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岩壁のルォ  作者: 加茂セイ
第八章 箱庭の六姫
73/82

(9)

 シャラララ。

 風も吹いていないのに、時おり透明な木の葉が揺れ、硬質な音が響く。

 静かな泉のほとり。

 銀色の大樹の下。

 そこで、トゥエニは大切な人を待っていた。

 頭の中で何度も何度も、トゥエニはどう話すべきかを考えていた。

 ルォを心配させないように。

 傷つけないように。

 決して、辛い顔を見せないように。

 そんなことを考えているうちに、周囲の変化に気づいた。空が黄昏色に染まり、泉の水面(みなも)が紫色と桃色の間でたゆたっている。

 大樹の影は、少し薄暗い。


「あれ?」


 すぐ近くからルォの声が聞こえて、トゥエニは緊張した。祈るように両手を組み、目を閉じて必死に心を落ちつかせる。


「あ、みーつけた」


 トゥエニがいるのは、“箱庭”の入り口である大樹の()()の反対側。幹の陰からルォがひょいと顔を覗かせて、満面の笑みを浮かべた。


「は、はい」


 頭の中が真っ白になり、トゥエニはただ返事をした。


「オフィリアお姉ちゃんが言ってた。ペッポコが、話があるって」


 軽い足取りで、一歩一歩、近づいてくる。

 その姿を見て。

 ふいに、トゥエニは気づいた。

 多くの物語の中で表現される心理描写。あまりにも実感が湧かず、共感もできず、そういうものなのだろうと頭で理解するしかなかった。

 不安で、心に落ち着きがなく、息苦しい。

 この()()が、たぶん。


「どうしたの?」


 シャラララ。

 まるでトゥエニの心を後押しするかのように、銀色の大樹が木の葉を鳴らす。


「ルォ。お話が、あります」

「うん」


 ふたりきりで話せる、最後の時間。

 笑顔を作りつつ、トゥエニは淡々と話を始めた。

 これから自分は、ひとりで邪神に会いにいくこと。邪神に食べられて死ぬこと。そうすれば、邪神は眠りについて、多くの人たちが助かること。もちろん“星守”の人たちも。

 うまく話せているはず。

 ルォは、分かってくれるはず。

 自分は一度死んでしまうが、女神さまのお導きで、百年後くらいには生まれ変わることができること。“箱庭”にいる六人の星姫のように。

 だから、なにも心配はいらないこと。


「ただ、ルォにはもう――」


 背筋が凍りつくような感覚を、トゥエニは受けた。

 笑顔が強張り、呼吸が止まる。

 言葉が、出てこない。

 不自然な沈黙が漂う中、ルォが聞いてきた。


「邪神のところに、食べられにいくの?」

「そう、です」


 かろうじて、トゥエニは答えることができた。

 笑顔を取り繕い、説明を補足する。


「でも、痛くもないし怖くもないの。オフィリアさまから、そういうお薬をもらったから。ほら、これ」


 ポケットに入れていた“落涙”を見せる。


「色ガラスの瓶で、とてもきれい。食べられる前に、これを飲むの。甘いか苦いかは分からないけれど、きっと、すぐに分かるわ」


 自分は何をしているのだろう。

 何を言っているのだろう。

 まるで、心と身体がばらばらになったみたいだった。


「それが、ペッポコの決めたこと?」

「うん」

「じゃあ、いっしょにいこっ」


 そのひと言は、トゥエニの心の奥底に突き刺さった。

 心が、震える。

 笑顔が、保てない。

 もう決まったことなのに。覚悟を決めてこの場にいるはずなのに。なぜこんなにも(もろ)く、簡単に。

 トゥエニは気づいた。

 望むことすら許されない、自分の望みに。


「だめっ」


 後ろめたい子供がそうするように、トゥエニは顔を背けた。


「ルォは生まれ変わることができないの。死んだら、それでおしまい。わたしといっしょに来ても、意味なんかない」

