(10)
“箱庭”内のリビングでは、ソルシエによる悪あがきのような説明が続いていた。
「いいかい? 聖なる力と魔の力は互いに反発し合う。聖職者が魔法使いに“祝福”をかけたとしても、どちらかが弾かれるだけ。これはアロマの国の実験結果が証明している」
遺憾ながらという感じで、アロマが認めた。
「ほとんどの魔法使いには、“祝福”の効果がなかったようですね。ごく一部の弱い魔法使いは、魔の力を失ったようですが」
ソルシエは満足そうに頷いた。
「魔の力は、魔獣の卵を摂取することにより得ることができる。いくら聖なる力とはいえ、身体と一体化している魔の力を押しのけることは難しいのだろう。まあ、使い手の問題もあるがね」
「では、あの人は」
オフィリアの疑問は当然のものであった。
「ふたつの力を共存させるためには、魔の力を包み込めるほどの圧倒的な聖なる力を、瞬間的に注ぎ込む必要がある。オフィリア。君たちの場合はおそらく、それが偶然に成り立ったんだ」
「偶然に」
「条件はふたつ」
ひとつ目の条件は、“祝福”の使い手が星姫であること。
「信仰心により女神の力を借り受ける聖職者の力では、星姫の足元にも及ばない」
「それならっ」
意気込むミルディを、ソルシエは手を突き出して制した。
「問題は、次の条件なのだよ」
不敵な笑みを浮かべながら、オリフィアに問いかける。
「嬉しかったのだろう?」
意味が分からず、オフィリアはきょとんとした。
「幼なじみであるマルテウス公子が、命の危険を冒してまで魔法使いとなり“試練の旅”の同行者になってくれた。君は、とても嬉しかったはずだ」
「ち、違います。わたくしは、マー君に怒ったんです!」
いくら否定しても、まるで説得力がなかった。
「“祝福”の力は互いの信頼関係に依存する。というのは、実は誤りでね。正確には、星姫が相手をどう思うか。ただそれだけなんだ。通常、星姫が星守の騎士たちに向ける気持ちなど、尊敬や感謝の念くらいのものだろう? それに比べて、舞い上がった星姫が、健気な幼なじみに向ける気持ちはどうかな?」
「ま、舞い上がってなど、おりません!」
オフィリアのことを無視して、皆が考え込むそぶりを見せた。
「それって、つまり」
確認したのは、ミルディである。
ひと呼吸置いてから、神妙な表情で呟く。
「愛の、力?」
熱を帯びた息遣いがもれ、視線が集中する。その先で、オフィリアが真っ赤になって固まっていた。
「私の考えは、ちょっと違う」
真顔のまま、ソルシエは見解を述べた。
「愛とは、つまり相手を思いやること。自己犠牲の精神と言い換えてもよいだろう。尊い心情だとは思うが、星姫の力の源としては、弱い。もっと直情的かつ激しい精神状態でなくては」
ベンジャスが聞く。
「つまり、嫉妬、のようなものでしょうか?」
「いや。そのような負の感情では、聖なる力を発揮することはできない。もっと純然たる、しかし利己的な――ああ、矛盾しているのは分かっているよ。だがそれくらい微妙な、不可解な心情ということだ」
ミルディが眉根を寄せた。
「それって――」
ソルシエは聞いていなかった。
「ルォ少年が精霊の力と魔の力の“掛け合わせ”だとするならば、“祝福”を乗せる条件はさらに厳しくなるだろう。すでにトゥエニは自分が生まれ変われることを知ってしまっている。当然、ルォ少年を地上へ帰そうとするはずだ。相手のため、ではだめなのだよ。“祝福”を授けたら、自分を守ってくれるかもしれない。ひょっとすると、邪神を倒せるかもしれない。そんな不純な動機でもだめだ。どうだい、完璧だろう? これが私の主張する無理な理由さ。すべての理屈や条件を超越して、無上の喜びを得るだなんて。そんな子供の児戯の、ような」
そこまで言ってから、ソルシエははっとしたように口を閉ざす。
ふいに、リビングが揺れた。
それは短く細かい、びりりとした振動だった。
勘違いなどではない。
再び、振動が走る。
ミルディに抱きつかれたアロマが警戒した。
「魔獣の攻撃か!」
「角獅子さま?」
セトに腹を撫でさせていたフニャピッピが、四つ足で立った。やや上方、虚空を見つめながら、ぽつりと呟く。
「神樹が、緊張してるのにゃ」
◇
シャラララ。
その瞬間、銀色の大樹が再び木の葉の音を鳴らした。
だが、トゥエニは気づかなかった。
ルォのひと言に、意識のすべてを奪われてしまったからである。
「どう、して?」
掠れるような声が漏れる。
「いっしょにいたい」
ルォの目は、真っ直ぐに向けられていた。
「僕が、君といっしょにいたいから」
頭の中が真っ白になった。
ただただ、胸の奥から熱い感情が込み上げてくる。
身体がこわばり、熱を帯びる。
「だから。お願い」
ルォのひと言ひと言に、心が震える。
「結婚しよう」
「あ……」
感情に押し出されるように、涙がこぼれ落ちた。
シャラララ。
眩しい。
それは幻想などではなかった。
銀色の大樹に茂る透明な木の葉が、まるで黄昏の光を吸収したかのように輝き、黄金色の無数の光の粒をふらしていたのだ。
ぼろぼろと、大粒の涙がとめどなく溢れてくる。
トゥエニはくるりと背を向けた。
もう、限界だった。
これ以上は、心がいっぱいになって、はち切れてしまう。
間違いないと、トゥエニは思った。
こんな気持ち、他には考えられない。
これが、恋心なのだと。
胸に手を当て、呼吸を整える。
ふと、ガラスの小瓶を握りしめていたことに気づいた。
これは、もういらない。
なぜそんな行動を取ったのか分からぬままに、トゥエニは“落涙”を泉の中に投げ捨てていた。
「ペッポコ?」
涙を袖で拭い、呟く。
「トゥエニ」
「え?」
「トゥエニティーエ」
再び向き直ると、ルォが呆然としたようにこちらを見つめていた。
シャラララ。
まるで雪のように降り注ぐ金色の光の中、自らもまた光り輝きながら、曇りのない笑顔でトゥエニは言った。
「わたしの、本当の名前。大切なお話をする時には、ちゃんと呼んで」
「う、うん」
今さら真っ赤になったルォが、言葉を噛み締めるように口にした。
「トゥエニ、ティーエ」
「ルォ。あなたに、すべてを――」
トゥエニはルォの頬を両手で包み。
そっと顔を寄せた。




