(6)
互いに自己紹介をし、これまでの状況も確認した。
「それでは、今後のお話をする前に」
心の中でトゥエニは身構えたが、ベンジャスは予想外のことを口にした。
「一度、休憩をとりましょうか」
トゥエニは早く決めて欲しかった。時間があってもよいことなどない。身体の中を駆け巡る血が、行動を急きたててくる。
悩む間もなく、すべてが終わって欲しい。
そんな焦りを見抜いたかのように、ベンジャスが諭すように忠告した。
「大切なお話をする時には、疲れた身体を休め、心を整える必要があります。でなければ、よい判断はできません」
じっと見つめながら、つけ加える。
「おふたりにとって」
トゥエニは自分を恥じた。
勝手に決まって、勝手に終わって。
その後、ひとり残されたルォはどうなる?
ルォとはまだ何も話をしていない。どんな事情があろうと関係なく、ルォは自分を助けてくれただろう。
その優しさに、甘えていた。
ふたりできちんと話し合い、心の準備をするための時間が必要なのだと、トゥエニは思った。
「では、わたくしがご案内いたします」
案内役を申し出てきたのは、オフィリアだった。
先ほどのお茶の効果だろうか、まだ少し身体は重いものの、トゥエニは自分で歩くことができた。
リビングの壁際までくる。どこにも繋ぎ目のない、滑らかな木肌だ。年季を感じさせる複雑な曲面に、大きな木目が浮かんでいた。
「ここから、いろいろな部屋に出入りできるんです。はぐれると迷ってしまうので、しっかりついてきてくださいね」
「迷子になったら大声で呼ぶのにゃ」
呼ばれてもいないのに、フニャピッピがついてきた。
木目の先は、廊下だった。いくつかの分岐を経て、行き止まりの壁に浮かんだ木目に入ると、さらに違う部屋に出た。先ほどのリビングと同じくらいの広さがあるだろうか。室内には湯気のようなものが漂っていた。
「お風呂です!」
少し得意げに、オフィリアが言った。
「“荒野”を超え、さらには“大穴”の底を歩いて、ここまで来られたのです。さぞやご苦労をされたことでしょう。そんな辛い長旅で一番欲するもの。それはお風呂です」
トゥエニとしても異存はなかったが、フニャピッピがとことこ浴槽に向かいながら吐き捨てた。
「そんなの、毎日入ってたにゃ」
「え?」
浴槽の縁のところに奇妙な存在がいた。手のひらに乗るくらいの、水と火の塊。よく見ると、水の塊は亀、火の塊は蜥蜴のような姿形をしていた。
「あ、この子たちは」
オフィリアが説明しようとしたところで、フニャピッピが威嚇の声を漏らした。水の亀と火の蜥蜴は驚いたように飛び上がると、泡が弾けるように消えてしまった。
「あ……」
「湯加減くらい、あてちが調整するにゃ」
気を取り直すようにひとつ頷いてから、オフィリアは後方に向かって手招きをした。出入り口から、二体の苔人形がやってきた。手にはトレイと籠を持っている。トレイの上には陶器製の小瓶がいくつも並んでいた。
「“大穴”で採れる泡の実から作った石鹸水です。あとはですね、桃薔薇から香油を――」
「うえっ」
ルォが顔をしかめた。
「ぬるぬるして、目が染みるやつ」
両手を目に当てる仕草から、トゥエニが察した。恩返しができるとばかりに喜ぶ。
「心配しないで。髪はわたしが洗ってあげる。ルォは、目を閉じていればいいから」
「うん」
「あ、お風呂のお世話はこの子たちが」
さらに苔人形を呼ぼうとしたところで、トゥエニが微笑みながら断った。
「お世話は必要ありません」
「そ、そうですか」
ことごとく出鼻をくじかれて、泣きそうな顔になったオフィリアは、いきなりルォが服を脱ぎ出したので驚いた。
「あ、あの。殿方のお風呂は、ただいま準備中で」
苔人形が差し出した籠に服を入れ、素っ裸になる。
「きゃ!」
トゥエニも服を脱ぎ、ルォとともに浴槽に入った。フニャピッピはお湯を入れた桶の中に収まる。
「お姉ちゃんも入る?」
「は、入りません!」
顔に手を当て後ろを向いたオフィリアは、耳まで真っ赤になって逃げ出した。
◇
お風呂のお湯は聖なる泉から汲み上げたもので、炎の精霊の力が宿っており、薬湯のような効果があるのだという。すっかり元気になったふたりに、オフィリアが提案した。
「せっかくですから、お召しものも綺麗にしましょう」
トゥエニが着ている服はクロゼのお下がりである。こまめに洗ってフニャピッピに乾かしてもらっていたが、さすがに汚れが目立ち、ところどころほつれていた。
「あてちは、なんか食ってくるのにゃ。早くちかりゃを取り戻さにゃいと」
そう言って、フニャピッピはどこかへ走り去った。
再びいくつかの木目を通り、案内されたのは、半月状の部屋だった。曲面を描く壁の部分が窓になっていて、外の景色が見える。ソファーやテーブル、ベッドにクローゼットもあるようだ。
オフィリアの私室だろうか。
当然のようにルォも入ろうとしたところで、オフィリアに通せん坊された。
「と、殿方は、別室です!」
こればかりは譲れないとばかりに、オフィリアはルォの手をとると、どこかへ連れていってしまう。
幼いころからの習慣のせいか、ひとりになったトゥエニは、ごく自然に窓際へ歩み寄っていた。
そっと手を伸ばしてみる。ガラスではない。硬質な感触はあるのだが、歪みも曇りもなかった。
確かにここは銀色の大樹の中のようだ。窓から見えるのは、銀色の見事な枝ぶりと透明な木の葉の群れ。
日はかなり傾いていた。
飽きもせず景色を眺めていると、三体の苔人形を従えてオフィリアが戻ってきた。
「あの、ルォは」
「リビングです。お姉さまたちが、ルォさんにいろいろとお聞きしたいことがあるみたいで」
すぐに会えますよと、微笑まれてしまう。
苔人形たちがトゥエニを取り囲んで、一礼した。それから両手を前に突き出して、ゆらゆらと動かし始めた。
トゥエニの服が膨らみ、まるで生き物のように蠢いた。みしみしと何かが軋むような音が響く。やがて服の動きが止まり、肌に密着した。
服の着心地が変わった。汚れも消え、ほつれていた部分も修復されている。不思議がるトゥエニに、オフィリアが微笑みながら説明した。
「植物の精霊さんの力です」
これならばルォを追い出す必要はなかったのではと思ったが、オフィリアは「少し、お話をしましょう」と、ソファーに誘ってきた。
苔人形たちがお茶と焼き菓子を運んでくる。隣に座ったオフィリアが優雅な仕草でお茶を飲む姿を、トゥエニは不思議な気持ちで見つめていた。
物語の登場人物。七百年以上も前の王女であり、自分と同じ“星姫”だったひと。その佇まいからは気品のようなものが感じられた。正式な教育を受けた王女なのだろう。
「ね、トゥエニさん」
「はい」
目をきらきらさせながら、オフィリアは聞いてきた。
「ルォさんって、どんな方?」