「ある」


 ルォは断言した。


「あるよ」


 どうしてそう言い切れるのか。


「父さんが、言ってた」


 いつか聞いた言葉。あれは、アルシェの街から出発する直前。自分の要求に、星守の代表だったテレジアが応じ、“試練の旅”の同行者からルォを外そうとした時のこと。

 泣いてる女の子は、ひとりにしてはいけない。いやだと言われても、そばにいなくてはならない。

 トゥエニはきっとルォを睨んだ。


「泣いて、ない」


 どうして、分かるのか。


「泣いてなんか、ない!」


 どうして。

 心がこんなにも苦しいのか。

 突然の強い反発に驚いたのか、ルォが落ち着かなげに、おろおろし出した。

 しかし、ふっと感じが変わる。

 ごく自然な動作で、ルォは頬に手を触れてきた。


「心配はいらないよ。君のことは、()()がぜったいに守るから」


 トゥエニは反応しなかった。 

 ()()は、ルォじゃない。


「……やめて」


 お礼を言うつもりだった。いっぱい助けてくれて、ありがとう。あなたに会えて、よかった。ずっとずっと、元気でいてください。心のすべてを込めた感謝の言葉を、ルォに伝えるつもりだった。


「無理なの」


 それなのに、勝手に口から紡ぎ出される言葉は、かつての星姫から聞いた冷たい事実ばかり。

 曰く、人の身で邪神に(あらが)うことはできない。曰く、あの勇者マルテウスでさえ断念した。曰く、邪神のいる場所は、こことは比べものにならないほどに魔気が濃い。曰く、ルォがいたところで――


「意味が、ないの!」


 気がつけば、周囲はぞっとするほど静かだった。木の葉の音も聞こえない。黄昏(たそがれ)の輝きすら失われてしまったかのよう。

 目の前のルォの顔が、まるで置き去りにされた子供のように歪んでいた。


「あ……」


 嫌われた。

 そう思った瞬間、身体中の力が、すとんと抜け落ちた。

 分かっていた。

 意味がないのは、自分のほう。

 百年後に生まれ変わったところで、ルォがいない。

 ルォがいなければ、なんの意味もない。


「ごめんなさい」


 本当は、最後の瞬間(とき)まで。


「でも、しかたがないの」


 ずっといっしょに。


「だからここで。お別れ――」


     ◇


 みんなを助けるために旅をしているペッポコを、ルォは全力で応援するつもりだった。

 かつて、自分が壊れかけていた時。新たな目標を見つけるまで、そして見つけてからも、たくさんの人に助けられてきた。しかし、村を出る直前までそのことに気づかなかった自分は、お返しをすることができなかった。

 だから、ルォは決めたのだ。

 自分の他に、目標を決めて頑張っている人がいたなら、全力で助けようと。

 “試練の旅”の旅は、楽しかった。ずっとペッポコといっしょだったし、魔獣との戦いには参加せずペッポコを守るようにという、星守の老人たちからの命令も気に入っていた。

 だが、目的地である“果ての祭壇”にたどり着いた後は、少し様子が変わった。

 どうやらペッポコは、目標を達成した後は、無事ではいられないらしい。

 そしてペッポコは、そのことを知っていた。

 関係ないと、ルォは思った。

 かつての自分がそうだったように、命を懸けてでもやり遂げなくてはならないことは、確かにある。

 だから、自分のやることに変わりはない。

 しかし、“大穴”の底を歩く旅の間に、ルォは疑念を持つようになった。

 本当にこのままでいいのだろうかと。

 それは、マァサの教育によるところが大きかった。


『ルォさん。他人(ひと)から言われたからといって、考えなしに従ってはいけません。ちょっとおかしいと思ったら、一度立ち止まって考えてみるのです。ルォさんがやりたいことも、また大切なのですから』


