(11)
それは、小さな嵐と呼ぶのにふさわしい現象だった。
リビングの中だというのに、風が巻き起こり、室内が揺れ、壁や床が歪む。
誰もがテーブルにしがみつくだけで精一杯だったが、不可解な現象はすぐに止まった。
かつての星姫たちが警戒し、誰もが動けない中、フニャピッピだけが丸くなってひとつあくびをした。
「喜んでいただけにゃ。もうおさまったにゃ」
危険はないとのこと。ひそひそと相談し合い、とりあえず外の状況を確認してみようということになる。
アロマが立ち上がったところで、出入り口であるうろから、ルォとトゥエニが入ってきた。
「ただいまー」
「ただいま戻りました」
仲よく手を繋いでいた。とても微笑ましい姿だが、悲しい別れの話をしたはずなのに、ふたりとも満面の、幸せそうな笑みを浮かべている。
内心、首を傾げていたかつての星姫たちは、何かを感じとったように目を見開き、がたがたと震え出した。
「どうしたの?」
怪訝そうに聞いてくるルォを、まともに見られない。
「い、いや」
かろうじて、ソルシエが応対した。
テーブルの上で両手を組み、完全に引きつった笑みを浮かべながら問いかける。
「き、君たち、どうしたのかね? とても嬉しそうに、見える、のだが」
「うん。結婚した」
「けっこん? けっこんとは、なにかね?」
「家族になるやつ」
「なるほどね、結婚か。けっこ――んんっ?」
思わず咳き込むソルシエをよそに、トゥエニがこうするのよという感じで、正式な報告のお手本を見せる。
「このたび、こちらのルォと、わたくしトゥエニティーエが結婚したことを、皆さまにご報告申し上げます」
形式の問題ではなかった。
誰もが言葉を失い、困惑した。息を飲むような空気の中、ルォがめざとく、テーブルの上の皿を見つけた。
「あ、ピッピぃ。ひとりでご飯食べたの?」
「むにゃっ」
“大穴”の底の旅では、そろって食事をするのがルールだった。ルォが不満そうに口を尖らせると、フニャピッピは全身の毛を逆立てた。
「さ、“三番”。急いで料理を持ってくるのにゃ! あてちもお代わりなのにゃ!」
「は、はい」
ルォの姿形は変わっていなかったが、もっと根源的なものが変化していた。
力の底が、見えない。
さらにはトゥエニも、こちらは目に見えて変わった。
髪がぼんやりと輝き、さらりと揺れるたびに、光の粒のようなものが弾ける。凝縮された聖なる力が火花を散らしているのだと、かつての星姫たちは本能的に悟った。
もともと三人分の料理を作っていたようで、それほど時間もかけず、セトが苔人形たちを引き連れて戻ってくる。
「もし食欲がなければ、軽いものもお作りしますから。遠慮なく言ってくださいね」
役目を果たす直前の星姫の精神状態は、とても厳しく、重い。誇りをもって挑む者もいれば、強がる者、泣き喚く者もいたが、楽しげに食事をする者はいなかった。
これまでは。
「あ、ルォ。これ、とても美味しいです」
「ほんと?」
「はい」
トゥエニが自分の皿の料理をフォークで刺し、ルォの口元に差し出す。
「んー、ほんとだ。はい」
お返しとばかりに、今度はルォが自分の皿の同じ料理をフォークで刺して、トゥエニの口元に差し出す。
「おいしい?」
「とっても!」
非効率極まりない食事をしている二人を、ベンジャスが口元をむずむずさせながら見守っている。
やや神妙な顔で、トゥエニがきいた。
「この料理は、セトさまが作られたのですか?」
「はい。わたくし、料理が好きで。食材は、精霊さんたちが“大穴”からとってきてくれるんですよ。土の精霊さんは、魔獣のお肉の毒抜きもできますし」
「わたくしも、お料理をちょっとだけしたのですが、ぜんぜんだめで」
“大穴”の底の食事は、お世辞にも上等とはいえなかった。食材はトゥエニが図鑑で見たことのある食用可能な野草や木の実と、ルォが狩るしっぽ肉のみ。調味料も少なく、料理の経験のないトゥエニは煮込むことしかできなかった。
「そんなことないよ」
ルォが必死に励ます。
「ペッポコ――じゃない。トゥエニティーエの料理、大好きだから」
真っ赤になって俯くトゥエニの髪が輝き、ぱちぱちと光の火花が飛び散った。
