の血”を宿したトゥエニが、もっとも女神の影響を受けていた。ともすれば泣き出しそうなほど、心が暴れている。
『そなたが、妾の新たなる娘じゃな?』
必死に動揺を抑えながら、トゥエニは頭を下げた。
「はい、女神さま。トゥエニティーエと申します」
『悲しき運命を背負いし、強き娘よ。遠慮はいらぬ。妾のことは母と呼ぶがよい』
畏まる以外、トゥエニは何もできなかった。
急におろおろしだしたのは、ルォである。
「あの、女神さま」
『ん? なんじゃ』
「怒ってる?」
先ほど隕石で押し潰した存在が、光り輝くこの女性の弟だとするならば、怒られるだけでは済まない。
『ふむ』
まるで自身に問いかけるように、女神はわずかに俯いた。
ふいに手のひらを前に差し出す。すると、穴の底の方から小さな光の粒が飛んできて、その上で何かを訴えかけるように瞬いた。
『……そうか。アモン、辛かったな。もう休むがよい』
光の粒は空の方へと昇っていった。
『いま、弟に確認した。怒ってはおらぬ』
「ほんとう?」
『ああ。神は、決して滅びぬのだ。弟の魂は浄化されたのち、無垢なる神として、再び生まれ変わるであろう。とても、時間はかかるがな』
「よかった」
トゥエニと顔を見合わせて、ルォはほっとした。
「その人、どうしたの?」
『うん?』
「めちゃくちゃだった」
悲しげに、ルォは説明した。
その人は、深い地の底で磔にされ、身体を焼かれながら苦しんでいたと。苦しみながらも、トゥエニの中にある何かを、必死で求めていたと。
女神の答えは意外なものだった。
『愚かな弟――アモンダスは、こともあろうに姉である妾に懸想しての。まあ、姉の美しさにも罪があるわけじゃが』
「けそうって?」
『……』
女神は小さな人の子を見下ろした。
『幼子は、まだ知らなくてもよいこと。ようは、家族の中では決して許されぬことを、したということじゃ』
「そうなんだ」
女神と少年が会話をしている。
ごく普通に。
六人のかつての星姫たちにとって、女神メイルロードは母であると同時に、畏れ敬うべき至高の存在でもある。ベンジャスなどは、ルォが何か粗相をしないかとびくびくしていた。
『むろん、妾も嗜めはしたのだが、父上が激怒しての。アモンを地上界に落とし、神の槍で磔にしたのじゃ』
その衝撃で、地上には大穴が空いたのだという。その中心部で、アモンダスは変質した。神気は魔気に変わり、獣が魔獣と化した。その魔獣たちを喰らうことにより、アモンダスは邪神に成り果てた。
『受肉し、地上界の生き物となってしまったからには、妾の力ではどうすることもできぬ。せめてもの救済措置として、人の王に妾の血を分け与えたのだが……』
壮大な内輪揉めだが、誰も咎めることはできない。
『精霊に愛されし魔性の子、ルォよ。あやつは、そなたに感謝しておったぞ。そして妾も同じ気持ちじゃ』
ほっとしたのも束の間、女神の口から驚くべき発言が飛び出した。
『ゆえに、ひとつだけ。そなたの望みを叶えてやろう』
「のぞみ?」
『そうじゃ。神殺しであるからには、力は必要あるまい。人の王になりたいか? 不老不死を望むか? あるいは、妾の眷属になりたいか?』
女神メイルロードは清廉なるものを好み、欲深き不浄なものを嫌う。六人の星姫たちは、内心冷や汗をかきながら見守っていた。
「ほんとう?」
『ふふ、その顔を見るに、何か望みがあるようじゃな』
「結婚式」
『うん?』
「結婚式、したい!」
人の歴史の中でただひとり、女神をあ然とさせるという偉業を、ルォは成し遂げた。
『結婚式は、相手がおらぬとできぬぞ』
「ティエ」
『いや、相手の同意も必要なのだ』
トゥエニが立ち上がり、一礼する。
「女神さま」
『母と呼ぶように』
「では、お母さま。わたくしとルォは、昨夜、結婚いたしました。その、ふたりだけで、そう約束しただけなのですけれど」
少し自信がなさそうなのは、神の代理者たる聖職者の前で誓ったわけではないからだろう。
「母さんが言ってた」
ルォが生まれ故郷の話をした。
村には聖職者などいない。だから結婚する時には、確かに夫婦であると認められるために、村のみんなに祝ってもらう必要があるのだという。
「だから、ちゃんと式をあげないとだめだって」
『なるほどの』
女神は納得したようだった。
『我が娘、トゥエニティーエよ。そなたの望みはどうか?』
思ってもいなかった事態に、トゥエニは目を輝かせた。
「わ、わたくしも。ルォと同じです!」
『ふっ、そうか』
女神は微笑を浮かべようとした。
しかし堪えきれなかったらしく、くつくつと笑い出す。
『なんともはや。これはこれは』
最後は相好をくずして大笑いし、涙を拭く仕草さえ見せた。
『あい分かった。女神メイルロードの名において、人の子ルォと、我が娘トゥエニティーエの婚姻の儀を執り行い、盛大に祝うとしよう』
光輝く女神は胸の前で両手を合わせると、人の耳では決して聞き取れない複雑な発音で、何ごとかを呟いた。