 考えるたびに、このままではまずいような気がする。

 そのことに確信を持ったのは、“箱庭”と呼ばれる場所に着いた時だった。

 魔気にやられて気を失ってしまった自分を、ペッポコがおんぶして運んでくれたのだ。疲れきっているはずなのに、その後も泣きながら、ずっと自分から離れようとしなかった。

 ペッポコは、守られるだけの子じゃない。

 ごく自然と、自分のやりたいことは見つかった。

 仲良く、いっしょにいられたらいい。記憶の中にある、父親と母親のように。

 ルォは考えた。

 ペッポコの決めたことと、自分のやりたいこと。その両方を叶えることはできないだろうかと。

 すべての原因は邪神にあるらしい。その邪神を、倒せばいいのではないか。

 “箱庭”のリビングで女性たちに聞いてみたところ、ソルシエにそれは不可能だと言われてしまった。空の上に漂う巨大な岩石の塊――輝かない星が落ちてこない限り、邪神を倒すことはできないと。

 だとするならば、ペッポコといっしょに邪神に会いにいくしかない。

 人は誰だって死ぬ。だから死ぬその時まで、仲良く、いっしょにいればいい。

 それなのに。

 銀色の大樹の下で、ペッポコはひとりで邪神に会いにいくと言った。あの時と同じだと、ルォは思った。ペッポコは泣いている。涙を流さずに泣いている。

 言いたいのに言えないことは、いっぱいある。

 でも、心配はいらないから。

 父親の台詞(せりふ)を借りて、泣いている女の子のそばにいなくてはならないことを告げたが、ペッポコは予想外の反発を見せた。

 ルォは焦った。

 こうなったら()()しかない。

 記憶の中にある父親の真似。

 生前の父親は、母親に怒られると落ち込んで、ご機嫌を取るために奇妙な仕草と台詞(せりふ)で、母親に迫っていた。ルォが見ているからやめてと母親が言っても、父親は許してくれるまでやめないと突っぱねていた。

 だが、これもだめだった。

 なぜだろう。これまではうまくいっていたはずなのに。

 自分がいっしょにいても意味がないのだと、ペッポコは言う。

 そうじゃないと、ルォは思った。

 父親が大峡谷で死んだ後、母親もまた弱って死んでしまった。自分も壊れかけた。家族が、ばらばらになってしまった。

 いっしょにいなくては、離れ離れになってしまっては、だめなのだ。

 それなのに。言葉が喉につっかえてしまったように、何も出てこない。

 ただ、これだけは分かった。

 このまま黙っていたら、自分の望みが消えてなくなってしまうことを。


「ごめんなさい。でも、しかたがないの」


 怖くても、とにかく飛び出すのだ。

 岩王鷲を倒した、あの時のように。


「だからここで。お別れ――」

「ペッポコ!」


 傷つき、震えている少女の両肩に手を置く。

 飛び出してみて、今の自分には何の武器もないことに、ルォは気づいた。

 何かを言わなくてはならない。

 何かを。


「あ――くっ」


 頭の中が、焼き切れそうだった。


「ルォ?」


 父親の言葉ではだめだ。

 自分の言葉でなければ。

 どうしたら、分かってもらえる?

 どうすれば、いっしょにいられる?


「ううっ」

「ルォ、だいじょうぶ?」


 限界ぎりぎりの思考の中で、ふいに。

 たったひとつの答えが、舞い降りた。

 それはとても単純なことだった。

 家族になればいい。

 家族は、離れ離れになってはいけないのだから。


「ペッポコ」


 大きく息をつく。

 それから、まるで素晴らしい宝物でも見つけたような顔で、ルォは言った。


「結婚しよ?」


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― 新着の感想 ―
[良い点] ルォが頑張って頑張って考えて思いついた。 [一言] それはルォにとっては『たった一つの冴えたやり方』
[一言] まさに勇者
[良い点] 頑張った…!!頑張ったんですね…!! 悩みに悩んだ、ルォだけの言葉……!!良い……
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