再び口元をむずむずさせつつ、ベンジャスが聞く。
「ルォさんはトゥエニのことを、真名でお呼びになるのね?」
「うん。大切な話をする時には、ちゃんと呼ばないといけないから」
「そう、ですわね」
今のが大切な話なのかしらと思いつつも、真名は普段から使うものではないので、別の呼び方を考えた方がよいと忠告する。
ひとつ咳払いをして、ベンジャスは居住まいを正した。
「では。トゥエニはルォさんに“祝福”を授けたのですわね?」
「よく、分かりません」
作法に則ったやり方はしていないと、トゥエニは言った。
「わたくしがしたのは」
そこで、真っ赤になって口ごもる。
「ぜんぶ、くれるって」
ルォがばらしてしまった。
「全部?」
「うん、ぜんぶ」
隣のトゥエニが俯き、大量の光の火花を散らす。
「そ、それは。よろしゅう、ございました、わね」
「あー、もう我慢できない!」
目をぎらぎらさせながら、ミルディが会話に入ってくる。
「プロポーズって、どうやったの? どっちから? まさか、トゥエニから? どんな状況? 最初から、ぜんぶ説明しなさい!」
「はい、そこまで」
暴走しかけたミルディは、アロマによって取り押さえられた。
食後に、ベンジャスから今後の説明がなされる。
“箱庭”にまでたどり着いた星姫が、ここで役目を放棄することなどあり得ない。“女神の血”が、そうさせないからだ。
ただ、覚悟を決めるための時間は必要だった。
そのための場のはずであったが、トゥエニが“落涙”を泉に捨ててしまったことを詫びたため、事態は一転した。
「な、なんということを!」
ベンジャスが真っ青になり、目を吊り上げた。
「トゥエニ、貴方は何をしたのか分かっているのですか? あれは、貴方の魂を守る、大切な――」
「ベンジャスッ」
掠れるようなソルシエの叱責の声が、ベンジャスの怒気を吹き飛ばした。
食事中もその後も、ソルシエは口を開かなかった。テーブルに肘をつき、組んだ両手に額をのせたまま、まるで石像のように動かなかった。
「静かに、してくれないかな?」
目を閉じてはいない。むしろ全開まで見開いて、テーブルの上を見つめている。
「頼むよ。崩したく、ないんだ」
まるで怯える子供のように、ソルシエは懇願した。
「ソルシエお姉さま?」
「ただの“掛け合わせ”ではない。四大精霊が一、“大穴”に棲まう魔鳥、そして星姫の――最高状態の“祝福”。こんなこと、ありえない」
ソルシエの全身が、震えている。
「地上界において、これ以上の組み合わせはない。頼む。頼むよ、ベンジャス。奇跡の、バランスかもしれないんだ」
ルォがあくびをしたので、その場はお開きとなった。
翌日。
全員が集まったリビングで、トゥエニはルォとともに、今から出発することを告げた。ふたりの表情には、悲壮な覚悟などなかった。仲よく買い物にでも出かけるような感じで、しっかりと手を繋いでいた。
案内役を務めるのは、オフィリア。いくつかの木目を通り抜け、深い螺旋階段を下っていく。
井戸の底のような場所に、細かな紋様がびっしりと刻まれた金属製の巨大な扉が佇んでいた。
「これが、“転移の門”です。この門の先は“大穴”の中心部にある、邪神の居場所へと繋がっています。魔気が強いですから、しっかりと気持ちを持ってください」
オフィリアが法術らしきものを使うと、紋様が光り輝き、扉がゆっくりと開かれた。
冷たい黒色の霧が、床の上を這うように入り込んでくる。しかしその霧はルォとトゥエニに触れることなく、かき消された。
扉の向こう側には、別の景色が広がっていた。
赤黒く、刺々しい、鉱物の山。
空は暗く、稲光が絶え間なく走っている。
「六番目の、窓」
ぽつりとルォが呟いた。
アッカレ城の大聖堂。色ガラスの窓に描かれていた物語。六番目の窓は壊れていたが、きっとこの景色だと、ルォは言った。
これ以上、勇者マルテウスは進めなかった。
ひょっとすると地上へ戻った彼が、この景色を誰かに伝えたのかもしれない。
「いくよ、ティエ」
「はい、ルォ」
ふたりで決めた、新たな呼び名。
躊躇うことなく門の中へ入っていく少年と少女の姿を、オフィリアは万感の思いで見送った。




